百三十九、日本における社会主義への道・平成版(三)マスコミは国民の敵だ

十一月七日(日)「朝日新聞の工作」
左右の社会党は再統一した。「日本社会党」は当時のマスコミを次のように批判している。
・マスコミは「二大政党時代到来」のキャンペーンをはって、日本社会党をイギリス労働党型の党へ誘導しようと躍起になった(以下略)
・右派の統一的修正案が提起されたこともあって、(中略)左派修正案が逆提案されるにいたった。(中略)社会主義体制を評価し、反独占ー民族独立の左社綱領路線への総結集であったことは明らかであった。大会はこの左社修正案を可決した。(中略)マスコミが「失望」の色を露骨に示したことはいうまでもない。


私が所属している労組にも、朝日新聞がたびたび介入したことをこれまでも述べたが、十日ほど前に大変な事件が起きた。数年前の年越し派遣村は新聞やテレビでも大きく報道され全国に知れ渡った。そのときの事務局長と朝日新聞の女性編集委員が十日ほど前に飲み屋で酒を飲んだ。ところが一杯飲んだところで元事務局長が倒れた。編集委員がタクシーで事務局長の自宅に運び組合にも連絡した。翌日に倒れた本人から歩けないので休むと連絡があった。その次の日にも来ないので組合から一人様子を見に行くとアパートの中で意識はあるが体を動かせず倒れていた。救急車を呼び集中治療室に入り脳の手術を受けた。
ここで朝日新聞の介入で一番大物を送り込んだ例が横浜国大准教授である。この准教授は、佐藤栄作が戦後まもなく米軍が来るので純血を守るために公園にいた女におにぎりを与えて米軍の相手を一日何人もさせて気が狂ったと、労組とは場違いの話をした。こんな話をした理由はヒトラーがゲルマン民族の純血を主張したからであろう。戦後の社会党が民族独立を主張したのは米軍が国内にいる限り当然である。ところがこの准教授は民族独立と社会主義をヒトラーの国家社会主義に無理に結び付けようとしている。だいたい日本は台湾も朝鮮半島もいっしょにして純血主義はまったく取らなかった。日本は縄文人と弥生人と中国や朝鮮などからの外来人の混血なのでそういう発想自体がない。西洋の学説を鵜呑みにするから、こういう筋違いなことを言う。日本の役に立たない。戦後のマスコミも同じである。

十一月八日(月)「マスコミの最大の欠陥」
日本のマスコミの最大の欠陥は公益を破壊することにある。その結果、社会は崩壊し道徳は退廃し経済は弱者切捨てとなった。
昭和三九年に作られた「日本における社会主義への道」では、マスコミの悪影響がそれほど社会党に及ばず、公益を守ろうとする姿勢がまだ残っている。
人間性の破壊と道徳文化の退廃
・貨幣を物神化し、金もうけ、利潤獲得を最高道徳とする爛熟した独占資本主義の世界では、巧みに人の労働の成果をかすめ取り、神聖な労働によってではなく、労せずして得た財産によってぜい沢をすることが人生最高の理想となる。
こうした価値観の転倒した社会に、犯罪、非行、道徳的退廃が充満し、利己主義、出世主義、さてはニヒリズムが横行するのは当然であって(以下略)


道徳というと社会党や共産党と正反対のように思われているが、社会主義とは社会派のことである。社会を破壊するのが新自由主義とグローバリズム、社会を育てるのが社会主義。社会主義こそ道徳を重視しなくてはならない。

十一月九日(火)「マルクス主義と社民主義」
社会党が低落した原因はマルクス主義と社民主義の党内抗争にある。マルクス主義はソ連(現ロシア)の真似、社民主義は西欧の真似となる。どちらも西洋の猿真似となる。

自国の文化を無視することは国民生活の不安定につながる。だから初期の社会党左派の、ブルジョア民主主義は不完全なものだという主張や、ブルジョア憲法は改定すべきだという主張は、正統な国民感情の発露とも言うべきものであった。

