千四百二十二 プラユキ・ナラテボー、篠浦伸禎「脳と瞑想」
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
三月七日(土)第一部
プラユキ・ナラテボー(プラは比丘への尊称)と都立駒込病院脳神経外科部長篠浦伸禎さんの「脳と瞑想」は、優れた書籍だ。第一部は、お二人の専門分野の話、第二部が対談だ。
第一部の第一章はプラユキが、タイで普及する三つの瞑想法を解説する。
プットー瞑想法
タイで代表的な、集中力を高めるサマタ系瞑想法のひとつです。(中略)「プットー」という言葉は「ブッダ」を意味するマントラです。タイ風の「念仏」と言っていいでしょう。心を静めて集中力を高め、三昧(サマーディ状態)に入り、禅定を確立していくことを目的とする瞑想法です。
日本人がやるときは「プットー」では駄目だと思ふ。ブッダを連想できないからだ。「ブッダ」或いは「南無仏」がよいのではないだらうか。
アーナパーナサティ瞑想法
(前略)中部経典の「アーナパーナサティ・スッタ(出入息念経)」に沿った瞑想法で、ブッダの時代から行われている瞑想法です。集中力を高める効果もありますが、基本は、マインドフルネス、「気づき」を培う瞑想法です。呼吸から始めて、からだ(括弧内パーリ語略、以下同じ)、感覚、心、法の順にステップをより繊細に精妙に観察していきます。
自然な呼吸を観察し「気づく」が大切だと云ふ。言語化してラベルを貼る必要はないと云ふ。ここが重要だ。息に続いて、からだの感覚、痛みやかゆみ。かいたり足を崩してよく、消える様子も観察。次に心の形成プロセスを観察。怒りが生じたら、それを観察。生じないならそれに気づく。どんな時怒りが生じたか、消滅も観察、どうすれば生じないか洞察。貪りや迷いについても同様。
これはプラユキの優れた指導だ。そして
無常、苦、無我などの直観智を得て、苦からの完全なる解放を実現
次に三番目の
チャルーンサティ瞑想法(その1 手動瞑想)
(前略)今ではタイ東北部を中心に多くの寺で行われています。リズミカルに手を動かし、そのひと動作ごとの手の位置確認をしながら(中略)心の覚醒力を培っていく瞑想です。
目は開いて行ふ。
「妄想してはいけない」、などと心の構えを作らず(中略)何が来てもオッケー、という感じで続けていきましょう。
これは良い瞑想法だ。続いて
チャルーンサティ瞑想法(その2 歩行瞑想)
(前略)
2 速度は普通に歩く速度です。
3 十数歩、歩いたら折り返します。
一、二や右、左と言語化せず、足の一歩一歩に気付く。考へ事が浮かんだら気づいて、また足の動きに意識を戻す。これも良い瞑想法だ。このあとその3として指先瞑想があるが、これは割愛する。
第二章は覚醒下手術で、脳の手術て全身麻酔を使はない方法があると云ふ。篠浦さんの専門分野で、手術後の後遺症防止に効果がある。
第三章は脳を動物能、左脳、右脳に分ける。左脳は言語と論理、右脳は人や物とぶつからない機能、声の調子、他人の表情を読みとるなど、人間関係の能。左脳と右脳をそれぞれ、二次元と三次元に分ける。
左脳三次元は、自分を座標軸の中心に、言葉を使ひ、長い時間がたっても通用するようにする。
左脳二次元は、限定された言葉を座標軸の中心に、時間を支配する。自分の信じる原理(信念、主義、宗教)を重視。
右脳三次元は、自分を座標軸の中心に、空間を支配しようとする或いは空間に溶け込まうとする。判断するときに自分の体をできるだけ使ふ。
右脳二次元は、相手を座標軸の中心に、空間を支配する。その判断が相手にとっていいかどうか。特に日本社会では人を動かすことができる。
固定思想(二百四十の二)へ
次、(その二)へ
メニューへ戻る
前へ
次へ