千三百四十八 パオ森林僧院で、外国人修行者が失敗する理由
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
八月十日(土)
(パオ瞑想については既に記したので割愛しました)
私自身は、瞑想法にそれほど興味がある訳ではないが、瞑想を実践する人は全員が成功してほしいと願ふ。私のやうに部外者が見ると、当事者の気付かないことが判ることもある。岡目八目といふ諺がある。
話によると、ミャンマー人は成功する人が多いのに、外国人は多くが失敗する。その理由として、これまでに神々の存在を信じないことを指摘した。今回パオ森林僧院のインターネットと動画を観て、新たに気付いたことを述べたい。

八月十一日(日)
パオ森林僧院は人数が多くなり過ぎたため、托鉢は年に二回だ。ここがミャンマー人と外国人の分かれ道になる。ミャンマー人は、子供のときから在家として比丘に食事を供養してきたから、本来は毎朝行ふ托鉢を、人数が多いから年に二回だと判る。だから僧院の食堂で毎朝在家がお椀に入れてくれるだけで、托鉢で村々を歩いたのと同じ効果がある。
外国人は、学生食堂に行った気分で食事を受け取るから、托鉢の効果が無い。托鉢の効果とは、在家に徳を与へることを自覚することだ。

八月十二日(月)
比丘には神通力がある。だからマハーモッガラーナ(目連)は、神通第一と呼ばれた。決して神通唯一で釈尊と目連だけが神通力を持ったのではない。
だからと言って、比丘が神通を使ってよいかどうかは、サンガの伝統に従ふ。読経したり、糸を巻いたり、聖水をかけたり、信徒から供養を受け取ったりすることは、神通力の発露だ。そのことを自覚すると、瞑想が進展する。
在家で修業する人たちは、そのやうなサヤドー、サヤレーから指導を受けてゐることを自覚するとよい。単に、瞑想指導者から習ふと考へてはいけない。サヤドー、サヤレーから指導されるからこそ、托鉢効果や神通力を受け継ぐことができる。

八月十三日(火)
新月と満月は特別な日だ。だから布薩(ウポーサタ)は、この日に行はれる。外国人の多くは、特別の日だと云ふことを知らず、たまたま布薩が行はれる日だと考へてしまふ。
特別の日だと自覚すれば、この日かその前後に瞑想が大きく進む。XX教やイスラム教には安息日がある。仏道には新月と満月がある。これらは一週間の二倍だから、新月や満月の中間とその前後も大きく進む好機だ。

八月十四日(水)
比丘は10回の雨安居を経て長老と呼ばれる。ミャンマー人は少しでも長く比丘を続けようとするが、外国人の多くは早く終はりにしようとする。外国人もミャンマー人を見習って、長く続けるべきだ。結果として短期に終はってもそれは構はない。
一生修行を続けて祖国に帰り、指導僧となってミャンマーの人たちから受けた恩を返すと決意すれば、修行が進むだらう。還俗しても祖国で在家としてこの恩を返すと決意すれば、修行は無駄にならない。(終)

固定思想(二百十六)へ 固定思想(二百十八)へ

メニューへ戻る 前へ 次へ