千三百十七(その三) ジャータカ全集第三巻
己亥、基督歴2019+3α年、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
六月六日(木)第二百二話いたずら好き前生物語、第二百二十八話カーマニータ前生物語、第二百三十一話履物前生物語
第二百二話は、ラクンタカバッディカ長老が
仏の教え(に通じていること)で知られ、有名であった。美声の持主で、節気用がうまく、さわりない理解表現力をもち、煩悩をまったく滅していた。

ところが
背が低く、まるで見習僧のようであり、(中略)地方に住む三十人ほどの修行僧が、「<十の力をもつ人>(仏)をおがもう」とジェータ林に入ってきて、僧院の楼門のところで長老を見かけ、
「あいつは見習僧だな」と思いこんで、長老の法衣のすそをつかんだり、手をつかんだり、頭をつかんだり、鼻にさわったり、耳をつかんで揺り動かしたりして手荒なことをした。

このあと三十人は釈尊に説法の上手な長老がどこにゐるか訊き、先ほど手荒なことをした人だと云はれる。比丘は沙弥だからと云って、そんなことをしてよいのか。この話が作られたのは部派の時代で堕落してゐたのかと疑ってしまふ。

第二百二十八話は欲の深い王様を、そのとき神々の王サッカであったボーディサッタが改心させる話で
サッカはかれに訓戒を与えて、戒を守らせて、天界に帰った。王もまたそれ以後、布施等の功徳を積んで(以下略)

ここで注目すべきは、信者も戒を守ることの大切さで、戒とは道徳的な振る舞ひのことであらう。五戒だけ守れば国王として十分とは思へないためだ。第二百二十八話はよい話だ。

第二百三十一話はボーディサッタが象の調教師のときに、一青年が来て弟子になった。ボーディサッタは惜しみなく知識を教へた。
その青年が王様にお仕へしたいとボーディサッタに云ひ、ボーディサッタは彼のことを王様に話した。王様はボーディサッタの半分の給料なら仕へさせよと云ふので、帰ってから弟子に云ふと、先生と同じ給料ではないと仕へないと答へる。そして王様の前で子弟がそろって実演することになった。
ボーディサッタは一晩で象に逆を教へた。そして翌日、弟子の実演は師匠の逆なので観衆が怒って土塊や棒で弟子をなぐりつけて殺した。弟子はデーヴァダッタ、先生は釈尊だが、これは最悪の話だ。先生は弟子に出過ぎたことをしないやう指導をすべきで、観衆に殺されるやうに仕向けてはいけない。

六月七日(金)第二百三十四話アシターブー前生物語、第二百三十九話青ガエルの子前生物語
第二百三十四話ではカシナ瞑想と云ふ言葉が出て来る。これは論蔵や清浄道論に出て来る方法で、第二百三十四話は後期の作だと思ふ。

第二百三十九話は、水棲の蛇が魚を食べながら魚網に入ってきた。たくさんの魚がヘビに噛みついて血まみれにした。蛇は苦痛で漁網から抜け出ると、ボディーサッタの前生の青カエルがゐた。蛇が
「きみ、青ガエル君よ、きみはあの魚どもがしたことが好きかね」

と尋ねると、青ガエルは
「そうさ、友よ、好きさ。なぜかと言えば、もしもきみがきみのそばに寄ってきた魚をたべるならば、魚もまた自分の所に来たのを食べるさ。(以下略)

魚の群れも漁網から出て、蛇を殺して去った。この話で青カエルはボディーサッタなのに、ずいぶん冷淡だ。食べたり食べられたりするのが自然界の掟でも、ボディーサッタなのだからすべての動物が共棲できる方法を見つけてほしかった。

六月八日(土)第二百五十六話古井戸前生物語、第二百五十八話マンダータル前生物語
第二百五十六話は
商人たちは(中略)商売をするために出かけるとき、如来を招待した。大布施を行ない、帰依して戒を保ち、師に敬礼して

大布施の部分が気に掛かる。富豪が多額を布施することは仏道の繁栄に繋がるから好ましいが、王族や富豪から過度の寄進を受けたことが部派時代の複雑な理論に繋がるとともに、これまで指摘したやうに堕落の跡がジャータカにも見られる。

第二百五十八話は、ボディーサッタがマンタータルとなり八万四千年王子の楽しみを享け、八万四千年副王、八万四千年転輪王を勤めて、まだ寿命が来ないので欲望を満たすことができず、四大天の天界の王を勤め、更に楽しい場所を求めて三十三天界に行き、神々と王国を二分し、半分を統治した。それから何万年も経過し、サッカは次々と代が変はったが、マンタータルは寿命が尽きなかった。
マンダータルは
サッカを殺して、一人で国を治めよう

と考へたが、この欲が原因で寿命がつき
人間の身体というものは天界においてはこわれない。そこでかれは天界から落ちて、庭園におりた。/園丁はかれが来たことを王族に知らせた。(中略)大臣たちはたずねた。/「王さま、あなたがおなくなりになった後でわたしたちは[みなに]何ともうしましょうか」

このあと王様は、転輪王、天界での自慢話を人々に伝へよと述べる。今回の話は韻文にはまったく出て来ない。これが唯一の救ひだが、釈尊の前世がこんな欲の深い話だったと云ふ注解が発生することは、部派時代の堕落を示す。

これでジャータカに関する特集は一旦終了するが、今の時代に堕落と考へたことが、当時はバラモンの堕落と比べればはるかに改善されたものであったり、少なくとも我々が現在の上座部を見るときに堕落は感じないのだから、法を現在まで伝へてくださった二千五百年間の比丘、比丘尼と、二千五百年間それを支へてきた優婆塞、優婆夷には、どんなに感謝してもし切れることはない。
釈尊の入滅後は、経典の暗記と云ふ重要な任務が比丘、比丘尼に課せられた。このことは、釈尊在世時と、釈尊入滅後に、比丘、比丘尼の役割に大きな変化を生じた。このことを踏まへて仏道を研究することは有意義だと気付いた。(終)

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