千十八(その三十) 安倍と加計は反省してゐない(日露戦争に当てはめると)
平成二十九丁酉年
八月十五日(火)
安倍と加計はまったく反省してゐない。それをこれから検証しよう。まづ安倍は反省を口にした。しかし本質を反省せず、国民が誤解するのが悪いやうな云ひ方だ。しかしそれよりもっと重大なことがある。
日露戦争のときに、日本海海戦で日本側はロシアのバルチック艦隊に圧勝し、敵は降伏の旗を掲げた。ところが東郷平八郎は砲撃中止を命令しない。参謀が心配して具申すると、平八郎は敵艦隊はエンジンを停止せず全力で走行してゐると答へた。暫くしてエンジンを停止したため、砲撃を中止した。
安倍は反省を口にしたものの、加計学園に申請を取り下げさせてゐない。云はばエンジンを全開のまま逃げる態勢だ。バルチック艦隊は混乱してエンジン停止を失念したのだらうが、安倍は攻撃を中止させて逃げる気だ。そんなことを許してはならない。

八月十六日(水)
これだけ世間を騒がせてゐるのに、加計学園は申請を取り下げず、陳謝もしない。記者会見さへやらない。こんな無責任な団体に学部新設の認可なんてしてはいけない。
しかし一番悪いのは自民党安倍執行部だ。加計を証人喚問すればよい。参考人の発言が前川さんと安倍側で正反対だった事件も証人喚問すれば判る。安倍執行部はなぜやらないのか。

八月十七日(木)
万一、加計学園の獣医学科の新設が認められたとしよう。その場合は、卒業生を差別すべきだ。本人が悪いことをしてゐないのに差別することはいけないが、これだけ騒がれて入学するのだから覚悟はできてゐよう。
卒業しても動物病院には就職できず、国家試験の合格率も低い。加計学園が学校法人を分割したのは複数の家族を理事にするためではないか、別法人なのに支配はしてゐないか。卒業生は社会で活躍してゐるのか。そもそも獣医学部の開校案内に、他大学に編入することもできると書かれたのは何のためか。これらの追及を継続し、六年で廃校に追ひ込もう。
しかし廃校に追ひ込んでも最初の状態に戻るだけだから、社会の役に立たない。本当はこの努力を社会の役に立たせるべきだ。しかし嘘つき首相や濡れ手に粟の商法を許してはならない。六年間の無駄な努力を有益に変化させるためにも、加計学園は申請を別の学科に替へるべきだし、もし変へないのなら不認可、或いは永久に保留とすべきだ。

八月十八日(金)
それらの前に重要なことがある。今回の件が四項目に当てはまるのかどうか。朝日新聞DIGITALによると
学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部新設をめぐり、弁護士や大学教授ら100人でつくる「加計学園問題追及法律家ネットワーク」が7日、安倍晋三首相らに質問状を郵送した。
 国家戦略特区での獣医学部新設について、安倍政権は2015年6月の閣議決定で、①生命科学など新分野で人材ニーズがある②すでにある獣医学部などでは対応が困難――などの4条件を設けた。
 質問状では、今年1月に加計学園の獣医学部新設が特区諮問会議で認められるまでに、4条件が満たされたと確認された形跡はないと指摘。新設は閣議決定に反し、内閣法違反の可能性があるとして「いかなる資料で、いかなる事実を認定したのか」と問うている。
加計学園の件は、まづ審議会から行政に差し戻す。行政において四条件に合ふかどうかを審査する。これが正常の手続きだ。

八月十九日(土)
Diamond Onlineに山田厚史さんの「加計・獣医学部を白紙撤回?安倍政権が人気挽回サプライズ作戦か」と云ふ記事が載った。それによると
総選挙だろうと憲法改正国民投票だろうと「国民の信」なしに果たせるものではない。避けて通れないのが加計・森友のみそぎだろう。(中略)うやむやにして逃げ切ろうとする政権の姿勢が有権者の不信を増幅している。お友達が厚遇されているのではないか、と国民は疑っている。そんな中で、加計学園の獣医学部新設を白紙に戻す、という選択肢が首相周辺で語られているという。人気挽回のサプライズとしての戦略だという。
これは当然のことだ。元に戻すことが大切だ。
加計学園の理事長は、安倍首相の親友で、これまで事業の手助けを頼んできたことはなかった、という。ならば「認可申請の取り下げ」を学校法人として決断することは、親友の窮地を救うことになる。加計孝太郎氏もまた決断を問われている。
これも同感だ。
安倍昭恵夫人付きの秘書として森友学園と財務省の連絡役を務めた経産官僚は、イタリア大使館に赴任した。この女性は、文書による仲介の事実が明らかになってから役所にも出勤していない。今度は「ローマの休日」か。一等書記官という厚遇の裏には、東京に置いておけない事情があるとしか思えない人事である。
役所に出勤せず、その間の給料はどうなったのか。しかもイタリア大使館に赴任させる。多額の税金を無駄にしてはゐないか。
隠蔽体質は、健全な常識をわきまえた政治家が政権中枢にいないことを示している。「ウソで固めて逃げ切る」という対処方針が誤りだった。メディアや国会対策に目が奪われ、その場しのぎの答弁や説明で切り抜けられると思ったのか。
 その場しのぎでウソをつくと、どんどん辻褄が合わなくなり、さらに大きなウソをつかなければならない。多忙な首相が年に5回もゴルフや焼き肉でご一緒しながら、「加計学園が国家戦略特区に申請するということを知ったのは今年1月」。誰も信じないような答弁をする結果となった。
 答弁のつじつま合わせに知恵を絞るが、大局が読めない。浅知恵に長けた側近を重用した結果である。
これも同感だ。(完)

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