百十五、社会民主党復活大作戦

十一月三十日(火)「福島党首と握手」
一昨日は労働組合の大会があり、福島党首も懇親会に来られた。懇親会終了後に十数名が福島さんと握手をしていたので、私も握手をした。これまで私が握手をした国会議員は三名。そのうち二人目が二十ニ年前の上田哲さん(当時は日本社会党)、三人目が今回の福島瑞穂さんである。社民党系が66.7%を占める。ということで今回は社民党復活大作戦を考えたい。

十二月二日(水)「国会法改正」
政治の要諦は保守と改革である。保守とは国民の生活を守ることであり、改革とは前任者の残した旧弊を改めることである。
自民党長期政権の悪弊で政治と事務方の癒着が生まれた。官僚答弁を禁止する国会法改正は時宜を得た改革である。社民党は国民の期待を感じ取らねばならない。守旧政党でいてはならない。

十二月五日(土)「小泉元首相が人気のあった理由」
小泉氏が首相のときは本当に国民の支持を集めていた。その理由は自民党の巨大派閥を相手に「自民党をぶっ壊す」と言い切ったことにある。「殺されたっていい」とまで言っていた。実際には多数の警察官に警備され、どう見ても殺される雰囲気ではなかったが。

自分の息子に跡を継がせ、今ではすっかりメッキがはげてしまった。しかし当時は自分の体を張って国民のためにがんばっているのだというその姿勢に多くの国民が共感した。翻って社民党はどうか。村山富市という首相の地位に留まるだけの男のイメージが今でも残っている。

今回民主党が政権を取った背景に、小沢氏の功績がある。選挙の神様とまで呼ばれるその党務力のことではない。自民党を割って出て十六年間閣僚や与党の族議員とは無縁で来たその実績に対して国民が共感したのである。

十二月七日(月)「民主党と社会民主党は国民のために対等を取り戻せ」
普天間問題で、日本が譲歩しないとアメリカとの信頼関係に傷がつくという主張がマスコミから出ている。冗談ではない。沖縄の米軍施設は面積の一割を占める。このような状態を戦後六十五年間放置してきたことこそ、既に信頼関係は崩壊している。戦後は短期間を除いてずっと自民党政権であった。とうてい民主主義とは言えない。その原因は新聞社の拝米姿勢にある。読売新聞は共産党崩れの拝米社長、朝日新聞は英語公用語の拝米主筆、毎日新聞は経済、社会、文化にまで同盟は深化したと述べる。これでは日本がおかしくなるのも無理はない。信頼関係は完全に崩れている。回復にはまず対等が必要である。

日米安保条約は条約だから守らなくてはならない。しかし前政権の合意など政権交代があったのだから変えるのは当然である。民主党と社会民主党は今こそ体を張って国民のためにアメリカに立ち向かうべきだ。社会民主党は村山富市の汚点を十五年ぶりに晴らすよい機会である。

十二月八日(火)「逆の立場だったら」
アメリカで政権が交代して、前政権の合意を新政権が変更するよう求めてきたとする。よくある話だ。日本はそのときアメリカに、合意を実行しなければ日米関係を損なう、と言うか。絶対に言わないはずである。 日本の新聞は各社こぞって、アメリカ新政権との信頼構築は重要である、と見境もなく書きまくるであろう。日本の新聞は、戦前は日本を戦争に導き戦後はアメリカの属領に導く。とんでもない連中である。

十二月十一日(金)「社会民主党は社会民主主義を放棄せよ」
社会民主党は社会民主主義を放棄すべきである。それでは「  党」しか残らないではないか、と心配する必要はない。放棄すべきは「主義」である。アジアでは「主義」という言葉は好まれない。

三十年ほど前までは、巨人ファンとアンチ巨人というものがあって、職場などで互いに非難し合っていた。江川事件というのがあった。アンチ巨人はここぞとばかり非難したし、巨人ファンは「一日の空白があって規則どおりにやったんだ」と弁明した。「好きなチームがあって応援するのが普通なのにアンチ巨人というのは変な連中だよな」という非難もあった。
主義というのはこの巨人ファンやアンチ巨人みたいなものである。間違っていようが何をしようがとにかく自分の応援するほうを正当化する。そういうイメージがある。社会民主党の放棄すべきはまず「主義」である。その点民主党は上手だった。

十二月十三日(日)「改革がなければこの世は闇だ」
民主党の改革力には目を見張るものがある。事務次官会議の廃止、官僚答弁の禁止に続き、事務次官の廃止という主張も出ている。これは正論である。事務次官は廃止したほうがいい。
自民党はなぜこれらを放置してきたのだろうか。水が下に流れるように人間は放置しておくと堕落する。人間の集まりである政党も堕落する。ここに政権交代の意義がある。自民党も最初は改革力を持っていたはずである。自由党と民主党のときには持っていた改革力を保守合同で失ったといえる。その後の社会党との馴れ合いで更に失ったとも言える。その結果、官僚の天下りと日本の属領状態を放置してきた。
不合理なことがあってもいつかは改善される。そう思えば希望がある。永久に固定されたらこの世は闇である。社民党は第一段階としてまず民主党の改革力を見習う必要がある。

十二月十六日(水)「安定がなければ改革は闇だ」
改革は必要があるから行うべきで、欧米の猿真似で行うと世の中は不安定となる。安定した世の中を築くには世代を超えて考えるとよい。社会民主党の主張しそうなことに夫婦別姓がある。これは問題が多い。
世代を未来に考えれば、子供が二人では先祖代々の姓が消滅する可能性は高い。世代を過去に遡れば、江戸時代には一般の人は姓を公にしなかった。
姓は公にしないのが世代を超えた安定であろう。一つの家で二つ以上の姓を持っていてもよい。戸籍には名前しか載せない。社会生活では上に自分の生まれた村なり姓なり勝手に付ければいい。江戸時代はそうやって生活してきた。

十二月十八日(金)「堕落を食い止めることが連立与党の役割」
与党は長くやると堕落する。既に民主党内にもアメリカのいいなりや、官僚のいいなりになる議員が出現したかも知れない。それを食い止めることは連立与党の役割である。
民主党への国民の期待は大きい。民主党を批判的に支えることは得策ではない。好意的に支えることが社会民主党の役割であろう。この際、党名を変えたらどうか。社会国民党あたりが一番好い。


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