千百四十七(その二) ケネス田中さんを賞賛(日本人に欠けてゐるもの)
平成三十戊戌
六月一日(金)
ケネス田中さんの法話を聴いて、日本人はケネスさんから学ぶべきものがたくさんあると気付いた。まづユーモアだ。これだけ楽しく話をする僧侶は貴重だ。事勿れ主義や権威主義の人にはユーモアが話せない。「出世に影響するのではないか」「こんなことを言ったら幹部がどう思ふか」と忖度してしまふためだ。

六月二日(土)
前にケネス田中さんが上座部仏教を批判するはずがないと書いたことがある。ここで云ふ批判とは悪口のことで、学術的な批判なら大いに歓迎だ。
懇親会で個別にお話しを伺ってゐるときに、上座部仏教で出家するとパーリ語の経典を覚えなくてはならないと話された。実は私も前から感じてゐた。お釈迦様の話された言語で経典を読むなんて素晴らしいことだ。しかし暗記に要する膨大な時間を考へれば、日本人に親しまれた漢訳がよい。もちろん日本語訳でもよいが、親鸞聖人の和賛と異なり、現代人の日本語訳は読誦するには重みに欠ける。
あと杓子定規な規則、儀式に馴染めるだらうか。杓子定規なところに上座部仏教が釈尊時代の教義を伝へた秘密がある。しかし外から見るのと中で実際に体験するのでは大差があることだらう。
日本の僧侶の中には上座部仏教を「小乗仏教」「自分の修行しか考へない利己主義」などと短絡的に云ふ人がゐる。これらを云ふ人は能力が劣ってゐるのだらう。更に求道心(ぐどうしん)がない。世襲制の弊害と云へる。
その一方で、浄土真宗は世襲なのに優秀で求道心のある人が多い。その理由は親鸞聖人の時代から妻帯だから後ろめたさが無い為と、妻帯の歴史が長いから寺院の運営、沙弥の育成などにノウハウがあるためだと推定した。
(余談だが最初、求道心の代はりに道念の語を使はうとして念のためコトバンクで調べたところ
1 道徳の観念。道義心。
2 神仏の道を求める心。求道心。
3 僧侶の妻。梵妻(ぼんさい)。

とある。調べてよかった。うっかり使用したら「道念は庫裏にゐます」と云はれるところだった。浄土真宗は「道念があり、道念も鎌倉時代から庫裏に居ます」と胸を張ってよい。)


六月三日(日)
ユーモアのある話は必須能力だ。今年の4月にそのことを実感する記事がマスコミに載った。入社一日目で退職したくなる新人が続出したといふ。
社長の挨拶は紙を読むだけだった。外資系のプレゼンとは大違ひだと云ふ。あと、ユニオンショップ労組の加入承諾書に調印させられた、と不満を述べる新人も記事で紹介された。
観光地のロープウェイでガイドの女性が同じ口調で話す(最近は録音かも知れない。昔は保安係員を兼ねて1台に1人乗務した)。あれは下手な話をごまかす効果がある。紙を読む社長も同じだ。どこの大会社もロープウェイみたいに同じ口調で話す。
外国の社長はスカウトされて来る。日本の社長は課長代理、課長、部長代理、部長、・・・と出世階段をよじ登りながらたどり着く。人と違ふことをやると途中でふるひ落とされるし、社長になったとき既に全エネルギーを使ひ果たした。
日本経団連は社長向けにケネス田中さんを呼んで法話を聴くとよい。ケネスさんもその場でどんどん布教するとよい。エネルギーを使ひ果たした社長を復活させるには、宗教が必要だ。(完)

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