千三百十九 ハーバードビジネス『企業は利潤追及以上の「意義」を必ずしも必要としない』を批判
己亥、基督歴2019+3α年、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
六月九日(日)
ハーバードビジネスレビューにロンドンビジネススクール教授フリーク・バーミューレンさんの
  企業は利潤追及以上の「意義」を必ずしも必要としない

が載ったので、これを批判したい。
企業がパーパス(存在意義)を掲げることは、従業員を鼓舞する原動力となる。そのように言われる機会が増えてきたが、本当にそうなのだろうか。パーパスのような高尚な目標の存在は、鼓舞するどころか冷笑されることすらある。筆者は、企業は明白かつ究極の意義として「利潤追求」を明言すべきだという。

これは間違ひではない。とは云へこの目的だけを目指すと、従業員はうつ病や内臓疾患や退職者が続出し、大変なことになる。膨大な利益を横取りするハゲタカファンドみたいな連中さへ出て来る。そのことはこの人も判るらしく
ここでヘッジファンドについて考えてみよう。彼らは、企業の終焉を糧として社会に巣食う、経済的ハゲタカとして描写されることがよくある。たとえば英国国教会は、ヘッジファンドを「銀行強盗」とか「資産収奪者」と呼んだ(みずからもヘッジファンドから利益を得ていたというのに)。

それに対して
たしかにヘッジファンドは、収益性の低い企業の終焉を早めることもあるが、そうすることで経済活動を改善し、その過程で大きな富を生み出すのだ。
したがって、企業は利潤追求に励むことを恥じる必要はない。もちろん、そのうえでの重要な注意事項がある。利潤を追求しながらも、自然環境を傷つけたり、従業員を不当に扱ったり、利害関係者を欺いたりしてはならない。むしろ持続可能性と従業員の幸福は、競争優位の源泉となりうる。

これなら私も、この人の意見に賛成できるかも知れない。この先を読むと
従業員は(中略)「現場での意義(local meaning)」と呼ぶものによって鼓舞される。(中略)人は、自分の仕事の直接的な影響を観察し理解するなかで、意義を見出す。つまり、その仕事が具体的に誰に、どのように影響を及ぼすかである。複数の研究によれば、顧客の匿名性を減らし、顧客との交流を促進することで、従業員は行動を変えて仕事ぶりを向上させる意欲を持つ。

これは正しいが、ヘッジファンドを正当化することはできない。この人はゼロサムの原理を知らないらしい。誰かが働かずに膨大な利益を得れば、多数の誰かが損をする。これまでは環境破壊と云ふ、未来の人類と多数の生物の生存権から利益を得ることで、損をする人や生物がごまかされて来た。今回はこの人も環境破壊はいけないとするから、それは無いものとする。
あと、工夫により省力化が為され、誰もが得したやうに見えることがある。これだって短期にはさう見えるだけで、長い目で見れば失業者が増える、熟練者が不要になるなど損をする人が出る。

六月十一日(火)
結論として、従業員にとっては意義がなくても、経営者の力量で士気を高めることができる。しかし経営者はどうか。そこには良心がないといつか失敗する。
その一方で資本主義は出資者が分散するから、良心が消失する。私が資本主義経済ではなく自然経済でと云ふ場合の自然経済とは、良心に基いた経営のことだ。そこには「意義」が必要だ。(終)

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