千十七 恐山参拝記
平成二十九丁酉年
今回は詳細な旅行記録なので、退屈かも知れません。私の旅行方法がよく表れてゐるので掲載しました。退屈と感じた方は次のページへ進んでください。
七月二十九日(土)
明日から青春18切符で青森まで旅行する。途中秋田県に中継で一泊する。前回山口県まで中継で旅行したことを思ひ出し、だんだん年をとったのであのときのやうな旅行はあれで最後だと思った。それなのに今回旅行を組んだのは、青森県は山口県より近く、東京から秋田県までは早朝に出発しなくてよい。そんな感覚があった。
8月中旬を過ぎると台風が多くなる。だからその前に行ってしまはう。今回の旅行を計画したのは出発の1週間前だった。昨日は、中継旅行がきつくはないかと憂鬱になった。本日は期待の気持ちのほうが高くなった。

七月三十一日(月)
昨日は大曲まで来た。福島では奥羽本線に乗り換へた。かつて山形新幹線が建設されたとき、普通列車は客車だった地域に広軌の変な電車が登場し残念だった。その後、東北地方から客車の普通列車が消滅した。
そんな感慨も、福島から米沢までの冬は豪雪地帯となる風景にすぐ消された。前に青春18切符で奥羽本線に乗ったとき、横から合流する駅で乗り換へたが、あれは大曲だらうか、と考へるうちに終点の新庄駅に到着した。東京からここまでは乗り換へ時間が少なく、福島の20数分を利用して弁当を買ひ車内で食べた。それでも発車時刻までに食べ終はった。
それに比べて新庄では一時間の乗り換へ時間がある。なるほど前に大曲まで来たと思ったのは新庄の間違へだった。石原莞爾を調べるため鶴岡に行くときにここで乗り換へた。陸羽東線、西線の発車時刻を見ると本数が少ない。山形新幹線も2時間おきに9往復。
新幹線と奥羽本線山形方普通列車用に、ホームが二面ある。停車中の新幹線は補助通路が出ないから片方は新幹線の規格に合はせたのかも知れない。前回来たときはこのやうなホームは無かった。改札口を出ると、木造を意識した立派な施設がある。ここでベニバナ入り大根漬けと日本酒のワンカップを買った。大根漬は夕食用、日本酒は車内用だ。
新庄地方の興隆を願って少し経済協力をした。今までの列車は30分から1時間だった。ここから大曲までは2時間。車内で退屈しないやうに飲む予定だったが、冷へてゐる。と云ふことで立派な施設の立派な祭りの展示前の椅子で飲んでしまった。

新庄から電車に乗ると、山形秋田の県境は山の中だった。新庄はずいぶん開けた場所だと思ふほどだった。しかも途中で待ち合はせ時間がある。大曲に着いたのは空にわずかに光が残る時刻だった。

八月一日(火)
昨日は朝の7時34分に大曲を発車する列車に乗り秋田着が7時54分。次の大館行き9時45分までの間に秋田城を見学した。9時前なので有料展示館は開館前で外から観るだけだったが、城内のほとんどを廻り有意義な1時間だった。
大館着が11時27分、発車が13時31分。その間を利用して駅を出て前方左側の観光案内所で八百屋の場所を訊いた。一つは近く、一つくスーパーで大きいが遠い。近いほうは信号2個目先を左折し廃線跡を超えたすぐ。ここも中規模のスーパーで、トマト6個入り120円(外税)を買った。昨日買った大根漬けは量が多いので2回に分けて食べたがこれが終了したのと、緑黄色野菜が昨日昼に少量食べて以来途切れたからだった。
ここで新たな問題が発生した。小銭や千円札を使ひ切り、残ったのは一万円札だけだった。120円で一万円札は気が引けるから、ポテトチップ2袋で合計150円、魚の缶詰3個(味付さんま100円、にしん蒲焼98円、さんまの蒲焼100円)、なぜか千歳盛生貯蔵酒300ml瓶詰め100円を買った。最後の一本だった。おそらく倒産したかで冷蔵保存されなかったのだらう。しかし生貯蔵酒は生酒を殺菌瓶詰したとあり、ホテル到着後夕食のとき飲むと味は変はらなかった。

