70、宗教者や思想家が真に主張したかったことは
平成十九年
三月十七日(土)(一生の間の主張の変化)
宗教者や思想家の言動は、一生の間に大きく変化する。同じ時期の主張にも違いがある。
一生の変化については二つの原因がある。一つ目は弾圧され思想が過激化した場合、二つ目はその逆に頂点に長くいたため慢心を起こした場合である。
三月十八日(日)(同じ時期の主張の違い)
同じ時期の違いは、本当に主張したかったことを補強するための主張や反対意見を攻撃するための主張である。
宗教者や思想家の言動は変化することを理解し、本当に主張したかったことは何かを見つけると、すべての宗教、思想の良いところを見つけることができる。
三月十九日(月)(マルクスの場合)
マルクスの場合を考えてみよう。マルクスの真に主張したかったことは植民地主義や搾取に反対ということではないか。唯物論、弁証法、共産主義は、主張したかったことを補強するための言論に過ぎない。
三月二十日(火)(僧Xの場合)
僧Xの場合、本当に主張したかったのはX経が正しいということではなかったか。その後の竜の口の法難と佐渡流罪により主張が過激化した。一致派と勝劣派の違いは佐渡以前を取るか佐渡以後を取るかにある。あとの主張のほうが正しいとは限らない。例えば僧Xは晩年に六老僧を定めたが、これは完全に間違いであった。
佐渡以後を取るのは六老僧の一人僧△、佐渡以前を取るのは残りの五人である。六老僧は完全に分裂した。しかし僧△も身延にいたときは五人の一人日向を学頭に任命しているから、僧△の主張は反対意見を攻撃するためとも考えられる。(だからといって僧△の門下が他の五人と同じ信仰をしていいはずはない。戦争中にX宗と合同した旧本門宗の各寺院は、僧△の教えを守ってほしい)。
三月二十一日(水)(親鸞の場合)
浄土宗は弾圧され、親鸞は越後に流された。親鸞が結婚したのは京都説(流罪の数年前)、越後説(流罪中)と二つある。最近は京都説が有力だそうだが私は越後説を採る。弾圧を受けて主張が過激化したと考えられるからである。京都で結婚したとすると法然の他の弟子にも妻帯者がいなければいけない。更に僧侶妻帯は厳罰である。流罪で還俗させられたからこそ結婚できたのである。
さて、親鸞以降真宗は非僧非俗のため僧侶の結婚が認められていた。その他の宗派は明治政府により結婚が認められるようになった。真宗以外の僧侶結婚には反対である。日本以外の仏教国では今でも妻帯禁止である。他の国々にできて日本だけできないはずがない。日本はアジアの異端児になってはならない。それだけの決意のない人が僧侶になってはいけない。
三月二十六日(月)(豊臣秀吉と毛沢東)
豊臣秀吉と毛沢東は類似点が多い。どちらも思想家ではなく遂行者である。秀吉は信長の路線を、毛沢東はマルクスの思想を実行した。どちらも頂点に立ってからが良くない。秀吉は甥一族を皆殺しにし朝鮮出兵を行った。毛沢東は大躍進政策や文化大革命を行った。
しかしどちらも国内の人気は高い。毛沢東の絵が天安門に飾られているのは左派に配慮したのではなく国民の人気が高いためであろう。日本人はそのことを批判すべきではない。日本人が豊臣秀吉嫌いになれば別だが。
三月二十七日(火)(革命家と遂行者)
司馬遼太郎は「花神」で、最初は思想家、次に革命家、最後に技術者が現れると述べた。このうちの革命家という言葉は二つの理由で賛成できない。
- 革命家は誉め過ぎである。遂行者あたりが適正であろう。遂行者は意外と理想度が低い。手段と結果だけを追うからである。しかも独裁だから思い付きを押し通す。表面だけ見ると理想主義者に見える。
- 革命という言葉もよくない。日本にとり不運だったのは黒船という西洋文明が現れたとき明治維新が起きたことである。薩長革命政府は西洋文明を無差別に真似した。そして第二次世界大戦へとつながった。世の中の不合理は地道に変えてゆかなければならない。革命などもってのほかである。
三月三十一日(土)(弘法も説法の誤り)
弘法も伝教も鎌倉仏教も皆が誤ってしまったことは、お経はお釈迦様が説いたと思っていたことである。実際には後世に作られたのであったが、だからといって大乗仏教には価値が無いということはない。これまで多くの人が救われてきたからである。
ここで重要なことは誰もが誤るということである。戦後の日本は、(1)アメリカのいうことはすべて正しい、(2)西洋進歩派のいうことはすべて正しい、(3)マルクスは正しい、(4)僧Xは正しい。すべての政党がこのうちのどれかに入っている。
人間は8割は正しいことを言うが2割は間違うものである。
四月一日(日)(最も有害なのは)
このうち最も有害なのが(1)、2番目が(2)である。これら欧米は現存するからである。日本が(1)と(2)に偏っていることは世界中にわかってしまった。そのためアメリカは好きなように日本にごり押しを繰り返している。ヨーロッパはアメリカのようにごり押しはしないが、いざとなるとアメリカに妥協するためにアジアを犠牲にする。
四月二日(月)(人類遺産が近代科学に負けないために)
ニュートンの言うことがすべて正しいわけではない。ケインズのいうこともすべてが正しいわけではない。教祖や思想家も例外ではない。すべてが正しい人はいないしすべてが間違っている人もいない。この場合、あとで主張したことが正しいとは限らない。教祖や思想家が本当に主張したかったことだけを信じることが、宗教対立や思想対立を防ぎ、西洋唯物論に宗教など人類遺産を破壊されない方法である。
大乗仏教(禅、浄土、真言)その二へ
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