千二百四十六 マインドフルネス理解の変遷
平成三十戊戌
十二月十六日(日)
マインドフルネスとは、気付きのことだ。止観(瞑想)には止(サマタ)と観(ヴィパッサナ)があり、止は心を静めるため、観は気付きのためとされる。つまりマインドフルネスとは観の目指すものだ。
私のマインドフルネスに対する解釈は25年間で大きく変化した。まづ最初にマインドフルネスの語を聞いたのは、二十五年前の総持寺の日曜参禅会だった。質問会を四柱会と称し、東老師(東隆慎さんではない別の方、名前を忘れた)が指導された。おそらく僧籍を持ったまま英語の教師をされ、退職後に総持寺で日曜参禅会や外国人に指導されたのだと思ふ。その東さんがあるとき、上座部仏教の僧侶と会ったがマインドフルネスと言ひながら修行してゐた、とのことだった。
東さんはマインドフルネスが何かについて何も云はれなかったが、私は心が満たされる、つまり小欲知足のことだと勝手に解釈した。この解釈は昨年辺りまで続いた。その理由は英語圏でしか使はないからだ。
十二月十七日(月)
マインドフルネスとは気づきだと知ったのはケネス田中さんの著書に書いてあった。日系アメリカ人のケネスさんが云はれるのなら、それが正しい。
その状態が続いたが、最近名前は判らないが或る上座部仏道の長老が、マインドフルネスとは気付くことではなく、気付くことができる状態になることだと書いたものを読んだ。
なるほどこれは威力がある。止観のうちの観の中で気付くこともあるが、観が終る瞬間、或いは終って経典や長老の書かれた書籍を読んで気付くこともある。私は予てさうではないかと内心は思ってきたし、このホームページでも書いたことがあった。経典に、止観を終へた瞬間に阿羅漢になった話もあるが、標準とは外れた例外だ。
今回、その長老の著書を読んで、多くの人にとってさうなのだと判り心強くなった。とは云へ、人により異なる。止観の最中に気付く人もゐれば、別のときに気付く人もゐる。
気付きも一回で涅槃に達する人もゐれば、仕事や世間のことに気付き、それで満足する人もゐる。来世に期待する人もゐる。一番目は比丘や修道尼、二番目は止観に参加する信徒、三番目は伝統的な信徒に多いのではないかと思ふ。
十二月二十二日(土)
四諦を考へると、四諦こそマインドフルネスだ。とは云へ、比丘と在家の違ひがある。止観を仕事に役立てるには、気付くことができる状態こそ尊い。気付くことができれば仕事がうまく行く。(終)
付録十二月二十四日(月)
日本人向けミャンマー経典学習会の世話人をされてゐるIさんのニフティーココログに、モービ僧院に女性用瞑想ホールが落成した記事が載った。
三階がガラス張りの瞑想ホール、1階と2階は宿舎。落成式には多数の信者が集まり、仏像側は対数の比丘、仏像に向かって多数の信者で最前列には修行尼の姿もある。クムダサヤドーの導師で読経し、お布施の受領書を渡す。
Iさんの主宰するはらみつ法友会がここ2,3年で送ったお布施の総額5千780万チャット(約416万円)の領収書もある。はらみつ法友会はクムダサヤドーを毎年日本に招聘し合宿を行ふ。そのときのお布施も入ってゐるのだらう。
昨年の記事を引用すると
モービ僧院の正式名称は「パオ森林僧院モービ支部シュエティッサ僧院」。(中略)セヤドーは、「ここまで大きくセンターをつくるつもりはなかったのですが、最終的に『モービ・パオ』という名前で広く知られるようになりました」とおっしゃっています。/もともとは、モービの森で一人静かに瞑想をしていたのだそうです。/何もない所から始まった僧院も、いまはクティ(修行者の宿舎)が100を超え、修行者も60人を超えています。瞑想を行っているシーマホールも狭くなってきたので、新たにもう1つ建設しようということになりました。こちらは女性用の瞑想ホールで、3階建てで、宿舎も併設されます。
私自身は、上座の仏道が二千五百年間続いた理由と、今でもタイ、ミャンマー、スリランカなどで広く支持されてゐる理由を知り、上座の仏道を日本にも広めることにより大乗の仏道も再生させることが目標なので、瞑想に必ずしも熱心ではない。
社会が複雑になり瞑想を熱心に求める人が増えた。これは仏道の新しい繁栄であり、将来も安心だ。ただし瞑想に集中するあまり、上座の仏道から離れて歌ふ瞑想、バージョン幾つ、原始仏教と勝手な主張をする人が最近は目立つので、上座の仏道に帰ってきてほしいと願ってゐる。
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