91、真宗大谷派児童教化連盟
平成ニ十年
八月八日(金)(日韓友好)
夏休み早々子供が或る宗派の夏季キャンプに参加した。経緯はこうである。五月頃子供が友人の家に一泊した。その友人のお母さんは韓国出身で、出されたキムチが美味しかったそうだ。これからは日韓の時代である。欧米に行くには大量の二酸化炭素を放出する。航空機はいずれ廃止されよう。韓国へはフェリーで行ける。韓国文化に触れるのは好い事である。私も目を細めて子供を送り出した。
次の日、お寺に行きそこで夏季キャンプに誘われた。韓国の仏教かと思ったが日本の真宗大谷派であった。
八月九日(土)(産経新聞)
産経新聞の一昨日の記事はひどかった。竹島で日韓が軍事衝突したら今なら日本が勝つという内容である。韓国の新聞の記事を翻訳した風にはなっているが、産経新聞の言いたいことそのものである。多くの読者は韓国に反感を持つことだろう。日本は軍事で問題解決しないことになっている、竹島は人の住まない無人岩であり欧米人が勝手に決めたルールで日韓関係を悪化させるべきではない、と主張すべきであった。
産経新聞は中国の国家主席が来日したときにも、これでもかというくらい大量に悪口を書いた。
産経新聞はアジアの国々が仲良くすることによほど反対らしい。確かに米国の属国でいれば楽である。しかし文化が破壊されることに早く気付くべきだ。
八月十日(日)(アジアで三度目のオリンピック)
オリンピックが始まった。昨日は日本で放送される最初の試合、女子重量挙げを見た。東京オリンピックで重量挙げの三宅選手が金メダルだったことを当時は小学校低学年だったが今でも覚えている、と話しながら見ていたら偶然三宅という選手が登場した。何とあの三宅選手の姪であった。
タイの選手は立派である。二人出場したが合掌してから持ち上げ、終わったあとも合掌した。この二人を応援したが一人は失格、もう一人は五位に入賞した。三宅は六位だった。
アジアの国々は欧米の真似をする必要はない。タイの選手を見習ってもらいたい。
八月十一日(月)(出迎え)
児童キャンプの解散は上野公園だった。私が迎えに行った。美術館の右隣の建物と聞いていたが、行ってみると上野の森美術館と西洋美術館と2つある。したがって解散は文化会館か科学博物館の横である。やむを得ず両方を往復してどちらでもいい態勢を取った。そのうち観光バスが科学博物館に向かった。私も急いで走った。しかしバスは止まらず行ってしまった。観光バスの前面に「上野高校」と張り紙があった。こらぁ、上野高校は上野公園周辺にバスを乗り入れるなぁ。
周りを見回しても炎天下を走っている人などいない。アベベ(東京オリンピックのマラソンで金メダル)ではあるまいし、なぜ走っていなければならないのだ。そのうちバスが来た。
八月十ニ日(火)(大成功のキャンプ1)
新宗大谷派児童教化連盟東京教区と貼り紙をしたバスが到着した。参加児童は50名だった。日本では真宗、曹洞宗、真言宗の檀家数が多い。その真宗の半分を占める大谷派が一都六県から集めて50名。もしXX会が児童キャンプを実施したら数千人は集まるだろう。これが既製仏教の実力である。
しかし解散の挨拶をする主催者の声や顔色、帰りの電車で子供とその友達に感想を聞いたりして、キャンプは大成功だったと確信した。
八月十三日(水)(もし政党がキャンプを実施したら)
もし各政党が児童キャンプを実施したらどうなるだろうか。子供には選挙権はないから効果が現れるのは10年以上先である。そこまで待てないから実際にはありえないが、もし実施したとしても共産党と社民党には絶対に参加させない。
自民党の戦後60年のアメリカ追従のせいで、近年は悪徳経営者やら反社会的な市民が増えてきた。このような社会にあっては相手が良心的な人ならこちらも同様に対応し、腹黒い人間ならこちらもそれに合わせる必要がある。
