千百四十二 ミャンマー経典学習会(トゥ・ミンガラ比丘の講演)
平成三十戊戌
五月二十一日(月)
ミャンマー経典学習会は、今まで9年間担当してきたオバサ・セヤドーが今月から若いトゥ・ミンガラ比丘と隔月になった。若い比丘は来日して三年が過ぎた。日本語学校にも通った。しかし日常は在日ミャンマー人と対応するため、日本語を話す機会がない。比丘の日本語能力向上と、通訳をしてくださる方の隔月休みの目的もある。
今回はダンマパダ161「マハカラ優婆塞の物語」だった。内容を要約すると
布薩の日(新月と満月の日の行事)にマハカラは祇園精舎に参拝し、徹夜で法話を聴いた。
近くの富豪の家に泥棒が入り、逃走した。マハカラが池で顔を洗ってゐると盗賊が盗品の宝石を捨てて逃げた。ウハカラは盗賊と間違へられ殺害された。早朝、若い比丘が死体を発見し釈尊に報告した。釈尊は、過去になした悪のツケを払ったことを述べた。
マハカラが過去世に傭兵だったとき或る男の妻に横恋慕し、家来に宝石を男の荷物に入れさせ、荷物検査をして男を盗賊として殺害した。釈尊は次の偈を唱へた。
自分がつくり、自分から生じ、自分から起こった悪が
智慧悪しき人を打ち砕く。金剛石が宝石を打ち砕くように(中村元、訳)
五月二十四日(木)
今回は講義の途中で質問が幾つか出て、経典が短いから時間が余って残りも質問の時間になった。多くが質問と云ふより驚きの結末への感想になったのは当然のことだ。私が最後のほうに「大乗仏教では重い業が軽くなる、例へば死ぬ筈が重病、重病の筈が軽い病気になると経典に説かれ、僧Xはそれを引用した」と質問し、上座部仏教でも軽くなることはあるとの回答だった。
僧Xは転重軽受と称したが、私はこの語を質問に使はなかった。転重受軽ではないと語順が変だし、もし語順が正しいなら「重きを転じて軽受す」と読まなくてはいけない。家に帰ってインターネットて調べると法然も転重軽受の語を使ふから、僧Xの間違ひではないやうだ。
私は講義の最中に恐ろしいことが頭をよぎった。宗教(仏教、XX教、イスラム教、ヒンドゥー教、儒教道教神道)を信じたからといって現世利益があるとは限らない。不幸な事が起きたときに言ひ逃れとして転重軽受の語は便利だ。だとすればダンマパダ161の偈は釈尊の言葉でも、マハカラの話は長年の口述による変化ではないのか。
私は宗教を信じても不幸の起こる理由を確率論で解く。船の航路で云ふと、宗教を信じないのは危険な航路、信じるのは安全な航路。しかし安全な航路でも嵐に遭遇することはある。昔は確率論がなかったから、過去の業とした。
マハカラの話が釈尊の言葉だとしたらどうなるか。原始仏教を更に初期原始仏教とそれ以外に分けることができると、私は最近考へ始めた。弟子や信者が多くなるから、初期原始仏教以外には俗事や迷信も入る。
五月二十四日(木)その二
毎月恒例だった休憩後の質問の時間が無かったので、一階でお茶の時間が長くなった。通訳さん不在で日本人だけなのも九年間で初めだ。参加者の一人は十年間出家するつもりでモービの支院に行ったが、つらくなって数か月で帰国した話をしてくれた。まづ誰もがニ週間くらい下痢になる。食べ物に油が多いことが原因らしい。次に蚊がゐる。飲み水は生ぬるい。衣は三着あるが乾かないことがある、日が強く乾いたと思ふとスコールでびしょ濡れになる。
信徒として少しづつ瞑想を続けるのがよいのでは、と云ふ意見が出た。ミャンマーで出家し帰国ののち生活をどうするか、そのまま年金生活に入るやうにするか、と云ふ心配も出た。
托鉢は月に二回だけださうだ。托鉢は信者と繋がりができるし気分転換にもなるし、毎日行ったほうがよい。上座部仏教が二千五百年続いた知恵がそこにはある。経典学習会に来る日本人は、パオ瞑想に興味がある人が多い。私は、在日ミャンマー人の建てた、つまり日本で最も一般的な上座部仏教寺院だから参詣する。多少の姿勢の違ひはあるが、意見に相違はない。
五月二十六日(土)
托鉢について二十数年前のスリランカ旅行のとき日本に留学経験のあるガイドの男性が、在家の女性が僧院で順番に調理するため、托鉢はほとんど行はれなくなったと話したことを思ひだした。あと、僧侶のなかには女性と駆け落ちしてまた戻って来る人もゐると話したところ、ガイドのお母さんから僧侶の悪口を云ってはいけないと注意された話を聴いたのも思ひ出した。スリランカはタイやミャンマーと異なって一時出家の制度が無いから、子供の時に出家したら一生僧侶で過ごす。だからさういふことも起きるのかとも思った。ミャンマーではスリランカと同じで托鉢が廃れたのかも知れない。
お寺の前に、装飾された椅子を積んだ車が止まってゐた。近くの在日ミャンマー人に訊くと、近くの集会所で僧侶の法話がありそこで使用するさうだ。経典学習会幹事のIさんが云ふには、毎週開かれるさうだ。
ミャンマー食材店に初めて入った。タイのシンハービールを一本(350円くらい)を買った。お寺の近くで飲むことはせず、小竹向原の駅で飲んだ。帰路は大丈夫だったが往路で少し道を間違へた。水道塔が見えたので慌てて左折し、東京東信金の先で正しい道に出た。九年間通ふのになぜ間違へるのかと云はれさうだが、長いこと千川駅から歩いた。小竹向原からは環八経由の一回を除いてあとは全部間違へた。
先日衝撃的なニュースを読んだ。八王子のタイ寺院が三年前火災に遭った。タイで商売をやってゐた藤川さんが出家し、日本でおもろい坊主と呼ばれた。何年か修行ののち帰国したが生活手段が無く、藤川ファンの方々の好意で大久保の古くて小さいアパートに無料で住み、大久保通りをタイ時代の習慣で托鉢し、日本人は何のことか判らないからそのままだが在日タイ人が食糧を急いでコンビニで買って入れてくれたりなどした。
藤川さんは後に亡くなり、八王子のお寺で葬儀が行はれた。終了後に藤川さんのお姉さんか妹さんが僧侶にお布施をお渡ししようとしたので、近くにゐた私が、要らないですよ、と止めた。お寺に寄付するのはありがたいことだが僧侶に手渡ししても、受け取ることができないからだ。その思ひ出のあるタイ寺院が全焼してしまった。周囲に延焼しなかったことと火事の翌日の水掛け祭りはテントで無事執行したさうで、一安心した。(完)
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