千百三十五 南伝大蔵経を読む
平成三十戊戌
五月五日(土)昭和十六年の書籍を読まう
南伝大蔵経は、昭和十年から十六年にかけて上座部仏典を翻訳したものだ。昭和の前期は世界大恐慌の影響を受けて世の中が混乱し、これが第二次世界大戦へと繋がった。その暗い時代にあって日本で唯一明るかったのが南伝大蔵経だらう。昭和前半の世相を反映し、正字体、正仮名遣ひ、文語体で書かれる。
以上の解説なしに読むと、こんな鎌倉時代の古文書は読んでゐられない、と短絡して考へてしまふ。しかし驚く勿れ、南伝大蔵経は私の生まれる十四年前に書かれた。戦後はわずか十余年で、それまでの書籍を鎌倉時代と間違へるほど変へてしまった。昭和初期の文献を読めるやうにするために、南伝大蔵経は最適だ。

五月十二日(土)梵網経
第六巻の長部経典から読み始めた。まづは梵網経だ。小戒で注目すべきは最初の
殺生を捨てゝ(中略)慈愛に富み、一切の生類有情を利益する

の部分で、大乗仏教が上座部仏教を自己の修行だけだと批判することが如何に的外れかが判ると同時に、当時の仏教が堕落したからこそ大乗仏教が現れ、その大乗仏教も時の経過とともに堕落した経緯から、上座部、大乗を問はず「慈愛に富み、一切の生類有情を利益する」とともに、堕落への用心が肝要である。
中戒、大戒は当時の婆羅門と対比させながら、釈尊の行動を示す。つまり初期の仏教はバラモン教の欠陥を正すことから始まったことが判る。その後、我と世界の常住、無常論に入る。これも婆羅門との対比で、婆羅門の諸説の誤りを正すことにより、仏教の我と世界観を示す。
予てより、苦集滅道と云ふ語は変だと思ってきた。苦は主語、集と滅は述語、道は目的語だからだ。そのことを判って使ふならよいが、多くの人は月火水木みたいな感覚で苦集滅道を使ふ。梵網経では「受の集と滅と味著と過患と出離」とあり、なるほどと納得した。

五月十九日(土)沙門果経
沙門果経は王様が六人の宗教指導者に果報を尋ねたのに、それぞれ異なる死後論を述べ、果報については語らなかったので王様には不満だった。王様は釈尊にも質問する。要旨は
釈尊は王様の家来、農民が出家した場合、王様は二人に戻るやう云ふか尋ね、王様は二人を援助すると答へる。するとこれが果報だと云ふ。
次に、戒を具足し、六根を保護し、正念正智を具足し、満足する。戒は具体例を多量に示し、上座部仏教は戒律仏教と呼ばれるが、これは原始仏教の時代からさうだったことが判る。六根の保護は、制御して内心に無垢純浄なる安楽を受ける。正念正智は行動をすべて正智で行ふ。満足は上衣と施食に満足しどこへ行くにもこれを持つ。以上の四つを持ち結跏趺坐し身を端(ただ)しくして深正念に住む。五蓋を捨て、初禅から第四禅まで達することが、それぞれ四つの果報だ。
我が身が四大種より成り無常・破壊・粉砕・断絶・壊滅を知り、我が識はこれに依存することを知る。これも果報だ。
次に意から成る身になることに心を傾け、意から成る身になる。これも果報だ。

ここまでは通常の果報で、ここから今の感覚で云ふと超能力になる。
次に煩悩なく不動の状態にあるとき、心を神通に傾け、六つの神通力を得る。これも果報だ。
次に煩悩なく不動の状態にあるとき、心を天耳界に傾け、人間を超越する天耳界で人天両界及び遠近双方の音を聞く。これも果報だ。(以下略)

超能力が続いたあと、最後に
苦なり、苦の集なり、苦の滅なり、苦の滅に至る道なり。漏なり、漏の集なり、漏の滅なり、漏の滅に至る道なり。以上を知り解脱との知恵生じ、此の生に来ることなしと證知する。これも果報だ。

原始仏教、或いは初期仏教と云ふ言葉がある。部派仏教の時代になり教義が複雑化する前の仏教だ。その一方で釈尊在世中も、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷が激増するにつれて教義が変化することはあり得る。相手に合はせて話すためだ。
だから釈尊在世中の初期を初期原始仏教と名付けてもよいのではないだらうか。預流、一来、不還、阿羅漢の区別は未だ無い。解脱ではなく解脱との知恵が生じる。此の生に来ることが無いのではなく無いことを証知する。解脱と生に来ることがないのは止観(瞑想)の手段であることを暗示する。

南伝大蔵経は第六巻から第八巻までをひととほり読んだ。読んだ後で各経を順番に書かうとしたところ、二番目の沙門果経で時間を取ってしまった。否、正しくは一番目の梵網経ももっと時間を掛けて書き直すべきだ。取りあへず四週間を過ぎて図書館に返却しなくてはならない。いつかこの続きを書きたい。(完)

全宗教(百五十六)全宗教(百五十八)

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