千百五十六 東北新幹線が6時間運休し、西郷どんを1分間見た(安倍様のNHKはナカマロだ)
平成三十戊戌
六月二十四日(日)
妻が仙台の実家に行き、帰路に新幹線が6時間運休し、帰りが夜9時になると云ふ。。私は一人で夕食を済ませたあと、テレビを点けてみると「西郷どん」が始まって30秒くらい過ぎたところだった。
長州など全国の志士たちが、二列にずらっと10人くらいづつ向かひ合って座る。皆の前には膳があり、西郷が皆の注目の中で一人だけバクバクと食べる。隣に座る同郷の志士が、皆がおはんの話を聞きに集まったのだぞと注意して、やっと西郷が口を開く。
このわざとらしい脚本は一体何だ。馬鹿馬鹿しいからすぐチャンネルを切り替へたが、こんなつまらないドラマは放送中止にすべきだ。民放ならとっくに中止だ。
六月二十五日(月)
皆が話を聞きたいと集まり注目するのに、それを無視して一人でバクバクと食べる。そんな者が明治維新を成し遂げた中心人物の筈は無いではないか。このドラマのつまらないところは、あり得ない話を次々に出すことだ。これまでに一番あり得ないのは、徳川慶喜の女郎通ひだが、二番目は皆の前で平然と飯を食ふ今回の西郷だ。
小さな話が集合し中規模、大規模の話になってゐないことは、前に指摘した。具体例を一つ挙げると、大久保が西郷に嫉妬して江戸同行を一旦断る話と、大久保が変に大人びて西郷をどなる話、大久保が藩上層部に掛け合って西郷の罪を軽くしてもらふ話。これらには一貫性が無い。まとめることのできない話を羅列しただけだ。しかも個々の話はつまらない内容ばかりだ。
六月三十日(土)
ドラマには芸術が必須だ。芸術とは美しい風景、美しい衣装、美しい音楽だけではない。これらの背後にある抒情も含まれる。市川崑さん監督の映画「ビルマの竪琴」を例に挙げると、まづ兵隊たちの合唱は芸術だ。鉄条網の捕虜収容所と外の釈迦像、釈迦像を礼拝するミャンマーの人々も芸術だ。大阪弁のお婆さんも芸術だ。水島上等兵と別れる皆の気持ちも芸術だ。
それに比べて「西郷どん」はいったい何だ。最初のころは、西郷家の大家族、木の上の休憩場所、そこを叩く大久保。どれもが芸術だった。それなのに途中から、芸術性が消滅した。
安倍様のNHKは、森友問題をスクープした記者を元に戻すとともに、芸術性に欠けるドラマは放送中止にすべきだ。ナカマロはいけない。(完)
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