百二十七、手段と目的
平成二十二年
五月十九日(水)「社会運動の目的」
前々回で述べたが、社会運動の目的は、社会から脱落者を出さないことである。手段として社会民主主義や民主社会主義やマルクスレーニン主義や地域主義や伝統派がある。ところが手段を目的とするから大変なことになる。
まず相互の信頼がなくなる。互いに左翼だ、右翼だ、左派だ、右派だと対立を繰り返すことになる。マルクスの唯物論は当時の欧州で勝つための手段として述べたにすぎない。つまり唯物論は手段の手段である。現代に用いる必要はまったくない。
五月ニ十日(木)「アジアには右翼も左翼もいない」
アジアには本来右翼も左翼もない。西郷隆盛、高杉晋作、吉田松陰、大塩平八郎を右翼と左翼のどちらに分類するかほとんどの人が答えられないだろう。ところがアメリカかぶれの連中がヒトラーを例に、右翼と左翼を合わせると大変なことになる、と思わせてきた。
ここでヒトラーの手段と目的を明らかにする必要がある。ヒトラーの目的は政権を獲得することであった。当時のドイツを見れば、反フランスや反ロシアを主張すれば国民の三分の一の支持を得られる。その一方で労働者の見方をすれば三分の一の支持が得られる。つまりヒトラーは両方を主張して三分の二の支持を得た。そして独裁を始めた。
五月二十一日(金)「政治家と売文業にはヒトラー族が多い」
政治家には、日本を良くするためにがんばろうという人と、議員でいたり党内で出世することだけが目的の人がいる。後者は目的がヒトラーと同一である。
新聞社にも、日本を良くするために記事を書くのではなく、社内で出世するため、CIAの工作に従ったり内閣機密費をもらい変節しただけの連中が多い。これらも目的がいびつだからヒトラー族である。
五月二十二日(土)「帝国主義賞賛族も多い」
次に日本で多いのが、戦前の日本だけを非難する人である。それでは欧米による広大な植民地支配を正当化してしまう。触れるときは欧米の植民地支配とそれを猿真似した日本の両方を非難すべきだ。戦前はアジア、アフリカ、アメリカのほとんど全域が植民地だったという事実を忘れてはいけない。それでは帝国主義賞賛族になってしまう。
五月二十三日(日)「民主主義は手段である」
民主主義は手段である。目的だと勘違いすると大変なことになる。まずは帝国主義を正当化することになる。イギリス、フランス、オランダ、アメリカは戦前も議会政治だからである。議会政治の政府が支配した広大な植民地を正当化することになる。そもそもアメリカは多数派の先住民を駆逐したあとで民主主義を導入した。つまり国自体が植民地の偽政府である。
さて日本で民主主義を主張する人には二種類ある。一つは「民主主義という共通の価値観」などと称してアメリカの属領であることを正当化するとともにアジアの連携を妨害する連中である。企業には株式が分散していて民主的なところと、特定の人が多数を占めて独裁のところがある。民主主義が価値観の人は国内に独裁的企業を放置して良心が痛まないのか。民主主義が価値観の人の偽善がこれで明らかになる。
五月二十四日(月)「民主主義は劣化する」
もう一つは共産主義者と対抗するために民主主義を主張することである。戦後の労働運動分裂の責任は共産主義の硬直した思考にもあることを考えれば、その主張はもっともである。しかし民主主義を主張する人がなぜ「製造業派遣を禁止すると、国際競争力がなくなり、電機産業はやっていけない」と述べるのか。
民主主義は独裁と対抗するときにのみ主張すべきである。民主主義を取り戻したのちは劣化する。大企業組合がほとんどの組織で選挙をしても民主主義とはいえない。アメリカが先住民を排除したのちに選挙を導入したのと同じである。
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