千百二十八 心の時代「古(いにしえ)の大和へ」
平成三十戊戌
四月二十三日(月)
昨年末の富岡八幡宮の事件以来、神社に不信感を抱く人が多い。殺人事件もさうだが、なぜあんな男に毎月大金を支払ってきたのか。一部の神社は儲け過ぎだ。
そんな不信感を払拭する好番組が心の時代「古(いにしえ)の大和へ」だった。春日大社に長く権宮司として勤務した岡本彰夫さんの活躍を紹介した。早朝なのでヘッドホンで聴いた。番組が終ったあとで紙とボールペンを取ったから、メモの内容は少ないが
明治維新の神仏分離で廃止、簡略化された祭の儀式の復活
鎌倉、幕末などどの時代を復活させたかを記録
中今(なかいま)、昔から未来に続く今
神道は真情の発露
上に行きたがる人が多いが、奥を極めるべき

以上のお話があった。

四月二十四日(火)
その後、奈良の美術工芸品「大和古物」を調べ始めた。奈良は商売っ気が少ないから、優れた作品がたくさん世に知られてゐない。長い時間の中で人々が受け継いできた技や知恵に意味があると岡本さんは語る。
これは同感だ。私も長く続いた習慣の中に知恵があると考へる。人類の長く続いた知恵を破壊し、地球を滅ぼさうとするのが近代の西洋思想だ。

四月二十七日(金)
岡本さんは國學院大学を卒業の後、春日大社に神職として就職することができた。普通は神職の子でないと神職として就職先が無い。神職の子は出来が悪くても神職になれる。ここに富岡八幡宮の事件が起きた。今後は、世襲神主の神社にはお賽銭を1円玉か5円玉。春日大社のやうに世襲以外も受け入れる神社にはきちんとお賽銭を上げる。国民はこの二極分化で対応するしかない。前者の神社で結婚式や七五三はもってのほかだ。
そもそも明治維新前の神社は寺が管理した。明治維新後の混乱は、富岡八幡宮事件を契機に終了させるべきだ。お賽銭二極分化に神社本庁がきちんと対応するなら、混乱は解消する。

四月二十八日(土)
本日の再放送も観た。今回はメモ書きしながらだった。それによると
室町時代以降の奈良の姿
「異」の字を持って太鼓橋の上で、ここから奥は異界、と云ふ説明
学問しないのはサラリーマン神主だとよく云はれた。神道は深く広いからどこから入るか、文学、歴史、美術工芸・・・。祭祀から入った。
日々、大小さまざまな神事。多くは創建以来時代が変はっても受け継がれてきた。明治時代に国家の手が入って簡略化。
流鏑馬は昭和六十年に百二十年ぶり復活。
神職百二十人が十人に。上知令。
おん祭り。昔は馬三百七十頭、今は四十七頭。
紙垂(しで) 神前に投ずとあるが紙だから下に落ちる。祖父に聞いた人の話で松の枝に掛けることが判った。
形から入って蘊奥(うんのう、心の中)まで。神道、柔道、華道、茶道。道が付くものはまづやって来い。
どの時代へ復活させるかは、神様への最高の礼に。
一刀彫り。名工が評価されないこともたくさんある。
奈良は歴史が途切れてゐない。金太郎飴みたいに、どの時代の工芸も出てくる。都が京都に移ってから独特のものが。
一刀彫り。一刀で彫ったやうに見える。神仏に披露するので、こてこて触ると穢れる。
ひなび、みやび。田舎風とみやこ風。ひなびた形にみやびた色彩。
商売っけのないところ、大いなる田舎、いいことがあることからわからない。
人間はこの世は打算。人間はそんな気持ちが涌いてくるが、「災いを除き、幸いをもたらすは幽冥により」=打算を持ち込んではいけない。
神仏のおかげと思ふことあるが、言ふと偶然だとか、皆打算で来るやうになるから駄目。
人生の半分が終はって、私のおかげでと思ふ人はゐない。人様のために、と初心に帰った。

以上のお話があった。観るのは二度目だが、まったく退屈しなかった。田中ケネスさんとの違ひは何だらうか。改めて神道を見直した。或いは改めて地方放送局を見直した。(完)

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