千三百九十八 南三陸大仏参拝記
己亥、基督歴2019+3α年、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
十二月二十日(金)
ミャンマーで日本と取引する商社を経営されるミャンマー人が宮城県南三陸町に、地元の人たちの協力で、大震災の犠牲者を回向するために大仏を建立した。そして先月入仏式があった。上座仏教修道会のニャーヌッタラサヤドーが導師を勤め、ミャンマーからお呼びした比丘も七名ほどが参加した。
この大仏に参拝のため、本日早朝、家を出発した。

十二月二十一日(土)
大仏建立法要でのニャーヌッタラサヤドーの導師、法話、ホテルでの挨拶を予め動画で観たので、付近の様子などは判ってゐた。ミャンマーで商社「Tomosada」を経営するミャンマー人などが発願し、南三陸町と気仙沼でホテル、水産業を経営する阿部長商店の社長さんが、ミャンマーから送られた大仏を保管するなど協力してくださった。
大仏(Abhaya Lābha Muni 恐れを除き幸福をもたらす大仏)は阿部長商店の所有地「海の見える命の森」に鎮座された。「海の見える命の森」はその前から地元ボランティアの尽力で、登山道、エコトイレが設置された。
行ってみると、動画で撮影されたとほりだった。あと、宮城県の地方紙「河北日報」でも報道され、その内容と寸分の違ひもなかった。法要が行はれた大仏の前面は、それほど広くない空き地で、周囲の木々には世界共通の仏教旗(日本では曹洞宗などがよく用ゐる)がまだ残る。
南三陸大仏が、南三陸町の観光名所になってほしい。大仏を参拝すれば、東北大震災の多数の犠牲者の回向になる。
大仏の開眼法要では、ミャンマー式のほかに、日本式でも行はれた。動画から日蓮宗らしい。阿部長商店社長さんの菩提寺だと思ふ。上座の信徒も大乗の信徒も、安心して参拝することができる。
阿部長商店の経営する南三陸ホテル観洋にも寄った。お話を伺はうと思ったが、午前10時なのでフロントは大忙しだ。そのままホテルを出て、少し先にもう一つ入口がある。ここはゲームマシンなどがある遊戯室で、御用の方は館内を右に回ったフロントに、と案内板があり先ほどの入口に繋がる。
再び外に出て更に先は同じ経営のレストランがある。ここは自転車を降りず横目で眺めるに留めた。上座の仏道に理解を示す会社が繁栄するのは、よいことだ。多数の観光バスが駐車場に留まり、南三陸町で指折りの会社だ。

十二月二十三日(月)
先週上座仏教修道会に見学参加し、そのとき代表者から、大仏の話が首相官邸に伝はり、ホットラインでミャンマー側に感謝を伝へ、ミャンマー側からも返答があったさうだ。
観光協会などのインターネットによると、冬は南三陸町を訪問する人が激減する。夏は海水浴で賑はうのだらう。冬は大仏を参拝に、多くの人が南三陸町を訪れてほしい。(終)

追記十二月二十九日(日)
上座仏教修道会のホームページに、次の記事があったので紹介したい。
11月27日(水)午後、淨心庵精舎において、南三陸大仏開眼供養を無事に終えられた高僧比丘3名が、ご来庵されました。
そのお一人のイェード―大長老は、南三陸大仏を特別な聖水で、お淨めされました。イェード―大長老は、ミャンマー国マンダレー町にある有名な「MAHĀ MYAT MUNI大仏」のご尊顔を毎朝お淨めされておられます。この度、淨心庵仏陀のご尊顔を、特別な聖なる水で、大切にお淨めしていただきました。その後、バッダンタ ニャーヌッタラ(BHADDANTA・NYĀNUTTARA)大長老をはじめ比丘サンガによって、感興の偈が唱えられ、参加者全員喜び溢れました。


追記十二月三十一日(火)
「ホテル観洋スタッフ」の「ときめき! ピチピチだより」と云ふブログにも記事があったので紹介したい。
「南三陸大仏」開眼法要

と云ふ題で
当館から徒歩で約10分。
天気が良い日は散策にオススメの「海の見える命の森」
その森に
ミャンマー連邦共和国
Nay Myo Aung氏
Maung Htet Myat Oo氏
より大仏様を御寄贈頂きました。

で始まる。(法要前、碑文の打ち合わせの様子 2019/11/2)の写真の次に
東日本大震災後、弊社社長に案内をして欲しいと依頼があり
南三陸町から気仙沼市を案内、行く所々の被害の大きさ
そして多くの方々が亡くなった事に胸を痛み
ぜひ大仏を寄贈して3月11日に亡くなった方々へ供養をしたいとのお言葉を頂戴し
昨年より進めていた大仏がようやく完成いたしました。
そして先日25日、3つの願い「鎮魂」「施無畏」「興願」を揮毫し
開眼法要の運びとなりました。

大仏の鎮座する最上段にお花が飾られ、その手前で八人の比丘が大仏に向かふ写真。それを見守るパイプ椅子の人たちは花を持つ。二枚のあと
儀式は、ミャンマー式と日本式の両方が執り行われました。

とあり、ミャンマー式は、銀色の水容器を持つ男性信徒とイェード―サヤドーと思はれる比丘。花を手に合掌する比丘たちと、一人の比丘は銀色の器に水を注ぐ。合掌する比丘のアップ。以上三枚。
日本式は、横向きに向き合ふ五名の僧と一人は貫首衣で大仏に向き立つ。他の写真は貫首衣のアップで白く長い毛を多数付けた棒を合掌の手。その横で経本を読む僧。焼香する貫首衣。焼香する横三列の信徒。低頭する五名の僧。以上の六枚。
ミャンマー式は比丘が座り、日本式は僧が立って法要する違ひがあった。
「南三陸大仏」
と名付けられたこの大仏様は、地域住民の安寧を願い
また、この町の新しいシンボルになって欲しい
という願いで建立されたものです。

大仏二枚ののち
「海の見える命の森」は
桜の植樹などの体験の場、ご近所の憩いの場、震災の継承(津波てんでんこ)の場として
2016年から本格的に活動している場所ですが
これから国内やインバウンドの誘客に繋がっていき
地域交流や観光交流として栄える場になってほしいと思います。

「伝えよ千年万年/津波てんてんこ」と書かれた15cm四方、高さ30cmの石。大仏を背に参列者全員の記念写真。以上二枚。
<大佛建立碑文>
2011年3月11日に起きた東日本大震災は
私たちに沢山の気づきと学びを与えてくれた
生きるということはどんな事なのか
その命を支える仕組みの礎には何があるのか
二万人を超す大勢の犠牲がありその気づきはあった
大自然の営みとその支えの中に私たちの生活があり
共に生きるつながりの中に生きる術がある
この度ミャンマー連邦共和国より
白い大理石の中から刻み出された大佛像が寄贈された
長い旅を経て今
海の見える命の森に鎮座する
人と人とのつながりは
世界に張り巡らされていたのである
この大佛様は太平洋を見渡す森の上から
人々の暮らしとその安寧を見守ってくださる
震災犠牲者の鎮魂と
今を生きる人々の幸福を願い
祈りを捧げ
安置し
開眼供養とする
令和元年11月25日
施主一同
Nay Myo Aung
Maung Htet Myat Oo

このあと大佛建立碑文と、写真で建立年月日寄進者三名。
今回のブログは貴重なので、全部を紹介させていただいた。

前、全宗教(二百三十三)へ 全宗教(二百三十五)へ

メニューへ戻る 前へ (その二)へ