百十九、アジアは一つ
平成二十二年
二月十八日(木)「今年の抱負」
今年はミャンマー仏教を学習しよう。そんな考えが浮かんだ。なぜ今頃今年の抱負を語るかというと、東アジアには二つの新年がある。
一つは立春である。春夏秋冬の初めの立春を以って新年とすることができる。
もう一つは月が完全に欠けたときを以って新月となし、春の新月を以って新年とすることである。これは東アジアの伝統暦である。月の動きは自然界に力を及ぼす。汐の満ち潮引き潮はそうだし、出産にも影響を与える。仏教の行事も月の動きに合っている。
西洋暦の一月一日はこれから寒くなろうという時季であり、新年だと言われても東アジアには合わない。一年は「春夏秋冬」ではなく、「冬の大部分春夏秋冬の一部」になってしまう。ちなみにミャンマーやタイは東アジアとも異なっている。これにも理由がある。
二月二十日(土)「アジアは一つ」
東南アジアの国々は等しく経済均衡をすべきである。タイには数ヶ月出張していたこともあり、もっとも親しみを感じる。しかし周辺の国よりは経済が進んでいる。一番いいのは世界全体が産業革命以前の経済に戻ることだが、今はまだその時期ではない。とりあえず東南アジアは均衡すべきで、ちょうどそんなときにミャンマー仏教の学習会に参加した。それがミャンマーに目を向けたきっかけであった。
ミャンマーで以前発生した軍部とデモ隊との衝突について言えば、日本の自民党政官財癒着長期政権のように、政権交代がないと必ず堕落する。しかしミャンマーの政権を米英の圧力で覆すのはよくない。それでは欧米かぶれの政権になってしまう。少しずつ軍部が軍事に専念できるよう改良を進めるのがよい。
二月二十二日(月)「タイのIT企業」
先週水曜はタイのIT企業が十七社来日した。私も数社と会談した。日本ではパッケージを買わずに一から開発することが多いのか、と質問された。それは本当である。しかしいい製品があれば企業は購入する。競合相手は非パッケージではなく欧米製品である。そう説明した。
日本側の政府外郭法人の人と話したが、開催前に日本では一からの開発がほとんどだという説明がありタイ企業から驚きの声が上がったそうである。外郭法人の方にも、競合相手は欧米製品だと説明した。開発の外注も受注すべきだが漢字の得意な中国に対抗するのは難しい、プログラム開発自体は今では扱いが簡単だが、とも説明した。
それとは別の外郭法人の人がタイ主催者側と通訳を交えて日本語で会談していた。たまたま近くで資料を読んでいて内容が聞こえたのだが、タイ側がITを更に日本で紹介するために日本側の補助金について質問するのに対し、日本側はいい製品があれば全国に広めることは簡単だ、と言っていた。ずいぶん大言を吐くものだと耳を傾けていると、数分後に声を荒らげて席を立った。日本側は欧米に対するときもあのような態度を取るだろうか。欧米に対しては追従笑いを繰り返し、東南アジアに対しては大言を吐いたり声を荒らげる。そのような態度は許されない。
二月二十四日(水)「日本語が堪能なアジア人の育成を」
タイのIT企業は日本に留学した一社を除き日本語は話せない。だから英語で話しかけるとほとんどがあわてて通訳を呼びに行く。通訳は日本在留の留学生で、アルバイトか祖国のために奉仕しようとするのか、おそらくは両方の気持ちであろう。これら若者たちと話す機会があったのはよかった。
それにしてもタイのIT企業は私が英語で話しかけると、なぜあわてて通訳を呼びに行くのか。普通の日本人なら「私の英語は通じないのか」と落ち込むところだ。しかし私は逆のことを思った。たいした自身だがこの感想は間違ってはいなかった。その後、アジア系カナダ人という人がいて彼とは英語で話した
しかしタイのIT企業のすべきことは英語能力の向上ではない。日本語力である。アジアは英語で意思疎通をすべきではない。それぞれの言葉を使える人材の育成は日本政府を含めてアジア各国の急務である。
