千三百五 クムダサヤドーの日帰り瞑想会
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
五月十日(金)
本日の午後三時から八時まで、ミャンマーから来日中のクムダサヤドー(サヤドーは長老の意味。以前はセヤドーとお呼びしてゐたが、在日ミャンマー人が日本語で「サヤドー」と表現したので、それ以降サヤドーで統一した)の瞑想会があり、私も午後半休を取り参加した。実は最初だけ顔を出して、あとは帰宅の予定だった。その理由は、図書館から借りた中村元選集第14卷「原始佛教の思想 下」)の返却期限が昨日だった。中村さんについては、1.中村さん支持者(中立系仏法学者)、2.中村さん批判者(藤本晃さんなど一部の上座信仰者)、3.差別用語だけ真似する者(ニセ学者)の三種がある。だから私のやうに、上座への信仰は強いものの中村さんの説にほとんど賛成と云ふ人は少ない。
私が瞑想会に行っても、参加者が一人増えるだけだ。それよりは、作成中のホームページを完成させたほうが、はるかに上座のためになる。さう確信してのことだった。
ところが、最初の初心者向け指導で、鼻から吸ふときと呼くときの空気を見ると云ふ指導に、空気をどうやって見るのかと質問し、回答を聞いたあと、肺から鼻まで全体を見るのかを質問し、これも回答を聞いたあと、鼻の下の皮膚と空気と両方に神経を向けるのかを質問し、そのあとすると空気に注意を向けるのかで最初に戻ったと質問者が答へたところで私が「これまで10年以上参加するが、99%の人は判る。判らないのは別の理由があって、それを解決したほうがいいですよ」と発言し、質問は収まった。
すぐ帰る予定だったが、心配になったので最後まで参加することにした。ここで問題になるのは、すぐ帰る予定だったからお布施は小銭で財布にあるもの全部(450円)を入れただけだった。最後まで残るのならお札をお布施するのだが、今さら封筒を一旦返してくれと云ふ訳にも行かず、450円と云ふ半端な金額になってしまった。

五月十一日(土)
三回の瞑想のあと、法話があった。私はすぐ帰る予定だったから筆記具を持参しなかった。そこでスマホの録音機能を使った。私はこれまで録音機能は使ったことがない。うまく行ったか心配で、帰りにときわ台駅まで聴きながら歩いたが、よく聞こえない。本日になって家で聴くと、よく聞こえる。街中は騒音で聞き取れないだけだった。この録音はクムダサヤドーの肉声なので、我が家の家宝となった。内容は
アナワサと云ふ鬼がお釈迦様に質問「どの瞑想で輪廻を終りにしますか」。お釈迦様の答へは、布施、サダ(信)。お釈迦様、ダンマ、サンガ、カルマへの信。信があれば布施したいと思ふ。信がないと思はない。
信があるとセガ(戒律)を守りたいと思ふやうになる。五戒は、盗まない、殺さない(動物も駄目)、嘘をつかない、不倫しない、麻薬飲まない。戒律できるやうになるといいことばかり。
信が高まるとサマディが出て来る。サマディが高まると信も高まる。第一禅定から第四禅定、アカタネチャナ(空)、ウィナネサナチャチャナ、アケゼナチャナ、ネワゼナチョナ。全部で八つ。これがサマタ。
信が高まると八種類できるやうになる。三十二身分が見える。男も女も動物もゐない。三十二身分しかない。更に高まると微粒子が見えるやうになる。ビル(建物)も微粒子が見える。
体に集中すると、固い、液体・・・。つまり地水火風。色、臭ひ、味、栄養素。体の八種類見える。ミョコ(体の要素)、透明の要素もある。9種か10種。これがルパ(物質)。
信が高まると、無常、苦しみ、苦しみは自分では制御できないから無我。三つが判りヴィパサナまでできるやうになる。
道智、果智で涅槃に行ける。以上が鬼の質問へのお釈迦様の答。
信はどこまで。戒で留まるか、サマディで留まるか、最後まで行けるやうにする、最低でもヴィパサナまで。ヴィパサナから涅槃は簡単になる。海の中の砂くらいお釈迦様がたくさんゐるのに、涅槃に行けないのは、ヴィパサナまでできないから。ヴィパサナまで行けないのはサノディまで行ってないから。涅槃にはまだ行けなくても、ヴィパサナまで行けるやうにしてください。

以上の貴重なお話があった。

五月十二日(日)
毎年来日を企画される方のホームページによると、4月26日(金)朝7時にお世話人のアウン・ミンさんと成田空港に到着。27日~5月6日群馬県みなかみ町にて瞑想合宿。10日東京で日帰り瞑想会。11日(土)浜松で日帰り瞑想会、24日~27日福岡で合宿瞑想。
ウン・ミンさんは、初心者指導の通訳をされた男性だと思ふ。瞑想会最後の法話は、別の女性が通訳をされて、難しい仏法用語はこの男性が助け舟を出された。あと、会場の中央辺りに中年の熱心なミャンマー人女性が座り、一回助け舟を出された。
今回の法話で印象に残ったことは、信の大切さだ。ミャンマーでせっかく出家しても、年月を経て上座に敵対したり(マハーカルナさん)、還俗し比丘でも在家でもない奇妙な立場で瞑想指導者を続けたり(井上ウィマラさん)、上座だか大乗だか不明の独自宗派の教祖になったつもりの人(山下良道さん)を見て、ミャンマーの人たちの善意(比丘に寄進)を無にする行為に不快感を持ってゐただけに、印象に残った。ミャンマーに行っても英語で指導を受けたのでは駄目で、ミャンマー語を学ぶべきでは、と思ってゐたが、信を高めることこそ、最善策であった。
あと、サマタ瞑想の大切さも印象に残った。ヴィパサナまで行けばあとはすぐとの言葉が印象に残った。仏法僧への信に加へて、そのあとカルマへの信を入れられたことも印象に残った。
十年ほど前に、クムダサヤドーが来られ、公園横の集会場で瞑想会があった。世話人の案内で、雨の日に公園を散歩に出掛け、サヤドーは私が傘立てに置いた傘をさして出られた。その間、私は建物内にゐればよいのだから、別に困りはしなかった。あの傘にはご利益があるかなと、冗談ではあるが思ってしまふ。(終)

固定思想(二百四)へ 固定思想(二百六)へ

メニューへ戻る 前へ 次へ