八月二日(水)
昨日は青森発6時53分、野辺地で大湊線に乗り換へて下北駅下車。9時5分発のバスで恐山到着が9時48分。1日に4往復しかない。戻りは13時だから余裕がある。
まづ寺務所に行った。「鶴見の日曜参禅会の会員ですが、南直裁(じきさい)老師は」と云ひかけると「はい、私です」と答へられた。南老師を訪ねたのは、職場の同僚が以前、道元禅師七百五十遠忌のパソコン映像を制作し、そのとき南老師に、ここは映してはいけないなどといろいろ注意をされたさうだ。
火山帯は見応へがある。往路のバスで東北地方では死者は恐山に行くと録音放送があったが、確かにここは死後の世界の感がする。至る所に小石の山があり、これもバスの放送で、一人でも多く死者を救ふため、石を積み上げてくださいと説明があった。私も石を幾つか積み上げた。
湖に出ると景色が一転する。極楽浄土を表すさうで、石や砂を持ち去らないでくださいと注意書きがある。私が今回恐山を参拝したのは、25年前専門学校の教師だった時に同僚の教師から、恐山から石を持ってきたら悪いことが続いて起きた話を聴いたからだった。そのとき、いつかは恐山に行かうと思った。
温泉は男湯が一つ、女湯が二つ、小屋が点在する。男湯に入り誰もゐなかった。出がけに坊主頭の人が入って来たので、僧侶なら話を聴こうと思ったら、普通の参拝者だった。大阪から来て温泉巡りが好きださうだ。ここの硫黄泉はすごいですね、と話した。
話を往路に巻き戻すと、青い森鉄道の野辺地駅でたくさんの人が降りた。なかには速足の人もゐるので大湊線は混むのかとつられて速足になったが、乗客は数人しかいない。時間があるので改札の外に出ると、バス乗り場の先、広場の向かひ側に原燃のバスが一台、それ以外に3つの列。バスが発車すると次のバスが来る。全部が原燃行きだが、前面の札に書かれた建物名が違ふ。
大湊線の乗客は10名くらいだった。ほとんどが下北駅で降りた。当然のことながら全員が恐山に行くと思ったら、私だけだった。残りは山、温泉、岬などに行くらしい。バスは途中で降りる人、途中から乗り途中で降りる人が一名づつだった。平日とは云へ夏休みなのにこんなに少ないのか運転士に訊くと、次のバスは多いさうだ。途中、冷水で停車した。車内放送で1杯飲むと10年、2杯飲むと20年、3杯飲むと死ぬまで長生きするさうだ。私は3杯飲んだ。
復路のバスは15人ほどだった。西洋人の別々のカップルが2組ゐた。車内で話し始めた。一組はスペイン、一組はフランスだった。スペイン語とフランス語は方言だから、両方の中間で話せばいいのにと思ったが、英語で話した。8割は聞き取れたが2割判らなかった。あとあれだけ喋れない。欧州語は全体が方言だと感じた。

八月四日(金)(三日に帰宅。ここからは帰宅後の記述)
一日の昼は恐山門前の食堂でカレーライスを食べた。バスで下北駅前まで戻ったあと、スーパー薬王堂で大型カップラーメン二個(仙台辛味噌、東北の味岩手、どちらも88円外税)、ハンバーグ三個(1個50円)、月桂冠定番酒月180ml紙パック2つ(1つ118円)、ピーナツコッペ2つ(1つ88円)を購入した。青森は大都市なので小都市を応援しようとする試みだ。
青森市内の八百屋ではトマト(200円外税)を買った。その日の夜から毎食2個づつ食べたが、余るので後のほうは3個づつになったから12個くらい入ってゐたのだらう。

八月五日(土)
7月31日に弘前で信金から5000円卸した。100円バスを降りて弘前城に向かふ途中でたまたま信金があった。旅行中に1万円を卸すのは既定方針だったが、7月は毎月制限額の50万円まであと5000円くらいしか残ってゐないはずだ。弘前の100円バスは有益だ。循環バスで乗り降りの多い区間だから、黒字に間違ひない。

残りの5000円は大舘の待ち合はせ時間に行なはうと考へた。駅の待合室の観光協会でアルバイトの女子大生と思はれる人に訊き、行ったところ信用組合だった。この間違ひは許容範囲だ。若いから信金と信組の違ひが判らなくても仕方がない。そもそも信金だと手数料が掛からないのは取引する人しか判らない。
往路に寄ったスーパーの近くなので再度寄ると閉店だった。向かうから来るお婆さんに訊いたところ、水曜は定休日ださうだ。
秋田駅前の交番で訊き、駅前アーケードの信金で卸した。この道は往路で秋田城に行くとき歩いたが、信金は気が付かなかった。