日本政府について言えば、日本語の堪能な人材はアジアにあふれている。彼らは母国に帰ってもあまり有効に活用されていない。彼らを有効に活用することこそ、新たな人材の呼び水となる。
二月二十六日(金)「漢字には振り仮名を付けよう」
日本語の上手な外国人は韓国人と中国人である。韓国語
は文法が似ているし、中国は漢字の本場である。東南アジアに日本語の得意な人が少ないのは漢字が原因である。すべての漢字にはふりがなを振るよう法律を制定すべきだ。
今日の文章はいつもの三分の一だが、所要時間は二倍かかった。何しろ、制定と書くには、
[ruby][rb][font size="1"]制定[/font][/rb][rp]([/rp][rt]せいてい[/rt][rp])[/rp][/ruby]
と書かなくてはならない。
二月二十八日(日)「民間企業の営業部門と仕入れ部門」
民間企業では、営業部門はお客様に対して低姿勢でなければいけない。一方で仕入れ部門は相手企業の営業に対して威張っている(人もいる)。日本政府の海外援助を考えてみよう。営業部門に当たるのが外務省やその外郭団体であり、仕入れ部門に当たるのが税金を払う国民である。外務省やその外郭団体の職員は仕入れ部門だと勘違いをしてはいけない。あなたたちは国民の税金を有効に活用するために、低姿勢になって援助先を探さなくてはいけないのである。
私が十一年前タイに数ヶ月出張したときに、昼食をときどき食べに行った屋外のレストランはハエがよくたかった。テーブルの中央には新しいお皿が積んであり、横には小さく粗末なティッシュボックスが置いてある。タイ人は新しい皿を使うときにティッシュで拭いてから中央の大皿から料理を盛る。皿にはときどきハエがとまるので我々も真似をしたが、中央の料理にもハエがたかっているのに皿だけ拭いて意味があるのかなあ、と思いながら最初のころは食べたものだった。そのうち目と胃が慣れてきてハエがとまろうが何しようが料理をおいしく食べるようになった。
私が出張した仕事は日本政府の海外援助で行われていた。日本大使館の職員が視察に来たとき責任者のタイ人が連れて行ったレストランがここだそうである。そのため我々はこのレストランに行くことを大使館コースと呼んでいた。現地の人は感謝の気持ちでそのレストランに連れて行ってくれたのである。
三月二日(火)「藤川和尚亡くなる」
昨夜はインターネットで、藤川和尚が二十四日に亡くなったことを知った。十九日に脳梗塞で倒れ救急車で運ばれたが駄目だった。
和尚は京都で地上げ屋をしていた。相当派手な生活をしていたらしい。バブルがはじける前に撤退しタイでレストランを経営していた。タイでは若い男子は皆出家する習慣がある。従業員の一人がたまたま一時出家をしたので藤川氏も一時出家をしてみた。そして一旦は還俗ののちに再度出家して事業は他人(元愛人?)に譲り十七年を過ごした。数年前に日本に帰国し篤信者が貸してくれた狭いアパートに住みながら新大久保で毎朝托鉢をしていた。アパートに行った人が、本当に粗末な部屋だ、と驚いていた。和尚を見かけたタイ人の女性が和尚を呼び止めて近くのコンビニエンスストアで料理を買い和尚の托鉢盆に入れたこともあった。場所が新大久保なので水商売の女性かも知れない。そのような女性の心の支えとなっただけでも和尚の日本での存在価値は大きかった。
あるとき私が「タイのレストランではお客が皿を紙で拭きますが、料理にハエがたかるから無意味ではないですか」というと和尚も笑った。元レストラン経営者も同感だったのだろう。
三月四日(木)「経済均衡」
