千三百四十七(その二) 心地よい社会(「ケチャまつり」から探る)。左翼と右翼の統合は可能だ
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
八月十日(土)
千三百四十二 芸能山城組を称賛(ケチャまつり)で紹介した、パンフレットの
この祭りを始めた当時は、西欧近現代文明への信奉が絶頂をきわめ、「共同体的な人のつながりを断ち切り<個>を最優先して<専門分化>を推し進めれば、文明は進歩し人類は豊かになる」という幻想が社会を支配していました。

は貴重な情報だ。思へば昭和三十年代後半から五十年にかけて、全国に革新系知事市長が誕生したのは、西洋資本主義が共同体的な人のつながりを断ち切ることに、国民が反発したためだった。
このとき農村では、既に農地改革がなされ、これは地主を廃止したから社会主義経済そのもので、そして農協による共同体を自民党が抑へたため、農村では自民党による共同社会が形成された。

八月十一日(日)
日本では社会党、共産党に対抗するため、企業も共同体意識を強める努力をした。従業員、雇用者、工員と呼ばず、社員と呼んだのはその一つだ。そのため民間労組は企業別組合と相まって、民社社会主義や労働組合主義を建前とするものの、その実態は西洋資本主義だった。
そんなときに米ソ冷戦が終結した。その結果、旧革新勢力は共同社会を破壊する勢力になってしまった。自民党は、米ソ冷戦時代の思考方法を抜け出せず、拝米つまり個人主義になってしまった。財界から政治献金を受け取るため、一部は共同体を破壊する新自由主義にさへなってしまった。

八月十三日(火)
左翼はよいが、サヨクやリベラルが駄目だと云ふのはこのことだ。保守はよいが、自民党や拝米や新自由主義が駄目だと云ふのもこのことだ。
かつては世界に米ソの対立があったので、国内も二つに割れた。今は対立がないから、左翼と右翼の統合は可能だ。どちらも共同体的な人のつながりを重視する。
とは云へ、ネトウヨやヘイトスピーチを心配する人もゐよう。だからケチャまつりは、バリ島を中心に、みちのく伝統芸能、東欧の合唱とバランスを取った。私が、上座の仏道を中心に、日本の大乗、共産主義、XX教やイスラム教まで言及するのも、同じ理由だ。
最後に、芸能山城組が長く続く理由を一つ挙げると、その命名にある。山城組では駄目だ。芸能組や芸能山城会でも駄目だ。組頭による命名には感服するばかりだ。勿論、日常の組織運営が優れることが、長く続く最大の理由だ。(終)

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