100、百回目を迎えて

平成ニ十一年
三月十二日(木)(親米から反米へ)
ホームページの第1回目を作成したときに、私は親米派であった。しかし英語第2公用語など国内に変な動きがあったため、第2回目からは平衡を取るために反米になった。私の考えが変わった訳ではない。 それから10年。状況はまったく変わっていない。英語第2公用語が不可能と分かると(1)小学生に英語、(2)日本への留学生を増やすために大学の授業は英語で、(3)高校の英語の授業は英語で、と手を換え品を換え第2公用語化をたくらんでいる。
日本語で英語の授業を行うから、ビジネスにも通用する高度な英語を習得できる。英語で英語を教えたら小学生レベルの雑談に留まる。アメリカにとり会話の中身は小学生程度だが英語をありがたがってくれる日本人は好ましい。しかしそんな人を養成しては日本が困る。それにしても日本の文部科学省というのは駄目な役所である。救いようがない。こういう役所は解体したほうがいい。民間会社だったらとっくに倒産している。

三月十四日(土)(これまでのページで気になること1)
かつては親米ではないと国内の出版社から締め出される雰囲気があった。そのような中で反親米を主張する人は立派であった。数年前までこれらの人たちを無条件に紹介してきた。これらの人は私と異なる意見も主張している。
その第一は五年前に取り上げた小室直樹氏が、カトリックの独身制はキリスト教の教義とは無関係だと述べた部分である。長く続いたことを急に廃止すれば生活目的の偽司祭が現れ大変なことになろう。プロテスタントの攻撃を受けながらも守り続けた伝統には重みがある。

三月十五日(日)(これまでのページで気になること2)
西部邁氏はカタカナ交じりの醜い日本語を使う。それでもイラク戦争が始まるや、多くの日本人がこれからはアメリカ帝国の時代だとばかりにアメリカのご機嫌取りに走ったなかで反米を貫いたことは立派であった。
まず私と西部氏の違いは女系天皇を認めるかどうかにある。女系天皇を小泉内閣が突然言い出したときに一番よくなかったのは、西洋の王室を模倣したことだった。西洋猿真似がどのような終末を迎えるかは先の敗戦で明らかではないか。
二番目に秋篠宮様がいらっしゃるのにそれを差し置くことは人の道に反する。
女性天皇はいずれ出現しよう。そのときに夫を旧皇族から選べば男系は保たれる。内親王には天皇辞退の方法も用意し配偶者選択の自由にも配慮すればいい。
それでもいつかは女系天皇を認める日が現れる。そのときはその時代の人たちが考えればいい。少なくとも日本史上唯一外国軍が駐留し国内には英語第2公用語などと叫ぶ連中がいるときに提案すべきことではない。
あの騒ぎの中で、我々は二つの教訓を得た。まず新聞が「世論調査では女系天皇に賛成が何%」といったニュースをさかんに流した。議論の始まる前にそのときの気分で答えた世論調査にはまったく意味がない。新聞は議論と言論を封じるファシストである。
もう一つは、あの騒ぎで一躍脚光を浴びた旧皇族竹田氏にアメリカのブッシュが連絡を取っていたことである。アメリカはそんなところにまで手を伸ばしている。日本はアメリカによる文化破壊に警戒する必要がある。

三月十六日(月)(私と西部氏の違い)
私と西部氏の本質の違いは、西洋とは無関係に保守が存在するのか、それともハイエクなど西洋の思想家が主張したから存在するのか、ということにある。
しかし西洋文明は地球を滅ぼすことが明らかになった。西洋の模倣をして日本は侵略や敗戦も迎えた。先祖伝来の文化を守ることは長続きする確率が一番高い。
ここで既得権者と保守は区別しなければならない。保守とは能動的に世界全体が幸せになるよう努めることである。保守で語感が悪ければメンテナンスエンジニアといってもよい。

三月十七日(火)(これまでのページで気になること3)
小室直樹氏が、キリスト教では神が創造したときにすべての運命が決まっていると述べたことにも反対である。最初は決まっていてもゆらぎがある。
イラク戦争の直後は国内のほとんどが従米になってしまった。西部氏、小林よしのり氏などを孤立させないために間違っていようと何であろうと、とにかく日本の独立を主張する人は取り上げる必要があった。

三月十九日(木)(これまでのページで気になること4)
海員組合の和田春生氏を取り上げたこともあった。日本の労働運動には、共産主義(社会党左派、共産党)、社会民主主義(社会党右派)、民主社会主義(民社党)という違いはあるが、いずれも社会主義を目指していた。しかし総評、同盟などを解体し連合が結成されると、あっという間に資本主義に飲み込まれてしまった。企業別労組の弱点である。
そのようななかで和田氏は企業別組合を批判していた。民社党の国会議員であるにも関わらずこれは立派であった。しかし和田氏の主張に同意できない部分もある。労働組合は職業活動家が担わなければならない、という部分である。それでは旧同盟の得意な労働貴族や労働ボスになってしまう。
それにも関わらず和田氏を絶賛したのは企業別労組を批判したことにある。日本社会の問題点は企業別労組と欧米猿真似にある。この二つを取り除けば日本は住みやすい国になる。

