千三百五十 1.サヤドー、サヤレー以外で瞑想指導する連中は嫌ひだが、地橋さんは例外、2.西洋かぶれが仏道を批判する目的で仏道を習ってはいけない
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
八月十五日(木)サヤドー、サヤレー以外で瞑想指導する連中が嫌ひな理由
私は、比丘やメーティーラシン(出家女性)以外の人が、瞑想指導をすることに反対だ。この感情はNHKの「心の時代」で元比丘の井上ウィマラが、(1)ミャンマー僧の経典解釈に疑問を持って帰国した、(2)カナダで親類の子を抱いて何かを決意し20年ほどして子供が大きくなったと放送して還俗だと判った番組構成、(3)ギターを使った歌ふ瞑想、(4)NHK出演を本人が書き込んだかは不明だが早速Wikipediaに書いた話。この四つに遭遇してからだ。
だいたいNHKの「心の時代」には、ろくな人間が出演しない。スマナサーラ長老も出演したが、それは十三年前で、NHKの堕落が少ない時代の話だった。あとタイの日本人副僧院長が出演したが、日本の経済だけの社会から害毒を受けてゐないから、極めて僅かな例外だ。
比丘とメーティーラシン以外は、絶対に瞑想指導をしてはいけない。俗人が指導したのでは、日夜戒律を守り修行を続ける比丘とメーティーラシンに対して、失礼だ。

八月十六日(金)サヤドー、サヤレー以外で瞑想指導する連中が嫌ひな理由
地橋さんは瞑想指導をするが、例外だ。書籍を読み、インターネットで瞑想指導を観て、これは優れた内容だ。地橋さんは三十歳でヨガ、大乗、心霊などの修業に入り、原始仏典のヴィパッサナーが解脱に出会ってからタイ、ミャンマー、スリランカで修業。四十七歳から国内で瞑想指導。
地橋さんの指導に賛成なのは、初心者に判り易く、しかも必要なことは、歩く瞑想、座る瞑想、立つ瞑想、慈悲の瞑想と、すべてを省略せずに指導する。戒定慧、五蘊、慈悲喜捨など仏道の用語を駆使するのもよい。
何よりよいのは、勝手に作り出した新たな瞑想法を入れないことだ。山下良道みたいに、上座と大乗を越えたと変な教義を振り回すことがないのもよい。マハーカルナみたいに、上座の悪口を云はないのがよい。
追記十月二十二日(火)複数女性スタッフへの不適切行為
或るホームページに「地橋秀雄所長による複数女性スタッフへの不適切行為が発覚したため、2016年6月より活動縮小中。」と云ふ記述があった。
それを裏付ける話として、地橋さんのところで活動して来た人たちが、上座部仏教修道会に移った話を、数日前に聞いた。

八月十七日(土)欧米かぶれはいけない
今から二十年程前に、タイに二ヶ月出張したことがあった。一日おきに、ホテルが無料で英字新聞をドアの下から入れてくれた。それを読んで、二ヶ月間に二つ嫌な記事を目にした。
一つはタイの社会が西洋と異なる(新聞の表現では遅れてゐる)ことを批判するものだった。しかし先進国(地球を破壊することに於いて)に対して遅れてゐることは、よいことではないか。
二番目に、農村地帯では貧しい児童や生徒は、お寺が沙弥として教育機会を与へるが、女子に対して機会がないと云ふものだった。女子にも教育機会を与へることは必要だ。しかし比丘尼が消滅して沙弥尼もないので、お寺の制度で教育機会を与へるのではなく、政府や地方自治体が制度を作るべきだ。
記事は西洋の視点で僧伽を批判するが、それは筋違ひだ。例へばヨーロッパの政治を批判するときは、政策を批判すべきで、XX教の組織や運営を批判するのは筋違ひなのと同じだ。
当時は、英字新聞の会社に勤務するタイ人が記事を書いたと思ったが、今思ふとタイ駐在の欧米人が書いたのかも知れない。欧米崇拝は、仏道を極めて弱体化する。日本で江戸時代末期に西洋文明が流入し、明治政府が廃仏毀釈と僧の妻帯肉食許可で、日本の仏道が極めて弱体化した例もある。

