千百四十七 ケネス田中さん「英語法座」
平成三十戊戌
五月二十七日(日)
昨夜は、築地本願寺の英語法座に参列した。前に二回か三回参加したがその後、二年ほどご無沙汰してゐた。ケネス田中さんが講師なので久しぶりに参拝した。題は「Introducing Jodo Shinshu through Humor:the Path of Naturalness」だった。テレビでは、英語と日本語を交互に話されたので今回もさうなのかな、と思ったところ英語だけだった。ケネスさんの英語は聞き取りやすく判り易く、しかし仏教用語が混じるから判り難い部分が少しあり、全体ではMiddle path(中道)だった(ここはJokeです、私もケネスさん式にJokeを入れました)。
親鸞聖人降誕会の献灯、焼香(Gotan'e: Gathering to Celebrate the Birth of Shinran Shonin)。 次に通常の法座に入った("The Aspiration 2",Sutra Chanting "Juseige",Gatha "Shinshu Anthem",Recitation of "Three Treasures")。アメリカ式の宗歌斉唱は心地よい。それと比べて日本で制作された形式はどこか調和に欠ける。
次に英語での法話(Dharma Talk Rev. Kenneth Tanaka)。4つの話があり1つ目は
Names for this school: "Jodo Shinshu" [...] "Sin" Buddhists?

2番目は4つのHとして
Here-and-now
Honesty
Humility
Householder [...]Neither monk nor lay

3つ目と4つ目は
Genza,a Myokonin[...] *"I'm so grateful that the holes of my nose are pointing down and not up!"
"Our teaching is the ultimate expression of Mahayana Buddhism" not *"Christian Buddhists" as some think about us!

以上の大変ユーモアを交へて面白く、しかも有意義なお話だった。最後に礼拝(Recitation of "Benediction")、流れ解散の焼香で滞りなく終了した。

五月二十九日(火)
二階講堂の裏で懇親会(2000円)があり、これにも参加した。途中で全員が英語で自己紹介した。私なんか英語を始めて三十余年。仕事でも英語を使ふし一年近く海外出張の経験がある。自身を持って話し始めたが、終ってみて三つ改善点があった。
まづ母方の祖父の家は浄土真宗本願寺派末寺の檀家総代だった。それなのに寺の名前が出て来なくて一〇秒くらい空いてしまった。出て来なかった理由は頭が疲れてゐたためで、これは後で述べたい。
二番目に、母方の実家は浄土真宗、父型は浄土宗なので
JodoShinshu is Shin, while Jodoshu is old. It is My joke. Let me explain. Shin has two meanings. One is Shin, and second is new.

と話した。ケネスさんはユーモアが多い話だったので、私も習ったのだが、後で考へるとケネスさんにも
Shin. But he makes mistake "Sin".

の話があった。私は浄土真宗を新、浄土宗を旧とするjoke、ケネスさんは浄土真宗を真、そのスペリングミスをsin(罪)とするjokeだから別の内容だが、聴く人は私の話を二番煎じと感じてしまふ。
三番目に、浄土真宗との関係を強調する必要があると思って、母方の曾祖父は檀家総代だと話したが、私が上座部仏教に参加したり、前は池上本門寺や芝増上寺にも参加したことを会場は知らないから、話す必要はなかった。檀家総代の話をすると、単なる自慢話と取られてしまふからしないほうがよかった。

以上の反省点を生じた根本の理由は、頭が疲れていつもの三割くらいしか働かなかった。英語の法話を一時間半聴いて頭が疲れた。過去にも一日英語で打ち合はせて夕方に頭が疲れることがよくあった。あれから二十年。考へてみるとここ二十年間は仕事で英語を使ふことがなかった。
会場に何と、上座部仏教でお会ひする日本の僧侶の方がゐた。この方はケネスさんやケネスさんの奥さんとも親しく話されてゐたので、今度ミャンマー寺院でお会ひしたら、いろいろと仏教会話をしたいものだ。

五月三十日(水)
ケネスさんは加州(日系人が使ふ表現)ではBerkeleyを本拠とされる。Palo Altoのベトナム寺院、Fremontのタイ寺院の両方のご住職をご存知とのことだった。
Fremontを私はフレモントと読んでゐたが、ケネスさんの奥さんが横から助け舟を出してくださってフリーモントと読むことが判った。家に帰って、2つ間違ひに気付いた。
自己紹介で、San FranciscoのBon Festival(盆踊り)で浄土真宗本願寺派の僧侶が挨拶されたので、英語講座に参加するやうになったと云ったが、San FranciscoではなくSan Mateoだった。San Fransiscoから高速道路101号で20分。ここにも浄土真宗本願寺派の寺院がある。
Fremontは西岸だと思ってゐたが東岸で、西岸はPalo Altoだった。これではフレモントが通じない訳だ。
1時間半の英語で頭の働きが3割に落ちた。思へば仕事で英語を使はなくなって18年を経過した。ただしBBCやCNNのメールマガジンはずっと読み続けたから、英語力は落ちてゐないと思ふ。

五月三十一日(木)
私はアメリカから帰国して二年後(今から二十余年前)、パソコンにBBCのソフトをインストールした。画面のタスクバーのすぐ上にイギリスBBCの英語ニュースのキャプションが次々に左から右に流れる。データは30分に一回くらい更新される。それを見るだけでも英語の勉強になるし、気になる見出しはクリックするとBBCの該当記事がブラウザで表示される。便利な機能だった。
パソコンを新しくしたところ、BBCのホームページからこのソフトのインストールが無くなってゐた。既存はサポートするが新規は廃止したやうだ。代はりに毎日メールでニュースを送ってくれる機能ができて、早速申し込んだ。CNNにも同じサービスがあり、これも申し込んだ。
それからは毎日、BBCとCNNのメールニュースを読んだ。ところが八年前に相次いで来なくなった。或いは会社のメールサーバが迷惑メール受け取り機能を強化して、海外からのメールは錯書するやうにしたのかも知れない。
四年ほど前にBBCで新しいメールニュースを申し込んだら、再び来るやうになり、それが今日まで続く。

六月一日(金)
今から三年前に英語の勉強は止めたことがある。まもなく定年を迎へるからだ。その数年前まで外国から輸入したソフトウェアを稼働させてゐるお客さんがあって、サポート料(もともと大型機で稼働させたのでけっこう高額を頂いた。それでもお客さんは大型機の時代と比べて経費を大幅に節減できたと喜ばれた)を頂き、年に数回は外国メーカーとやり取りをしたので、当社唯一の海外部門との自負もあった。
その仕事が無くなって数年、しかも定年間近。そんなとき築地本願寺の英語講座に出席し、再び英語ニュースを読み始めた。

私が仕事を意識して英語の勉強を始めて三十年。今から二十年前までは、勉強をすればそれなりに利点もあった。しかしその後、英語を勉強する人が激増し、今では膨大な時間を費やす割には利点が少ない。
最近は自動翻訳の発展が著しく、これはよいことだ。英語を母国語とする人たちだけが世界中でトクをして、インドヨーロッパ語族の人たちにとっては英語は方言だから少ない努力で習得でき、それ以外の我々は膨大な努力が必要。こんな不公平が無くなるからだ。自動翻訳の完成を以って真の国際時代と云へる。(完)

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