54、リスニング試験が国を亡ぼす
平成十八年
一月二十九日
今年から大学入試センターの英語にリスニングが加わった。リスニング試験は国を亡ぼす。この問題を今回は取り上げよう。
リスニングが加わったことにより今年から受験料が2000円値上げされ、それでもトラブル続きだった。英語リスニングは小渕私的懇談会が発表し世界中の笑い者となった英語第二公用語の焼き直しに過ぎない。
二月二日
慶応大学教授大津由紀雄氏の「小学校での英語教育は必要ない」(2005年5月慶應義塾大学出版会)は名著である。この本には英語英語と騒ぐ連中の魂胆もアメリカがこれら連中の育成に関わってきたことも書かれている。
英語、言語、教育の専門家が多数登場する。国民必読の書である。以下その内容を紹介したい。
二月五日
岐阜大学教授寺島隆吉氏は著名な英文学者中野好夫氏の次の言葉を紹介している。
- 語学が少しできると他人より偉いと思うような錯覚がある。くだらない知的虚栄心である。実際は語学ができるほどだんだん馬鹿になる人間のほうが多い。
- 語学の勉強というものは人間の胆を抜いてしまうようにできている妙な魔力がある。よくよく警戒してもらいたい。
英語英語と偏った記事を書く三流記者とカナダの男性乗務員は馬鹿になり胆も抜かれてしまったらしい。
二月六日
斉藤兆史氏は、次のように語っている。
- 中嶋嶺雄氏の「アジアで孤立しないために英語を学ぶ」というのは何とも奇妙な理屈である。
- 母語話者が存在するかぎり英語は平等な国際対話を可能ならしめる共通語になり得ない。
- 中嶋氏は小学校に英語を導入しようとした中心人物であるが、「私が学長を務める国際教養大学は徹底した能力別指導を採り入れ、基礎クラスでも三ヶ月半でイラク問題の議論が英語でできるようになっている」と言うのだったらその教育法を公開すれば小学校で英語を勉強する必要はない。
茂木弘道氏も次のように語っている。
- 「アジアの人たちと対等に英語で話ができるように小学校から英語を勉強すべきだ」などと素人がいうようなことを平気でいうのか私には理解できません。
女系天皇問題について、小ホームページが昨年末に突然反対した理由は有識者会議とその応援団の言い分があまりに低級だったからである。小学生の英語に反対するのも同じ理由である。小渕私的懇談会の英語第二公用語といい親米拝米主義者たちの言い分といい日本はなぜこんなに素人のような低レベルの議論ばかりになってしまったのだろうか。
二月七日
寺島隆吉氏は、次のように語っている。
- 小さい頃に刻み込まれた英語崇拝・白人崇拝は癒すのに巨大な年月が必要、有名なフルブライト奨学金すら日本の知識人を洗脳するための機関として位置づけられていた。
- 外国語は学ぶ目的が明確であり学ぶ環境が整ってさえいれば成人になってからでも習得できる。岐阜大学における留学生の日本語の上達ぶりは留学センターの日本語の学習でたった三ヶ月の学習で驚くほどの進歩を見せる。
山川智子氏は、次のように語っている。
- 先進国首脳会議(サミット)では、日本語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語が使用され、日本語以外は直接それぞれの言語に同時通訳され、日本語は英語経由である。
- 加盟国の公用語をすべて公用語としたEUでは、文書の翻訳作業が煩雑になるにもかかわらずこの原則を貫いているのは「翻訳そのものが文化であり、言語的多様性を守ることが文化の豊かさを体現するという思想がある」
アジアにおいても既に実行されている。前述の斉藤兆史氏は、次のように述べている。
- 今年で七回目を迎える「東アジア4大学フォーラム」という大きな学会では、ソウル大学、北京大学、ベトナム国家大学ハノイ校、東京大学がそれぞれの国の言葉で話をする。同時通訳がつき、英語は使用しない。
日本にとり急務は、英語ではなくこれらの言語の専門家の育成であろう。
二月八日
鈴木孝夫氏は次のように語っている。
- 小学校で最も大切なものは一にも国語、二にも国語、三にも国語、四にも国語、・・・。ところが国語力は英語の導入がなくても既に惨めな状態にある。英語遊びに割く時間があるならば国語の勉強時間を増やすべき。
- 入学してくる段階でいまの子供たちの多くが学校教育を受けるのに必要な社会訓練を受けていない。
- 父親は言うまでもなく母親の多くまでが昼間働いていて、親と子が共有する時間や生活の場面がほとんどない。だから小学生から英語を始めて国際人に育てるなどというくだらない妄想を捨てて、何よりもまず日本人をつくることに向かって健全な人間そのものの基礎をつくる言葉、つまり母語である日本語を小学校で固めることに集中すべき。
- 三流のアメリカ人になるつもり?
二月十日
日本語の発音は中国語や欧州語と大きく異なる。そのため読解と作文に専念し会話は避けてきた。遣随使の時代から昭和60年頃まで千四百年に及ぶ生活の知恵である。ところがプラザ合意以降の円高で英語ってかっこいいとばかり英会話ブームになってしまった。英語は本当に必要な人は誰でもできる。例えば今時肥桶を担いで道路は歩けないが、必要とあらば誰にでもできる。40年前までは現に行なっていたのである。
渡部昇一氏が指摘するように、読解と作文は学力に比例するが会話は比例しない。大学の入試に英会話を入れないのは不平等だからである。勉強しないでハワイに行ったり外人客の多いホテルでボーイのアルバイトをしたほうがいいということになる(平林渉、渡部昇一「英語教育大論争」)。
大学入試にリスニングとかいうカンニングの親戚みたいな教科を入れることにより、日本人は三流アメリカ人を目指す競争に駆り立てられることになってしまった。
二月十六日
欧米がやっているという理由で物事を日本に採用する事は即刻停止すべきである。日本に採用した場合に現世代と数世代後にどういう利点とどういう弊害があるかをまず検討すべきである。インドでは十四日に、バレンタインデーは西洋かぶれだ、インド文化を守れ、というデモが相次いだ。喜ばしい事である。日本でも西洋かぶれに反対する必要がある。インドに広まった仏教が日本に伝わった如くインドに広まった西洋かぶれ反対運動を日本にも広めようではないか。
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