旅行終了後の今月の小遣ひを考へると更に5000円卸したほうがよい。北上駅前に或る信金と或る銀行の共同ATMがある。貼られた説明を見ると他の信金も無料だ。と云ふことでここで卸した。他の信金で卸すと取引信金から手数料が払はれるのかどうか不明だ。しかし各地のATMを使って地域振興に役立ったと思ふ。

八月六日(日)
一泊目と四泊目は大曲の同じホテルに宿泊した。古いビルだが、昭和50年頃はこれが普通だった。一泊3780円と料金も手頃だ。
二泊目は青森で3000円、これは多少騒音がすると云ふことで安く宿泊した。寝るときは気付かなかったが、明け方に目が覚めると外で大型室外機の音がする。二重窓なのに音がするのは壁の材質が悪いのか。しかし3000円は安いのでお得だった。
三泊目は、二泊目と同じところを取ったら3700円(平成30年2018年5月30日追記、4700円の誤字)と高い。キャンセルして別のホテルを3580円で泊まった。なぜ八月に入ると高いか不明だったが、後でネブタ祭りが始まることを知った。三泊目は二泊目のホテルの向かひだった。この日は恐山に行くので、荷物は青森駅のコインロッカーを使った。300円だった。今調べると20円の損だが、ジャランのポイントを考慮すると57円の得だった。そんなことより、旅行者の公共財とも云ふべき駅のロッカーに儲けさせたところが大きい。

八月六日(日)その二
往路は福島から奥羽本線経由だった。帰路も同じだと思ったら、横手から北上線経由だった。因みに往路も二回目に調べたときは仙台から仙山線経由で、これだと羽前千歳で一時間待つ。新庄で一時間待つのと羽前千歳で一時間待つのでは、雲泥の差がある。そこで往路は前者にした。
帰路は期せずして現在特集中の北上操車場の跡を見た。更に期せずしてサトウハチロー記念館を地図で見つけた。拡大地図だと駅の西口に観光案内所がある。行ってみると見当たらない。交番に、ここの並びに観光案内所があるはずですが、と尋ねると向かひのビルの一階だと云ふ。行ってみると観光協会の事務所だったが親切に教へてもらった。
私が質問したのは東京から福島に移転し更に北上市に来たのか質問したところ、東京から平成8年に移転し、佐藤四郎さんが館長をされてゐるとのことだった。私の通学した小学校の裏にサトウハチロー記念館があったことを話すと、職員の方が急に笑顔になった。
案内所は駅の東口にある。本来西口が正面口だが新幹線が東側にできたので、こちら側に案内所が移転したやうだ。時間が45分あるので記念館まで片道10分くらい歩くと行けるのか訊いたところ、45分掛かるさうだ。行くのを諦めて、私の通った小学校の裏にサトウハチローの家があって当時は住んでゐた、後に記念館になったと話したところ、ここでも職員が笑顔になった。

八月六日(日)その三
旅行を振り返ると、青森から帰路についた翌日からねぶた祭りが始まり、帰路に寄った弘前ではその日の夕方からねぷた祭りが始まり、同じく帰路に寄った秋田では次の日から竿燈祭りが始まる。今回の目的は恐山だから、祭りはまったく気にしなかった。だから翌日から始まると知って一番心配だったのは、恐山が混むのではないかと云ふことだった。