正直な人はどちらの対応も可能だが、腹黒い人間は腹黒い対応しかできない。共産党や社民党は道徳や文化を無視するから正直には育たない。
自民党はどうか。党内にアメリカかぶれや経済団体を抱えているとはいえ、道徳や文化を軽視はしない。広く国民から支持されてきた。自民党から離党した民主党内の勢力も同様である。
八月十四日(木)(大成功のキャンプ2)
子供は帰ってきた翌日も、お経の唱え方はこうするのだ、と唱えたりしていた。よほどキャンプが楽しかったのであろう。
次の日、喉が痛くなり耳鼻科に行った。医師に「キャンプでは何をしたの」と聞かれ答えた。「お経をあげた」。
耳鼻科のカルテに書かれてしまったことであろう。「怪しげな宗教団体のキャンプに参加し咽頭炎を発症」
八月十五日(金)(布教活動)
参加した児童の一人でも墓檀家から将来活動家になれば、それだけでもキャンプは大成功である。一人ということはない。はるかに多く輩出するであろう。我が家のように真宗大谷派とは無関係で、しかも私のように宗教問題にうるさい者でさえ、子供を参加させている。
キャンプが成功した理由は児童50人に対して大人のボランティアが20人参加したことにある。もともと信仰心の篤い人たちなのだろうが、益々深まることは疑いがない。このように効果の大きいキャンプだから各宗派は挙って実施すべきである。しかし他の宗派には実施できない事情がある。
八月十八日(月)(僧侶妻帯問題を解決するには)
布教活動を行うと、僧侶妻帯問題が必ず出てくる。それよりは静かにしていたほうが利口だ、雉も鳴かずば撃たれまい、という仕儀である。
明治維新以前は社僧がいた。社僧は妻帯が可能である。真宗を除き僧侶は妻帯できないのだから、まず社僧を名乗ったらいい。寺院に家族が住むのはよくない。篤信の老人に無給ボランティアで住み込んでもらい、社僧は朝出仕し夜帰宅する。本山や宗務庁の役員、宗会議員は清僧のみとし、弟子を取れるのも清僧のみとする。これで宗祖開祖開山以来の伝統に復することができる。
八月ニ十日(水)(全日仏は解散せよ)
15年ほど前に坐禅に熱中していた時期があった。それが冷めたのは曹洞宗の寺でのある催しであった。私も場内整理係をしていた。地域の仏教会と共催で各宗の僧侶が集まってくる。ある僧侶がタクシーを降りるなり下卑た笑いを浮かべて別の僧侶に挨拶した。何であんな無教養な男が僧侶なのか。一般信徒の前では黙っているからボロは出ないが、僧侶間ではあの程度なのか。世襲制と無戒仏教の限界を見てしまった。
全日仏とその地域組織はよくない。各宗派の美風を相殺する。何より宗派間の布教を規制する。消費者が電気製品を地域別に一社からしか購入できないとしよう。製造者にとっては笑いが止まらぬが消費者にとっては大損害である。仏教も同じである。全日仏を解散し墓地を地域の共有地と為し、各宗派は国民のために布教争いをすべきである。
八月ニ十三日(土)(坊主衆と郡の門弟国衆と一向百姓衆の持てる国)
真宗は加賀国を百年間支配したという輝かしい歴史がある。その一方で享禄錯乱という暗い歴史もある。享禄錯乱とは加賀を支配する四ヶ寺が、越前で一揆に失敗し加賀へ逃げ込んだ超勝寺勢に敗北した事件である。
これ以外にも本願寺派と高田派など真宗の内訌は多い。そもそも冨樫政親に本願寺派が味方し、弟の冨樫幸千代に高田派が加勢したことが加賀支配のきっかけであった。殺生を禁止する仏教がなぜ武力で争うのか。新しい試みは平衡するのに時間がかかるという原理で説明できる。この場合の新しい試みとは親鸞の始めた妻帯であり、覚如の始めた本願寺独立である。平衡とは徳川幕府による真宗寺院の寺請け制度組み込みであり、真宗大谷派の開申事件をきっかけとする本願寺の本廟化である。
八月ニ十四日(日)(親鸞は弟子一人ももたずさふらう)
