千三百四十二 夏休み特別企画第三弾 芸能山城組を称賛(ケチャまつり)
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
八月一日(木)
新宿三井ビルでケチャまつりを開催してゐるさうだ。会社の帰りに早速寄ってみた。三井ビルのホールは以前声楽の音楽会が開催された。そこに行ってみたがいつもと変はらない。反対側を出てエスカレータで降りると、やってゐる。
とは云へ、休憩中だ。書籍の模擬店の人に訊くと、午後八時からで、その前にバナナのたたき売りがあるさうだ。会社の帰りで長ズボンなので暑い。パンフレットを頂き、そのまま新宿駅に向かった。
八月二日(金)
今日も帰宅のときに新宿三井ビルの55広場に寄った。昨日よりは掲示をよく見た。インドネシアのビールを飲まうとも思ったが、そのまま新宿駅に向かった。
ケチャは午後八時からだから、見終はって家に帰ったのでは遅くなる。最終日は午後七時からだ。そこで、明日の土曜は夕刻から「じゃんがら念佛踊り」を観る。体の耐熱度に余裕があるときは「ブルガリア女声合唱」「ジョージア男声合唱」、更にはガムランの演奏と踊り」を観る。日曜は夏休み特別企画第二弾(その二)東急バス1日乗車券で武蔵小杉と新代田橋に行くを実施し、そのあと夕方七時に新宿三井ビルに行く計画を立てた。
八月三日(土)
午後三時五分前に家を出て、駅まで歩いた。太陽はかなり傾くと期待したが、気温は高いままだ。駅に着いた時点で、体の耐熱度は限界に達した。電車のエアコンで耐熱度を多少取り戻し、新宿駅の混雑で再び余裕がなくなり、新宿三井ビルに着いた。
じゃんがら念佛踊り(福島県いわき市)と、鹿踊(ししおどり、岩手県江刺)を観た。鹿踊を観たあと、どちらも地元の人たちが来られたのかと思ったが、パンフレットを読むと
芸能山城組弟子入りし現地での稽古を重ねている奥山行上流餅田鹿踊保存会の皆様の特別協力・出演を得て上演します。
とある。じゃんがら念佛踊りは芸能山城組、鹿踊は主演など数人が保存会で残りは芸能山城組のやうだ。
ブルガリア女声合唱、ジョージア男声合唱は、どちらも西洋音楽の範疇に入る。それは和音を多用する上に、西洋音楽を外れるものがない。パンフレットを読むとブルガリア女声合唱について
実は伝統的な民謡そのものではなく、それらを素材として、二十世紀後半以降に作曲された創作音楽です。
とある。ブルガリアの民謡をインターネットで聴いてみたが、これもほとんど同じだ。一方で
芸能山城組は、半世紀前の一九六八年、母国以外では世界で初めてこの合唱の際現に成功して以来、ビームのような声によるブルガリア合唱の精髄に(以下略)
なるほど、響かせない発声はブルガリア合唱の特徴だった。次のジョージア男声合唱は最初の数曲を聴いただけで、体の耐熱度が限界なので帰った。パンフレットによると
鋼のように強靭な声、単純に割り切れないリズムとユニークな合唱形式、そして独特の音律から生み出される異次元のハーモニー。
発声が、ブルガリア以上に西洋と異なる。インターネットで芸能山城組の合唱を聴き思ったことは、途中で帰らず最後まで聴けばよかった。それほどすばらしい。
八月四日(日)
暑いので、二日連続で出歩かないほうがいいと云はれ、バス旅行は中止した。インターネットでケチャ、ガムラン、ジェゴグを観て、本日の新宿三井ビル行きも中止した。
ケチャまつりのパンフレットは冒頭に
ケチャまつりは、文明のあり方を根底から問い直す芸能山城組の「行動する文明批判」を実験する場となってきました。
これは大賛成だ。文章は続き
この祭りを始めた当時は、西欧近現代文明への信奉が絶頂をきわめ、「共同体的な人のつながりを断ち切り<個>を最優先して<専門分化>を推し進めれば、文明は進歩し人類は豊かになる」という幻想が社会を支配していました。
ここまでも大賛成だ。
そして「マツリ」は、近代化を損なう旧弊をイメージさせるものとし蔑まれていたのが実態です。
ケチャまつりは今年で四十四回目。今から四十三年前は、ベトナム戦争が終はった翌年で、世界では共産主義側がピークを一年過ぎ、日本国内では革新系の知事、市長が衰退を始め、総評が解体に向かひ始める年だった。
私が当時から今に至るまで共産主義に期待することは、西欧近現代文明による地球破壊と、非西洋地域への文化破壊を止めさせることだ。芸能山城組とは接点が大きい。
芸能山城組がブルガリア女声合唱を始めたのは1968年、ジョージア男声合唱を始めたのも1960年代。どちらも東欧だ。共産主義が陥りがちな欠陥である単純唯物論を、伝統芸能で克服した。
八月五日(月)
ケチャはインターネットで三回観た。観れば観るほど面白くなる。アジアや日本との共通点が幾つもある。まづ、聖水を皆に掛ける。これはタイの上座のお寺で体験した。八王子のタイ寺院の屋外で、多数の信者に向かって聖水を筆の大きなもので掛けた。
上半身を動かしながら歌ふ。これは真宗の坂東節にそっくりだ。こぶしをきかせる歌ひ方は、日本の民謡や歌謡曲と同じだ。芸能山城組がなぜケチャを選んだのか、判る気がする。(終)
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