タイ出張中に皆で夜の繁華街に行ったことが一回ある。バンコクに多数出張した人や長期滞在している人もいっしょなので安心である。驚いたことに大勢の日本人男性が来ていた。単身赴任でしかも収入格差をいいことに、こういうところに来るのであろう。我々はカラオケに行っただけである。客一人にコンパニオンの女性が一人ずつ付き、帰るときにその女性を連れて行くのかどうか聞かれたが、無論我々は断った。前に日本から出張で来た人が一人連れて帰るほうを選んだという話を誰かが暴露して皆で大笑いした。私はなぜこのような繁華街が仏教国のタイにあるのだろう、と疑問を持った。しかしすぐに、大多数のタイ人は真面目に仕事をしていて、この街に関係する人はごく少数なんだ、と気付いた。日本国内も同じである。新宿と新大久保の間の歌舞伎町はいったい何だ、と仮に来日したアジア人にいわれても多くの日本人は我々には関係ない、と答えるはずである。
東南アジアの女性と聞いてこのような商売を連想する日本人が多い。新大久保の女性で水商売を連想した私も同罪である。もしかするとまったく無関係のタイ人の女性かも知れない。このように連想してしまう背景に経済格差がある。
三月六日(土)「産業革命の犯罪」
産業革命は人類史上最悪の犯罪である。これにより二度の世界大戦と地球破壊と各地の文化破壊が進んだ。そして今では地球温暖化で人類は滅亡寸前である。
十年前にタイの観光地に行くと、若いタイ人女性を連れた白人男性をよくみかけた。まさか夫婦ではないだろう。年齢が大きく離れている。そういう商売の女性を連れているのであろう。欧米とアジアの経済格差がこのような現象を生んだ。アジアが欧米の経済に追いつくのではなく、欧米が産業革命以前に戻るべきだ。そうしないと地球が滅びる。
三月八日(月)「ラオス仏教」
ラオスで出家した日本人僧侶の寺院が東京にある。藤川和尚の縁で数年前に行ったことがある。日本の普通の仏教寺院のような妻帯寺院の印象を持ち、その後会っていなかった。
その日本人僧侶が先日、ミャンマー仏教の学習会の建物にたまたま来て、釈迦仏像に三拝ののちに我々を日本人だと知って、短く挨拶された。
ミャンマー人僧侶に、日本人僧侶の寺院は日本の寺院と変わらないように思えたが、ラオスは共産主義政権なので他の上座部仏教国とは異なるのか質問した。
ミャンマー人僧侶は、共産主義でも変わらない、戒律を守っていると答えられた。それを聞いて安心した。藤川和尚からは、戒律を守っていないと言って実際には守っていた場合は罪がこっちに来るから気をつけないといけない、と言われたことがある。数年前の指導が生かされた。
三月十日(水)「共産主義と仏教」
タイで十一年前に宿泊したのはバンコクのフォーチュンホテルであった。このときの経済援助プロジェクトの出張ではここを毎回使うそうである。まあ中級クラスかな。私には高級すぎる。元は日本系企業の経営であったが、アメリカのハゲタカファンドによるアジア経済危機で日本企業は倒産し中国系に売却された。各部屋のホテル案内のファイルに小平氏のご子息が車椅子でこのホテルを訪問したときの写真が入っていた。ホテルと一体となった北側の細長い通路のようなビルは元はヤオハンだったが、宿泊したときは改装中だった。長細いビルの更に北側には中国大使館があった。
いっしょに出張した日本人が中国大使館の近くに行って誘拐されるといけない、と心配していた。この当時はまだ北朝鮮の誘拐は公表されていなかったが、この言葉に多くの日本人が共産主義について抱いているイメージをよく示している。中国、ラオス、ベトナムはイメージ向上にもっと努めたほうがいい。そういう私も、ラオスは共産主義なので戒律が緩いのではないか、などと疑問を持ってしまったが。
中国大使館が誘拐するなんて絶対にあり得ないから、私は夜に大使館手前の小さな暗い路地を入ったところのセブンイレブンによくビールを買いに行った。シンハービールともう一つあって安いほうをいつも買った。ついでに中国大使館の入り口に掲示されていた広報を読んだ。英語と中国語で仏教寺院を修復する記事であった。中国は英語はいらないから現地語を載せたほうがいい。イメージアップ作戦は重要である。このときには、建物を修復するだけではなく教義や住民の信仰こそ重要ではないかと十一年前には思った。しかしあの路地は本当に暗かった。今は地下鉄の駅が近くにできたのでだいぶ変わってしまっただろう。
