千百四十五 スマナサーラ長老の著書を読む(「自ら確かめる」ブッダの教え)
平成三十戊戌
六月二十三日(土)四つの目標
この書籍は八年前に、大法輪閣から出版された。つまり日本の仏教関係者向けに書かれた。第一章(書籍ではLesson1と称する)と第二章は、仏教が宗教ではないとするもので、この件は前、全宗教(百六十二の三)で論じたので、ここでは繰り返さない。
この書籍には、一般人に取り有益な情報が幾つかあるのでこれを紹介したい。まづ第四章に
在家信者のための四つの目標の教え

の節がある。これは増支部のパッタカンマ経に書かれた内容で
だれでも喜んで期待する、しかし達しがたい四つの目標

である。

六月二十四日(日)四つの目標の内容
その一番目は
所有の楽(財産があること)です。
「正当な方法で得た財産がありますように」という希望です。(中略)それは、怠けず、精進・努力して得た財産です。

二番目は
認められる(名誉)楽があることです。
「正当な方法で財産を得てから、私と私の家族・親戚、師匠に名誉がありますように」という希望です。

三番目は
健康で長生きできる楽があることです。
「正当な方法で財産を得てから、私と家族・親戚、師匠たちが社会の敬意を得たところで、私が長寿でありますように」という希望です。

四番目は
死後、天界に生まれる楽があることです。
「正当な方法で財産を得てから、・・・・・長寿を得た私が、死後、幸福な天界に生まれますように」という希望です。

四番目の、死後は天界に生まれる楽は、信徒には一番合ってゐる。とは云へ展開に生まれて、その次は別のところに生まれて、を繰り返すことの虚しさに気付く人は、涅槃を目指すべきだ。私が推測するに、僧の多くも涅槃ではなく天界を目指してゐるやうな気がする。一時出家は特にさうだ。

六月二十四日(日)その二財産は正しい管理で活きる
恵まれた人には四つの楽があり、その三番目「義務を果たせる楽」には五つの義務がある。このうち「先祖供養の義務」では
皆、「先祖供養の正しい方法」に興味があるようですが、それよりも先祖供養すること自体が、在家の義務であると理解すべきです。「正しい方法」があるとしても、自分の生きている文化の中では実行できないこともあり得ます。簡単にいえば、皆がやるように先祖供養を行えば、社会人として義務を果たしたことになるのです。

これは現実的解決として、よい方法だ。次に「神々に対する供養の義務」では
各地方に住む人々は、土地の神々への供養をしなければいけない。財産に恵まれた人は、この義務を果たすのです。
(前略)だれかが仏教徒になったからといって、「これからは神社のお祭りなんか関係ない。私は神道ではなく仏教徒だから」というような、恰好悪いことはしないのです。伝統的なお祭りなら、進んで参加して協力して、それに必要なお金も出す。(中略)仏教徒が増えるほど、その社会はどんどん楽になって、過ごしやすくなるのです。

これは賛成だ。実はこの方法を取らない宗派が日本に二つある。浄土真宗と旧本門宗(現、日蓮宗の一部と日蓮正宗)である。創価学会は旧本門宗だから、戦後は社会を神社と切り離すことが半ば強制された。しかし実体は地域社会を破壊することであり、折り合ひの付け方が難しかったが、スマナサーラ長老からその解決法が提示された。

六月二十四日(日)その三民主主義の実現を説く
第八章では釈尊がワッジー国の人々に説かれた教へを紹介してゐる。その二番目「和合を持って議論する」では
議論するならば、その結果として、建設的な結論に達しなければいけないのです。

これは賛成だ。政治の世界では、利権の攻め合ひになるから、あれは民主主義ではない。四番目「伝統・憲法を学ぶ」では
日本人には、日本人の生き方という伝統があるでしょう。いくらアメリカのシステムを導入しているからといって、日本の伝統を壊したらいけない。それから憲法を決めたならば(中略)憲法に従った政治をしなければいけないのです。

これも賛成だ。私は一時期、改憲論に賛成したが、これはあの当時の護憲派があまりにひどく、しかもアメリカかぶれで護憲を叫ぶためだった。スマナサーラ長老の主張に当てはめると、護憲派は前半に反対し後半に賛成の状態だった。その後、情勢が変化し、今では私も護憲派に戻った。(完)

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