十一月十日(水)「保守と革新から守旧と保守へ」
日本の政治で保守という言葉が使われ出したのは、「保守合同」からだという。このころから社会党や共産党を革新と呼ぶようにもなった。
保守とは本来は好い意味である。例えば複写機の保守作業という言い方をする。この当時は社会主義を目指す政党が革新、現状の資本主義を守る政党が保守ということで一応筋は通っていた。しかしソ連と東欧の崩壊で革新は社会主義を放棄し進歩主義へと変化した。
不都合なことを改める。これは進歩主義ではない。進歩主義とは新しいもの、特に欧米のやり方を真似する連中のことである。日本では民主党内の岡田、前原、枝野のようなリベラルがこれに当る。日本の新聞も概ねリベラルに入る。
社会党は国民の生活と国の独立を守るから保守、自民党はアメリカ占領軍と既得権勢力の守旧派。このように持って行くべきだった。

十一月十三日(土)「憲法改正とプロレタリア」
今の憲法は敗戦直後の混乱のときにアメリカが押し付けたものだから、廃止し新たに作るべきだ。かつての社会党左派の言い方では米帝国主義が押し付けたブルジョア憲法だからプロレタリア憲法にすべきだとなる。
今憲法を改正したらどうなるか。改悪となるかも知れない。そこに旧社会党左派の出番がある。自衛隊が米軍の下請けとして派兵されるのを皆で阻止し、そもそも安保条約があるからこういうことになる、と国民運動を巻き起こすこともできる。

護憲を叫ぶことは守旧であり社会党自滅の道であった。国民はそこを見抜いた。そして社会党は崩壊した。
プロレタリアとは既得権や私利私欲とは無縁な人たちである。西洋では労働者だと定義した。アジアではこの定義は当てはまらない。石油消費を止めれば当てはまるかも知れないが今は当てはまらない。プロレタリア独裁こそ本当の民主主義ではないのか。金持ちも経営者も企業幹部も心がけ一つでプロレタリアになることができるのだから。

十一月十五日(月)「平和五原則、平和十原則」
昭和三十年インドネシアのバンドンでアジアアフリカ会議が開かれ、そこで平和十原則が決められた。原型はその前年に作られた平和五原則で、どちらも「内政不干渉」を謳っている。そして残念なことに今でもこの原則は守られていない。欧米がアジアアフリカに干渉するときは民主主義を口実にするから気をつけたほうがいい。欧米の民主主義は既得権、私利私欲と無縁ではないから本当の民主主義ではない。だからアジアアフリカに干渉する資格はない。
しかしアジアアフリカがどんな内政でも許されるわけではない。欧米が干渉すれば帝国主義になる。アジアアフリカの域内で解決すれば友情となる。五原則の「平等互恵」「平和共存」、十原則の「相互協力」「正義と国際義務の尊重」にはそのような意味がある。

十一月十八日(木)「天竺と唐土」
平和五原則は昭和二九年にネールと周恩来の会談から生まれた。インドと中国は人口が多い。だからこれからはこれら二国が世界の中心となる。日本人は古くからこれら二国を天竺、唐土(もろこし)と呼び親しんできた。この歴史的背景を生かせば日本は欧米から独立することができる。アジア全体も欧米文化から独立することができる。欧米はインドと中国を離反させようとするに相違ない。この陰謀に日本は加担してはいけない。

欧米文化から独立すれば、資本主義は現状を大きく変える。ここに社会派に復活の道がある。

十一月十九日(金)「構造改革論」
社会主義を目指して一五年。その展望が見えないなかで構造改革論を出したことは正しかった。一歩ずつ資本主義を掘り崩すという路線も正しかった。しかし相手も社会党を掘り崩そうとしている。その点、向坂逸郎の「社会主義革命の条件と構造改革論」は正しかった。
なぜ改良主義の危険を強調するかというと、支配階級は、危機感をもてばもつほど、いろいろな手で、社会党を民社党のような無害な(支配階級にとって)政党に仕立て上げる政策をとってくるからです。少しばかり進歩的な口をききながら、労働者その他一般国民に社会主義への幻想をいだかせながら、その実現だけはしない政党にする工夫を、彼らのもっている権力や「マスコミ」の一切の力をつくしてやってくるからです。

五十年前のこととは思えない。米軍基地問題で鳩山政権が倒れ、菅政権は無害化された。今まさに起こっていることではないか。かつての支配階級はアメリカCIAと自民党と財界だったが、今は誰か。民主党はそれを検証し反撃すべきだ。

昭和三九年の「日本における社会主義への道」は資料編の第一部と、本文の第二部から構成されていた。それに倣い平成版もこれから第二部に入ることとする。


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