三月二十一日(土)(文部科学省の問題点1-1)
最後に文部科学省のどこが間違っているかを明らかにしよう。まずは小学生の英語である。斉藤兆史氏が次のように明白に述べている。(「54、リスニング試験が国を亡ぼす」へ)
中嶋氏は小学校に英語を導入しようとした中心人物であるが、「私が学長を務める国際教養大学は徹底した能力別指導を採り入れ、基礎クラスでも三ヶ月半でイラク問題の議論が英語でできるようになっている」と言うのだったらその教育法を公開すれば小学校で英語を勉強する必要はない。
大学生が三ヶ月半でできることを、全国の小学校を混乱に巻き込んでまで推進することはない。もし三ヵ月半でできないのだったら、虚偽を述べた男の主張する小学校の英語を進める必要はない。どちらにしても小学校の英語は必要ない。

三月二十二日(日)(文部科学省の問題点1-2)
その中嶋氏は「日本は欧米先進国の一員なのです」と述べている(「57、中嶋嶺雄氏は中教審には不適格である」へ)
日本は人種といい文化といいアジアの一員ではないか。それなのに欧米先進国の一員とは偏向がひどすぎる。経済から見れば欧米先進国の一員だと言い逃れをするかもしれない。しかし日本にも貧富の差はある。中嶋氏の主張では日本の中流以上は欧米、下流はアジアということになる。国家を分裂させる男を中教審に関与させた文部科学省の責任は重い。

三月二十三日(月)(文部科学省の問題点2)
次は、前にも取り上げた(「75、英語による洗脳を防ぐ方法」へ)「日本への留学生を増やすために大学の授業は英語で」である。これは文部科学省が直接言った訳ではないが、会議をそのように誘導し、あるいは行えるよう制度を改正したことで責任がある。
日本に留学生を呼ぶ理由は、日本語ができて日本のビジネスを理解する親日派の若者を育成することにある。英語で授業を行っては留学生がどれだけ増えようと意味がない。税金の無駄使いである。
日本人にとっても日本語で学ぶのと英語で学ぶのでは英語が得意な人でも10倍は効率が違う。つまり日本語で授業を受けた者が4年分の学習をするのに対して、英語で受けた者は0.4年即ち4.8ヶ月分の知識しかない。
日本はなぜ戦後復興できたのか。それは母国語で教育を行い母国語でビジネスを行ったからである。フィリピンやインドやスリランカの経済状況を見よ。これが英語公用語の実態である。

三月二十五日(水)(文部科学省の問題点3)
「高校の英語の授業は英語で」は最悪である。まず授業の効率が大きく落ちる。次に、英語で話す内容は「何ページの何行目から読んで」「この単語はどこに掛かっている」など限られているから、すぐに飽和状態となる。つまり会話の練習にもならない。
教師にも教え方の上手な人とそうではない人がいる。否、本来は教え方の下手な教師などいない。話すのが苦手な人はプリントや黒板に工夫をするなど、それぞれが自分の得意な方法を用いてきた。英語で授業をしろというのは、いままでの経験と工夫を台無しにして、すべての教師に下手な方法で教えろと言うに等しい。最初の年は最悪になる。翌年は少しまともになろう。年度によって質に大差のある教育が許されるはずがない。

三月二十六日(木)(文部科学省の問題点4)
英語の苦手な人が多く日本は困っているというのであれば、英語教育は重要である。しかしそれは15年前までの話だ。今では英語は得意だが仕事ではまったく使わないという人が国内にあふれている。待遇もきわめて悪い。
テレビ東京の報道によるとKDDIエボルバの契約社員は時給1350円で何年継続勤務しても時給は変わらない。その上、一昨年国際電話の交換手を廃止するというので労働争議が起きた。
私が先週労組の相談員の当番をしていたときにも、技術翻訳をやっていたという50代の人が相談に来た。年収は低かった。
文部科学省のやることは時代遅れが甚だしい。米が余っているというのにまだパン給食を続けていることでもわかる。

三月二十八日(土)(英語公用語の問題点)
船橋洋一氏は、日本でも移民が増えて近所に住むかもしれないから英語が必要だという。日本への移民は日本語を話せるに決まっているではないか。こんな馬鹿げた話はない。靴の大きさに合わせて足を切るようなものである。
日本は欧米の猿真似をすることでこれまで成功してきた。これからはアジアの文化を発揮して成功を持続させる必要がある。地球温暖化で西洋文明が限界に達した今こそ其の好機である。


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