千三百四十七 心地よい感覚(「ケチャまつり」「創価学会と大石寺の喧嘩別れ」から探る)
己亥、基督歴2019+3α年、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
八月六日(火)ケチャまつり、東京オリンピックの前後
芸能山城組の「ケチャまつり」を観て、そして「ケチャまつり」のパンフレットを読んで、心地よい音の重要性を再認識した。私が心地よい音の存在に気付いたのは、小学校低学年だった昭和39(1964)年に、NHKテレビが「チロリン村とくるみの木」の暖かい主題歌から、「ひょっこりひょうたん島」の無機質の主題歌に変はったときだった。これで世の中が悪くなると直感した。そして今に至るまで、この直感は正しかった。
東京オリンピックと、所得倍増計画の影響で、世の中が急変したことも原因だ。私は小学生だから、世の中の動きは判らなかったが、矢島覚道さんと云ふ僧侶が昭和五十五(1980)年頃に、東京オリンピックがあってから全国のどこの都市も特長がなくなった、と述懐された。矢島覚道さんは矢島周平さんの御子息で、戸田城聖さんの経営する信用金庫が営業停止になり、戸田さんは責任を取り創価学会理事長を辞任し、後任の理事長が矢島周平さんだった。矢島さんは後に大石寺派の僧侶になった。
ご子息も後に僧侶となった。このころ創価学会と大石寺の第一次紛争があり、矢島覚道さんなど宗内の1/3の僧侶が正信会を結成し、後に顰斥(ひんせき、僧籍剥奪)になった。

八月七日(水)大石寺派末寺の信徒だった時代(早口の読経唱題)
正信会が顰斥になる前まで、私は大石寺側の末寺に所属したが、当時は創価学会と大石寺が喧嘩別れする前なので、多数の創価学会員が来て早口で題目を唱へる。私はあれが嫌だった。
同じことを昭和四十五年頃言った人がゐる。宇井さんと云ふ創価学会の大ブロック担(壮年部が大ブロック長、婦人部が大ブロック担)で、その昔は支部婦人部長を務めた中堅幹部の大先輩とも云ふべき人で、本来はもっと上位の役職に就くべき人だが、年令もあり大ブロック担と云ふ中堅幹部の最下位に留まった。その宇井さんが青年部の勤行について「ナメレケ、ナメレケと聞こえるから、もっとゆっくり唱へるべきだ」と発言し、私も同感だった。
創価学会の中堅幹部から宇井さんのやうな人がだんだんゐなくなり、私は高速の読経と唱題が嫌ひだから、創価学会を退会し大石寺側末寺の信徒となった。ところが私の主張に文句をつけた人がゐた。Hさんと云ふ僧侶で、早い読経に反対するのは異流儀の堅樹派だと言ひ出した。私は大石寺側の僧侶や信徒にこのことを云ってはゐない。創価学会を批判する文脈で言ったのだらう。Hさんは大石寺派僧侶で最初に博士号を取った人で、正信会から大石寺側に寝返ったり、宗会議員に立候補し当選したり、派手な活動を続けてゐたが、いつの間にか大石寺派を飛び出した。
この人は古いことを壊すのが好きで、私は逆に伝統を重視するから、仲が悪くなり、それで私の高速読経批判を批判したのだらう。私は高速で読経すると早口言葉の練習みたいで心地が悪いから批判したのだが、堅樹派は鼻から息を抜いて読経することを禁止したのであって、まったく内容が異なる。私は鼻から息を抜く読経は賛成だ。例へば正信会といっしょに顰斥(ひんせき)になった大石寺派でも指折りの碩学、手塚貫道さんは鼻から息を抜く読経のテープを販売し、私も1つ購入した。

八月八日(木)大石寺側末寺の信徒だった時代(伝統の重視)
Hさんが法主に不正確なことを言ひつけたのだらう。青年部の大会で法主が挨拶し「そんなことではいけないんだ」と怒鳴って机を叩いた。当時、伝統が重要だと主張するのは、創価学会が破門される前の信徒数約1000万人のなかで私一人だけだから、あれは私がどなられたのと同じだ。法主から机を叩いてどなられたのは、池田大作さんと私だけだ。
これだけならまだよい。Hさんがいい加減な情報を伝へたからだ。ところが帰りのバスで、青年部長や男子部長ではない名前の判らない一人が「今度の猊下がどう云ふ立場なのか判らなかったが、今までと同じでよかった」と大はしゃぎした。これでは信仰ではなく法主の政治利用だ。細井日達さん以降の大石寺派は、実に心地の悪い集団になった。
まだある。細井日達さんが亡くなり密葬のとき「おい見ろよ、法道院の誰々が来てゐるよ。あれ何々や何々まで来てるよ」と大声で話す人がゐた。前総監の早瀬日慈さんが総監を退いたとき、阿倍信雄(しんのう)さんが総監を継いだが、大僧都だから法主にはなれない。だから早瀬さんが次期法主になる可能性があったが、このとき無くなった。だから安心して法道院の上層部を馬鹿にしたのだらう。これも心地の悪い話だ。

八月九日(金)正信会の信徒だった時代
正信会が顰斥になったあとは、私だけ大石寺側に残るのは顰斥になった人たちに悪いので、私も埼玉県大宮にある矢島覚道さんのお寺に移籍した。しかしそのうち連合会を造ると言ひ出した。連合会とは旧信徒を、創価学会から資金と人的指導を受けて創価学会と同じ形態の組織にしたものだった。
連合会は上意下達で、およそ宗教とは思へない心地の悪い組織だ。だから私は正信会のお寺から脱退した。私の離脱基準は、心地良いか悪いかだ。
今は上座の仏道に参加するやうになった。インターネットに載るサヤドジー(高齢の長老)の唱へる読経は、節が付いて心地がよい。普段の読経では節を付けないが、これは節を付けると合はせるのが大変なためだと思ふ。僧侶は戒律を守り生涯独身を保つ。これも心地よい。二千五百年間続いたと思はれる伝統がたくさんある。これも心地よい。

八月十日(土)心地の良さと悪さ
伝統は心地よく、最近始めたものは心地の悪いものが多い。これは平均値の話で、最近始めても心地のよいものもある。古くからありそれが今も続くとなると、これは心地よいから今まで続いたとみるべきだ。だから守旧派などが伝統だと言っても、心地が悪いものについては、存続を拒否して構はない。
大石寺は細井日達さんの時代にも、それまでの伝統を保ち続ければよかった。さうすれば創価学会が布教を停止することはなく、従って離脱することもなかった。なぜなら創価学会は布教のための団体で、布教が完成の後は解散することになってゐた。
創価学会が離脱した今となっては、大石寺派の法主に権力が集中するやり方は実に心地が悪い。これは、旧本門宗の八本山の伝統に反するものだし、大石寺派内の衆議、能化、各子弟関係などの伝統にも反するものだ。旧本門宗を離脱したあとの、宗会議員、参議、宗務総監にも反するものだ。大石寺は旧本門宗の八本山のなかで突出するのではなく、北山本門寺、京都要法寺程度の末寺を持つ寺院として、他の本山と交流できる状態に戻ることが一番心地よい。
そのやうなときに正信会の存在は貴重だ。一番伝統を保持してゐる。(終)

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