八月十八日(日)かぶれが、仏道を批判する目的で仏道を習ってはいけない
ミャンマー留学中の日本人女性が10年くらい前に一時帰国し、ミャンマーのサヤレー制度はタイのメーチーよりずっと下だ、と言った。比丘尼は釈尊滅後の早い時期に滅んだから、復活することができない。代はりに今ではメーティーラシンと云ふ制度が出来て、寺に居住する出家女性がゐる。
ミャンマーではサヤレー、タイではメーチーと呼ばれる。サヤレーがメーチーより下と云ふ話は聞かないが、この日本人女性は比丘尼ではないことに不満を持って発言したのではないかと、そのとき感じた。あとこの女性の西洋かぶれが心配になった。
ミャンマー人やタイ人の女性が、比丘尼制度がないことに不満を持つ話は聞かず、それどころか在家の女性は男性以上に熱心な人が多い。自分は比丘尼にはなれないが、息子を沙弥として一時出家させて徳を積まうとする人も多い。ミャンマーでは沙弥尼が大々的に行はれるやうになったと云ふ話も聞く。
女性の出家者はメーティーラシンで、出家手帳が交付されるなど、社会的には比丘と変はらない。仏道的には、比丘が農業を禁止されるのに対し、メーティーラシンは料理を行ふなど違ひがあるが、それは瞑想によりよい効果をもたらす。先々月に中国人比丘が三名来日したときに、男性信者はお布施を持って行くだけだが、女性信者は手料理を持って行く人も多く、考へ方の相違を感じた。

10年前に一時帰国した日本人女性と同じ人かどうか不明だが、インターネットに「元サヤレー何々」と名乗る女性がゐる。男も女も出家時の名を還俗後も名乗ることの善し悪しは、その人の心がけによる。元暴力団組長が真言宗の僧として出家し、刑務所時代に懲罰独房に入れられ、普通はここに入ると精神が錯乱状態に陥るが、二年間頑張りそれは瞑想と同じで光を見た。同じ瞑想法がパオにあるのでクムダサヤドーのお寺で沙弥として出家した。
帰国後に暫くは出家名なので還俗してゐないことが判ったが、その後は真言宗の道号に戻った。その人がたまにミャンマーの沙弥名を名乗ると、ミャンマーでの出家経験に感謝してゐるのだと、読む私まで嬉しくなる。
それに対してこのインターネットの女性は、自分を売り込むためにミャンマーの出家名を利用してゐるのではないかと、嫌な気持ちになる。嫌な気持ちになるのはもう一つ理由がある。この女性は京都大学その他で研究員を歴任するが、研究テーマが自殺でインターネットを引用すると
パーリ『律蔵』の「殺生戒」・比丘の自殺の経・『ジャータカ』説話で描かれる菩薩の捨身など自殺に関係する文献を次々に読み(以下略)

そんなことを調べて、上座の仏道に役立つはずがない。西洋の一部学者(批判する目的で仏道を研究する連中)には受けるかも知れないが。この人はミャンマーと比べて日本で自殺が多いことも研究テーマを選ぶ理由だと云ふが、自殺が多いのは明治維新の神仏分離と社会の急変が原因だし、その前の寺請け制度で仏道に勢ひがなくなったことも原因だ。ミャンマーは上座だから自殺が少ないし、気候の違ひ、江戸時代に武士を特権階級と見られないために切腹制度など、私が1分間考へただけでも、原因は続々と出て来る。
インターネットで調べると、この女性は決定的に悪いものがある。通訳として参加し
初期仏教の律文献で禁じられている行為の数々に目を向けてみると,僧侶は同性愛も含め,さまざまな性行為を行っていたのがわかる。

刑法に殺人罪があるからといって、今の時代のすべての人が殺人罪を犯す訳ではない。同じやうに律文献に同性愛やさまざまな性行為が載るからと云って、普通の出家者はそんなことはしない。ごく稀にそんな人が出るから載っただけだ。通訳とは云へ、そんなことも判らないのがこの女だ。西洋かぶれが、仏道を批判する目的で仏道を習ってはいけない。(終)

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