今回は初めての試みで、小型のノートパソコンを持参した。ホテルでニュースやホームページを作れるのは便利だ。一方で朝の散歩が無くなり、鉄道の社内では振動でパソコンが壊れるといけないので旅行かばんを持ちっぱなしだった。一駅づつ手を持ち替へたり右肩と左肩に交互に掛けた。
青森ではねぶた祭り開幕に備へて、完成したねぶたの収納庫を開けて中を視察する関係者が何団体もあった。ねぶたの家ワ・ラッセにも行ったが、有料の展示部部分は観ずに、ビデオと開催中の過去の写真のみを観た。大正時代の小型のねぶたと、電飾のない時代はどのやうにしてゐたのかに興味があった。
野菜不足防止のためトマトを購入したのは正解だった。東京で販売されるトマトと比べて、青かったり不揃ひだったり裂け目が入ったものもあったが、新鮮で美味しい。東京のものは熟さないうちに収穫したのか冷凍を解凍したのか不味いものがほとんどだ。
往路と復路では昼食にもトマトを食べたが、これは苦労する。トマトは食べると汁が落ちたり飛んだりすることがある。だから待合室で食べてはいけない。往路の大館ではトマトを駅のトイレで洗ひ、そのままかじりながらトイレを外に出て自販機の前で食べた。帰路は小牛田の14分を利用して駅前広場で食べた。これだけで驚いてはいけない。往路の大館では魚の缶詰も食べたが箸がない。トイレで手を洗ひ、自販機の前で手掴みで食べて、終った後は手と缶をよく洗って、缶は分別の空き缶入れに捨てた。食事の時に、でんぷん、野菜、たんぱく質を気にするとここまでやる必要がある。
往路の大館で買ったポテトチップ2つは、恐山に行く前の夕食と朝食で食べた。脂肪過多だから本当は一回空けるとよいのだが、かばんの中がかさばるので空けたかった。ご飯やパンのでんぷんが不足するといけないので、恐山門前の食堂ではカレーライス600円を食べた。
私は日本酒には詳しくない。だから別の角度から堪能する方法があるのかも知れない。私の感覚で思ったことは、千歳盛生貯蔵酒は美味しい。あと角館の武家屋敷近くの酒屋で購入した「秀よし」(300ml、360円外税)はひょうたんの形をした容器に入り、これもおいしい。どちらも吟醸酒のやうな味なので、これが私の好みなのかも知れない。それに比べて、それ以外の値段が高い(と云ってもむたかが知れてゐるが)は不満が残る。それはこの2つを飲んで比べた場合であって、単独なら美味しいのかも知れないが。

八月九日(水)
今回恐山に行ったのは、専門学校の教師だったときに同僚の教師が恐山で石を動かしたか持ってきたかしたらそれから不幸が続いたと云ふ話をした。その話は信用しないが、そんな雰囲気の場所は一回訪問したいものだ。それが今回叶った。
恐山では木造の本堂とその隣の休憩室兼物置が、昔の宿坊の雰囲気を伝へてよかった。特に洗面所の周辺に昭和四十年代の雰囲気を感じた。あと、本堂右の倉庫に石油ストーブなどがしまってあり、ここは雪国の生活が偲ばれてよかった。このやうな建物なら宿坊に一泊したいが、今は鉄筋コンクリートの新しいものが寺務所の裏側に建築されてしまった。総持寺にも三松閣と云ふ立派過ぎる建物がある。だから時代の流れなのだ。
うちの子が二年ほど前に、野生の猿の観察で下北半島に行った。子は野生生物の観察、親は石を持ってきたら不幸が続いたと云ふ話を真に受けて訪問。子は学術的、親は迷信的。落差がずいぶんある、と云ふ話ではない。親のほうも、なぜ石を持ってくると不幸になると地元の人たちが考へるのか、その民俗的考察をすると云ふ実に学術的な旅行であった。

八月十一日(金)
大曲駅の朝早く、青春18切符で改札を入場するときに、助役が「どこまで行くのですか」と尋ねるので「渋谷。忠犬ハチ公の銅像と同じものが秋田県にもありますね」と云って改札を入った。
昔の国鉄と異なり、今のJRは駅員が激減した上に年配の駅員を見かけなくなった。秋田県は昔の雰囲気を残すのかなとふと思った。渋谷区観光協会の前はよく通る。昨年忠犬ハチ公の展示を見た。常設なのか特別展示なのかは判らない。おそらく半分は常設、半分は特別展示だと思ふ。ハチは秋田県生まれで、列車に乗せられて渋谷に来たこと、夫人は正式に婚姻届けを出した訳ではなかったので夫の死後は家を出なければならず教へ子たちが家を用意したこと、ハチはあちこち転々としたことなど、知らないことばかりだった。
その渋谷区観光協会が昨年九月一日から時間貸し机を始めた。しかし観光案内業務も入口付近で継続してゐる。渋谷を起点に出羽、陸奥を廻り渋谷に戻る旅はここに終了した。羽前、羽後、陸奥、陸中の旅と呼ばないのは明治維新以降の呼び方だからだ。同じやうに観光化されたねぶた祭りは昭和以降のものだし、恐山のいたこも昭和以降のものだから、まったく興味がなかった。(完)

全宗教(百三十八)(その二)、全宗教(百三十九の二)

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