千三百九十八 南三陸旅行記(大仏と、奇跡の一本松を、三百年後の歌枕に)
己亥、基督歴2019+3α年、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
十二月二十日(金)
本日朝五時に家を出発し、宮城県南三陸町に向った。気仙沼市内に二泊する。久しぶりに青春18切符を使った。気仙沼へは一ノ関から気仙沼線を使ふのが普通だ。しかし到着が午後5時40分で、ホテルまで徒歩18分。市街とは線路の反対側だからおそらく真っ暗だらう。
だから小牛田から石巻線で前谷地へ。ここからBRT(鉄道代替のバス)で気仙沼に行った。到着は午後4時50分。BRTが速いのではない。速度は鉄道より遅い。気仙沼線の鉄道は一ノ関で1時間50分の待ち合はせがある。(詳細は南三陸旅行記余録)として独立)

十二月二十一日(土)
昨日乗ったBRTで志津川まで戻った。大仏参拝と、一部開園の復興公園を観たあと、BRTで気仙沼に帰った。昼食の後に、BRTで盛まで行った。
帰路は陸前高田で降りた。駅舎と向かひのショッピング施設に行った。陸前高田市立図書館も併設され、一通り見て廻った。図書館の地域資料は陸前高田市のものに、気仙語辞典と気仙語の本があり、宮城県側と一体だったことを物語る。岩手県の資料は8棚、宮城県の資料は1棚だった。
陸前を 名乗る高田は 岩手県
 元は陸奥(みちのく) 気仙の海辺

陸前高田駅に戻ると、今の駅舎は新築で、古い建物は近くのお寺に供養のため移設されたと説明書きがある。
復元で 戻った高田の 旧駅舎
 寺に移設し 来る日も回向


十二月二十二日(日)
志津川と気仙沼を一往復半、気仙沼と盛を一往復。大規模な工事を多数見た。私は古い町並みが好きだ。ぽつんとした古い建物も好きだ。歴史を感じる雑木林も好きだ。それらを津波が押し流した。
伝統を 津波が流し 今は復た
 残る自然を 工事が破壊

大規模の 工事が続く 瓦礫跡
 犠牲者脳裏の 景色影無し

往路は、車内から「奇跡の一本松」が遠くに見えた。帰りのバスは途中で枝線に入るので「奇跡の一本松」で途中下車し、近くで見たあと後続の気仙沼行きに乗り換へようと思ったら、一つ手前の陸前高田で枝線に入る。最初の予定どほり陸前高田で下車した。
幾年か 阿古耶(あこや)の松が 歌枕

阿古耶の松が歌枕になるまでどれだけ経過しただらうか。
陸奥(みちのく)の 阿古耶の松は 三百年
 出羽に分れる 前に詠まれる

「奇跡の一本松」も、今から三百年後は歌枕になってほしい。地球温暖化で、三百年後に人類は生存するだらうか。
幾百の 星霜を経て 歌枕
 そのとき松を 詠む人居るや

被災地は土地をかさ上げしたり、大規模な防波堤で囲ったり、広い土地に大規模駐車場と商業施設、復興公園。土地の所有者救済の意味もあらう。本当は土地を以前の時価で買ひ上げ、津波が来ても死者の出ない農地や養殖池にすべきではなかったか。
復興公園の石に刻まれた言葉は、無宗教だからどこか虚しさが漂ふ。
無宗教 慰霊の言葉 刻むとも
 回向に足りず 諸霊は迷ふ

しかし大仏が見守ってくれる。お寺に移築した旧駅舎も見守ってくれる。
大仏は 今日も犠牲者 回向する
 海の見える 命の森で

大仏は ミャンマー生まれ 志津川に
 静かに座る 海を眺めて

「南三陸大仏」と「奇跡の一本松」を三百年後の歌枕にしようではないか。今回の特集で、短歌を多発した理由は、一人でも多くの人に一つでも多く詠んでほしい。上手や下手は関係ない。一つ詠めば一つ回向する。

十二月二十二日(日)
帰路は朝6時50分の大船渡線に乗るため、朝6時にホテルをチェックアウトした。道路は凍結し、気をつけて歩かないと危ない。それでも予て調べたとほり、線路の反対側を歩いてみた。駅に着き、暫くして大船渡線の気動車に乗った。(終)

メニューへ戻る (その一)へ (その三)へ