建永2年(1207年)法然門下は4名が死罪、法然・親鸞ら8名が流罪となった。僧籍を剥奪された親鸞は非僧非俗となり妻帯する。笠原一男氏の著書「革命の宗教一向一揆とXX会」によると
- 「親鸞は弟子一人ももたずさふらう」という「歎異抄」の一説がある。この一節で親鸞はいう。専修念仏の坊主=布教者たちが、念仏の信者をとらえて、あれは自分の弟子だ、これはひとの弟子だという争いをすることはもっての外である。
- 坊主ははじめは、農民と同じく、日中は田畠を耕しその収穫で生活をまかない、年貢や雑税をおさめる生活をおこなっていたのである。
- かつては、夜、農耕の余暇を布教につかった坊主は、やがて職業僧侶化していったのである。
- 坊主の布教は宗教的義務感よりも、欲によって熱が加わっていったのである。そこに、親鸞がいましめたわが弟子、ひとの弟子の争奪戦が白熱化してくるのである。
八月ニ十七日(水)(上座部仏教と大乗仏教)
お釈迦様の時代は、多くの宗教者が苦行をしながら瞑想をした。仏教もこの方法を用いた。しかし戒律は実現可能な範囲に留めた。例えば餓死寸前まで断食するというようなことはしなかった。時代を経て偶像を拝み言葉を唱える宗教が出てきた。大乗仏教はこの方法を用い、戒律は殺生禁止、妻帯禁止など必要最低限のものに留めた。大乗仏教はお釈迦様の教えを後世に合わせたものであり、これを非仏説だと非難すべきではない。
さて、上座部仏教は瞑想により悟りを得るものだから宗教的なところがまったくない、と思っている人が多い。あるいはそう思いたい学者が多い。しかしこれは正しくない。上座部仏教は宗教である。神仏の加護はある。大乗仏教と同じである。
一方で大乗仏教は偶像を直接拝む。この場合戒律がないと大変なことになる。
八月ニ十八日(木)(戒律)
戒律がないと、僧侶は大変な特権階級となり、しかも堕落する。俗人の欲望を持ちつつ信徒の現世と死後の運命を握るからである。上座部仏教の250の戒律は互いに関連している。一部だけを取り出して守ることは難しい。そして大乗仏教は一部だけを取り出している。だから親鸞が日本の平安仏教の偽善を見抜き、非僧非俗の立場を作ったことは正しい。しかし来日したイエズス会はそうは見なかった。峰岸純夫氏「中世社会の一揆と宗教」には次のように書かれている。
- 日本人から聖人、または予言者と考えられた一人の邪悪の僧侶が、いまから五、六百年前にこの悪しき教え(僧侶の女性関係を認めること-峰岸注)を宣べ始め、それが今日見るように人々の間に拡がり、やがて反乱、破壊、戦争が続いて現今に及んでいる。
八月三十日(土)(マルクスと丸山真男からマルコメの小僧さんへ)
新しい試みは目的とする作用のほかに副作用や二次作用、三次作用を生む。これらが平衡するには長い年月を要する。マルクスの唱えたことは、産業革命の副作用を解決しようとしたに過ぎない。マルクス主義は地球温暖化という産業革命の二次作用を解決するために化石燃料の使用を停止すれば、資本主義諸共消え去る運命にある。マルクスは、生産力の発展によって矛盾を生じると言ってしまったものの、生産力の向上には地球温暖化を伴うことに気付かなかった。
ソ連崩壊でマルクスの支持者は激減したが日本では丸山真男流の発想はまだはびこっている。マルが先頭に付く好い例はないものか。そうだマルコメ味噌のCMである。マルコメの小僧さんのような発想が必要である。小僧さんの発想とは何か。昔から食されている味噌のように長い歴史を踏まえた発想を国民がすることである。既成仏教にあっては、僧侶の戒律を取り戻し、妻帯する者は非僧非俗たるを自覚し生産活動に従事すべきである。
大乗仏教(禅、浄土、真言)その一へ
大乗仏教(禅、浄土、真言)その二の二へ
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