千三十三 テレビドラマは刑事物より時代劇が似合ふ(「眩(くらら)~北斎の娘」「父 ノブナガ」)
平成二十九丁酉年
十月八日(日)
半月ほど前までテレビで刑事ドラマを見ることが多くなった。そしてその理由が判った。土曜と日曜の昼間は刑事ドラマの再放送が多かった。夏の間はあまり外に出掛けないから見る機会が多くなった。刑事ドラマを沢山見て気付いたことは、出来の悪い番組が多い。だから「刑事ドラマより時代劇を」と題して特集を組む予定だった。
昨日民放で「父 ノブナガ」、NHKで「眩(くらら)~北斎の娘」と云ふ文化庁芸術祭参加作品を放送した。そこでこの二つに触れながら、時代劇の効能を論じることにした。
昨日、本日と刑事ドラマの再放送がない。テレビ局も過去の持ち合はせが尽きたのか、それともテレビ朝日を中心にあまりに刑事ドラマばかり放送するから国民に飽きられたのか。

十月八日(日)その二
「父 ノブナガ」は川底の「天下布武」の印がポケットに紛れ込んだため、織田信長に憑りつかれた中年サラリーマンの話だ。要介護の母親だけは織田信長と判ったこと、懐中ロボットが織田信長に現代についての適切な説明、中年サラリーマンが二重人格状態になるのに不思議な言動を気付かず受け入れる周囲の人たち。洗練された良質なドラマだ。
「眩(くらら)~北斎の娘」も娘と師匠でもある父親との関係、母親との関係、弟子たちの仕事ぶり、滝沢馬琴の言動。こちらも洗練された良質なドラマだ。
そしてもう一つ共通点がある。一つは江戸時代が舞台、もう一つは現代が舞台だが信長が登場。どちらも歴史の流れに乗ったドラマだ。

十月九日(月)
二つの作品が文化庁芸術祭参加作品なので、テレビ局は力を入れたのだらう。NHKで云へば日曜夜の大河ドラマや日曜早朝のこころの時代「唯識に生きる」との落差が余りに大きすぎる。普段放送する番組のうち一つを選んで文化庁芸術祭に参加させるべきだ。

これまで十種弱の刑事ドラマを見て思ふことは、出来の悪いものが多い。事件が絡むので話の展開が早く、退屈はしないものが多い。しかし最後にスヰッチを切ることが多い。犯人が判ってしまへばそのあとの犯人による言ひ訳反省述懐は無駄だ。これは番組の台本が悪い。あとエリート意識丸出しの設定も多い。そして刑事ドラマは犯罪を誘発しないやう番組を作るべきだ。
これらが起きる原因は、舞台が現代で視聴者との共通点が多い。だから視聴者とかけ離れた時代劇がよい。あと時代劇は、国民を歴史の流れに引き戻してくれる。近代西洋文明が、社会を破壊し地球も破壊する今こそ、時代劇でもっと大きな世界を体験すべきだ。「眩(くらら)~北斎の娘」を見たとき、私が子供の頃住んだ家とそれほど変はらないことに気付いた。大正の末期に建築された家は、貴金属加工商で弟子が何人もゐたからどちらかと云へば裕福な家造りだった。電気、ガス、水道、簡易水洗、そして部屋はすべて畳敷きと、ドラマの家とは異なる。しかし根本は同じだ。日本の家屋が変化したのは、明治維新、関東大震災、高度経済成長、プラザ合意と四回ある。子どもの頃の家は三つ前だった。

時代劇は舞台や衣装にお金が掛かる。「父 ノブナガ」のやうに現代と過去を組み合はせた作品は経費節減の一つの方法だ。あと時代劇が増えれば経費は下がる。(完)

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