千百四十 心の時代「マンダラと生きる 第2回密教のなりたち」
平成三十戊戌
五月二十日(日)
本日の心の時代「マンダラと生きる 第2回密教のなりたち」は前回の予想どほり有意義だった。私のメモ書きによると
9世紀日本に密教が伝へられた
マンダラはたぶんインドで5世紀に生まれた
マンダラは昭和の初期まで(或いはテレビで映したマンダラの話か)、一般の目に触れず加持祈祷する僧侶だけだった
社旗仏教は自分の力だけ、出家することも必要
仏教は都市型、都市が衰退。衰退の理由は一説には東西交流が衰へた
ヒンドゥー教が農村に浸透。仏教も現世利益に。
(欲を一つ認めると次々現れるのでは、質問に)異空間。初期仏教と大乗仏教前半は寂静の道。密教は増進の道。心の浄化の間口を広げた。
護摩はご供物を煙にして天へ。インド、日本と普遍性が強い。神様も取り入れた<-火天は神様の口
ブッダは修行の方法論しか云はなかった。悟りを追及してきたのが仏教。密教は、言葉では表せないが、シンボル(象徴)では表せる<-護摩
護摩を焚く僧の三蜜(体、言葉、心)を、仏の三蜜に真似る。次に加(仏が働きかける)持(修行者が受ける)

ここまで話も有意義だし、対談者も適切に質問するのでよかった。ところがここで、対談者が驚いたり声が上ずったり、急に悪くなった。
大乗仏教では仏性があるとする。しかし膨大な時間がかかる。今まではどうすれば悟れるか、密教は悟ったらどうすればよいか。社会事業、日本最大のため池の堤防

ここで再び対談者がよくなった。悪かった部分は時間が余ったのかも知れない。収録をやり直したのかも知れない。だからといって番組全体では良質な対談だった。
マンダラは(1)憑代と考へる。最初は簡単なものだったとの説もある。地面に描いたとの説もある。終ったら決してしまふ。空(無常)
(2)祈りの対象。宮殿の中。胎蔵マンダラにも四方に門がかかれてゐる。
(3)があるかも知れない。(3)瞑想。ブッダは徹底して瞑想。瞑想を絵にしたものがマンダラ。
密教が続いたのは日本の感性に響き合ふから。八百万の神々

一つ正木さんと意見が異なるのは、初期仏教が自力で修行するの部分。釈尊と同じことをするのだから、実は釈尊を信仰してゐる。だから瞑想だけではなく、戒律、経典読誦学習も行なふ。
上座部仏教と大乗仏教の違ひは、その当時インドに流行した宗教形態の相違が影響したと考へるべきだ。難行苦行を宗教とした時代と、神々に拝むことを宗教とした時代。前者も神々を無視するのではない。正しく行動すれば神々が助力する。

五月二十二日(火)
信者にとっては、僧団に寄進することが功徳を積む。人数では僧侶より信者が圧倒的に多いからつまり他力だ。僧侶も托鉢や説法を通じて信者と接することが、実は修行になる。だから上座部仏教が自力と云ふことは絶対にない。自力なら二千五百年続くはずがない。(完)

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