三月十三日(土)「ベトナムとラオス」
ベトナムとラオスは世界で最も成功した共産主義国である。欧米からの完全独立とアメリカ腐敗文化に反対したことがその秘訣であろう。ホーチミンは阮愛国(グェンアイコック)を名乗っていたし、ラオスではスファヌボン殿下のラオス愛国戦線が活躍した。愛国をよい方向に向けさせた成功例である。
ベトナムで残念なのはフランスが押し付けたローマ字を採用したことである。これによりベトナムは過去と不連続になった。不連続な社会は不安定である。ローマ字は日本にも責任がある。日本軍がベトナムに進駐したときにベトナム人から文字の復活について相談を受けたという。日本軍の高官は独立が第一とその意見を退けたという。
ベトナムとラオスはタイなどと比べれば貧しい。しかし今の資本主義社会は未来の生物の生存権を食いつぶしているに過ぎない。ベトナムとラオスが貧しいのではなく、これが正常な姿である。
三月十七日(水)「アジアの言語の専門家を」
藤川和尚の偉いところは、英語が苦手でタイの僧侶になったことである。つまりタイ語で出家しタイ語で修行したのである。アジアでは英語は使うべきではない。非仏教徒の学者が仏教を研究するようなもので、役に立たない。それどころか有害である。
日本語の得意な各国の人と、各国の言語の得意な日本人の育成は未来のアジアにとり重要である。
三月二十日(日)「韓国人の上座部仏教僧侶」
今日はミャンマー人僧侶の説法を聞いた。この勉強会は日本語の堪能なミャンマー人が通訳をしてくれるので、毎回極めて充実している。ミャンマー人の参加者もいる。このような姿が理想的である。日本人だけだと上座部仏教の背景がわからないし、ミャンマー人だけだと日本人には言葉がわからない。
今日は最初にミャンマーで出家した韓国人僧侶が挨拶をされた。日本語でも少し話された。日本語を聞くことはできるが話すほうが十分ではないとおっしゃっていた。韓国語と日本語は文法が似ている。韓国語のほうが母音や子音の数が多いから、韓国人が日本語を習うのは簡単だが、日本人が韓国語を勉強するのは最初の敷居が少し高い。しかし英語よりははるかに敷居が低い。
日本人は中国語、韓国語、その他のアジアの言語のどれかを第一外国語として習い、英語その他の欧米言語を第二外国語とするのが国情に合っている。高校でも第二外国語を学習すべきだ。
四月四日(日)「ワッパープッタランシー」
二月に東京で行われたタイIT企業のイベントのときに通訳をしてくれた留学生が、八王子にタイ仏教寺院があると言っていた。東京近辺は三河島と成田しか知らないので初耳だった。本日ワッパープッタランシーというそのお寺で藤川和尚の納骨式があり、私も参詣してきた。
お寺を寄進した篤信のタイ人女性がお寺の説明をマイクで皆にしてくれた。元は農家だった古い家を買い取り、母屋を僧侶の居住用に、離れを本堂に改築の途中である。極めて質素で、本堂にはまだ壁がなく半分屋外である。皆寒さに耐えながら参列した。特に僧侶方は南方の衣なので相当寒かったが皆の熱意で暖かかったとあとで述懐されていた。
四月七日(水)「少悪魔と大悪魔」
アジアにあって、日本は西洋の猿真似をして戦前には戦争を起こした。戦後は西洋の猿真似をして経済大国となり、悪い手本をアジアに示している。
では西洋はどうか。戦前はアジアのほとんどを植民地にし、冷戦終結後はハゲタカファンドで経済を混乱させ欧米のやり方を押し付けてアジアの文化を破壊しようとしている。しかも西洋文明は地球を滅ぼそうとしている。
日本のすべきはアジアの一員に戻ることである。日本のためだけではない。地球を温暖化で滅ぼさないためである。
メニューへ戻る
前へ
次へ