千百七十 伊那谷訪問記(小野宿、飯田市内、天竜峡、豊川、豊橋)
平成三十戊戌
七月二十一日(土)切符有効初日からの青春18旅行
青春18旅行は毎夏恒例になった。そして今年は伊那地方を旅行した。15年ほど前だらうか列車はすいてゐるし、時間帯によっては高校生が乗ってくる。車内の乗客は少ないし外の気温はそれほど高くはないから車内の冷房が効きすぎて寒い。私は7月の10日過ぎだと今まで思ってきた。しかし調べてみると青春18きっぷは昔から7月20日からだ。地域によっては農繁期に休みがあり、その分、夏休みが短いことがある。あのときは金沢など日本海側を旅行したが、どうやらそれだったらしい。
今年は久しぶりに7月20日に出発した。行き先も、今までのやうに途中一泊して目的地に二泊、帰路で一泊の合計四泊ではなく、目的地を移動して2泊することにした。

七月二十二日(日)小野宿
最初の目的地は小野宿だ。選択した理由は、まづ辰野の観光名所を調べたところ小野宿の古い建物が載ってゐた。しかし古い民家や宿場町だけだと全国にたくさんある。競争率が高い。そこで別の事実に注目した。松本城主石川数正と飯田城主毛利秀頼に領地争ひが起きたときに、豊臣秀吉が裁定し中央で分割した。
これだけだとまだ全国にある話だ。しかし小野宿の特徴は、今でも辰野町小野と塩尻市北小野に分かれてゐる。地元の小学生は辰野町塩尻市小学校組合立両小野小学校に通学し、中学生は塩尻市辰野町中学校組合立両小野中学校に通学する。ここで注目すべきは、小学校は辰野町が先、中学校は塩尻市が先だ。塩尻市と辰野町は絶対に合併してはいけない。この微妙な関係は、国宝、無形文化財、史跡、名勝、天然記念物、世界遺産に認定されてもよいくらいだ。

七月二十三日(月)小野宿の二つの神社
信濃国の二の宮が小野宿にある。一の宮は諏訪大社だ。二の宮は隣り合ふ矢彦神社と小野神社に別れる。境界の柵は無いから参拝者には一つの神社に見える。しかし目に見えない重要な境がある。矢彦神社は辰野町の飛び地、小野神社は塩尻市だ。
行政区域が別れることは大いに宣伝するとよい。豊臣秀吉の裁定で分かれたまま現在に至る神社となれば全国から参拝者が殺到するだらう。現在は矢彦神社に辰野町の標識はない。そればかりか矢彦神社から樋で流れる名水(私が行ったときも、ボトルに入れる人がゐた)には塩尻市の設置した注意書きがある。道路は飛び地の区域外で塩尻だからだ。
ぜひ「ここは辰野町小野」の標識を境内に友好的に設置し、辰野町小野と塩尻市北小野の発展につなげてほしい。神社には御柱も立つ。10年程前に諏訪大社を参拝したときに、道端の祠にまで割り箸を少し大きくしたくらいの小さな御柱が立ってゐたことを思ひ出した。

七月二十四日(火)信盛寺
この日はもう一箇所に寄った。それは伊那の信盛寺と云ふ大石寺末だ(以下その二として独立)。
この日は倒木のため、辰野駅で50分待たされることになった。小野は駅前にコンビニや信金がある。辰野は民家だけで何もない。辰野市の中心は駅から離れるからこれは仕方のないことだが、私はふと塩尻駅を思ひ出した。塩尻も駅前にビルしかない。あとホームの看板や駅前の塔に書かれた広告が、ワインか日本酒だ。理由の一つに塩尻駅は36年前に今の位置に移転した。その前は新宿方から来た線路は名古屋方に繋がってゐた。今でもその線路は貨物列車などに使はれてゐる。松本方から来た列車は、名古屋に行くには機関車を付け替へた。その手間を省くため、ホームと改札の位置を移動した。だから昔の駅前はまだ商店がある。今の駅前は何もない。
あとホームを移転するとなると、大変な反対運動が起きるはずだ。それさへ起きないくらい駅前はもともと寂れてゐたのかも知れない。塩尻は、諏訪岡谷地域と、松本の中間に位置する。双方のベッドタウンなのだらう。

七月二十六日(木)塩の道
小野宿に「南塩終点の地」と云ふ小さな石碑がある。辰野町の建てた「日本海太平洋塩の道会議」の説明板もある。説明板によると
太平洋沿岸で取れる塩を南塩といった。三河湾沿岸で取れた塩は、矢矧川を舟で運ばれ、さらに馬の背で足助まで運ばれた。この塩は「足助塩」として(中略)この地域(辰野小野宿)まで運ばれてきたと考えられる。
駿河湾から富士川舟運によって鰍沢河岸に陸揚げされたいわゆる「鰍沢塩」は、甲州街道を諏訪へ運ばれこの地域に入り、また、江戸沿岸で取れた塩や西国から江戸に運ばれた塩は「江戸塩」と呼ばれ、小野の石灰職人が上州高崎や倉賀野まで出向き、石灰を各地で売りさばいた後、帰り荷として道中で売りながら小野まで運んでいた。
一方、北隣の松本藩では、越後の塩を糸魚川街道によって移入し、他領へは売りさばかなかったので、松本藩領の北小野地方へは北塩が入ってきても、それ以南の伊那地方へは越後の塩は入らなかったと考えられる。(中略)南塩の終点地であったといえる。

上杉謙信が塩を武田に送った話の説明板も横に作るとよい。資料館にすると経費が掛かる。屋外に設置すれば観光資源になる。 

七月二十七日(金)地元振興のささやかな方法
ここ数年間、地元の振興のためささやかではあるか、行ってきたことがある。お金は地元で卸すことと、買ひ物も地元で行ふことと、地酒を飲むことだ。予めインターネットで信金の場所とATM利用可能時刻、信金ネットが使へるかどうかを調べた。信金ネットとは、全国の信金のATMで手数料無しで預入、引き卸しができる。
次に信金の向かひにファミリーマートがあることを調べておいたので、ここで昼食と270mlの地酒を購入した。ペットボトルの代はりに日本酒なので、よく考へると悪い組み合はせだ。異常な暑さが続くので水分補給しなくてはいけないのに、日本酒だと水分が余計に不足してしまふ。そのときは気付かなかった。これも熱さのせいか。
地酒は4種あり値段はどれも463円(税込み)だ。「夜明け前」は木曽だらうからまづ除外し、残りの3つも伊那ではない。里山辺で造ったものがあり、私の祖母は里山辺の出身なのでこれにした。
小野宿の辰野町側を見終はり、小野酒造店と云ふ酒屋に寄った。裏の蔵で酒を造ってゐるさうだ。「夜明け前」は小野酒造店の名酒で、勧められたのは270mlだが先ほど4銘柄のうち里山辺で造られたものを飲んだので、と前置きして180ml(250円れ消費税20円)を買った。この酒は美味しい。里山辺が判らない様子なので松本と言ったら理解してくれた。
パンフレットを頂いた。それによると小野宿は「夜明け前」とはゆかりの地だ。多くの観光客が小野宿を訪れて「夜明け前」を飲んでほしい。(終)

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