82、葛西敬之はJR東海の会長に不適格である(その2)
平成ニ十年
ニ月八日(金)(非現業による非現業のための組織)
民営分割に当り総裁室は非現業部門の大幅縮小を打ち出した。特に旧地方鉄道管理局については部を廃止し総務課、運輸課、工務課の三課にしようという厳しいものであった。これに対し葛西など職員局は激しく抵抗した。
葛西の「国鉄改革の真実」によると、
本社と鉄道管理局(約三〇局)を非現業の骨幹とし、各鉄道管理局が担当地域内の現業機関を有機的に組織化する基本形態が形作られ(中略)、管理局の標準的な組織は、管理局長のもとに、総務部(企画室、文書課、法務課、人事課、能力開発課、労働課、厚生課)、経理部(主計課、会計課、審査課、調度課)、営業部(総務課、旅客課、貨物課、公安課)、運転部(総務課、列車課、保安課、機関車課、客貨車課)、施設部(総務課、契約用地課、保線課、工事課、建築課、踏切保安課)、電気部(総務課、電力課、変電課、信号課、通信課)、事業開発部(総務課、開発課)の七部三三課が配置され、それぞれの部長、課長が職務を分掌する構成であった。
組織名を見ただけで無駄がきわめて多いことが判る。
ニ月九日(土)(運輸長)
葛西が廃止に特に反対したものに運輸長がある。運輸長は現業機関と地方鉄道管理局の中間の職制である。運輸長は鉄道営業法に基づき駅長、運転区長、車掌区長、運転指令を総括する責任者を定めたに過ぎない。排水を流す工場に公害防止管理者が置かれ役所側から見て排出責任者にするのと同じである。だから零細私鉄では社長か専務取締役が運輸長を兼ねてもいいし、中小私鉄では鉄道部長が運輸長をやればいい。民営分割化にあたり運輸長を廃止したのは当然である。運輸長の存続を主張するところに葛西の偏りが見られる。
ニ月十日(日)(現業の犠牲を食い荒らす非現業)
葛西は次のように述べる。
非現業組織の簡素化で生み出される指定職の員数は人数的に見れば全国でたかだか数百人単位の問題であり、新事業体の収支に影響するほどのものではない。
非現業職が高待遇なのはその能力ではなく人数が少ないためだけだということがこれで明らかになった。しかも現業の犠牲を食い散らかす次のようなことを言っている。
希望退職者が予定より二万人も多くなった結果、JR各社が採用する予定だった余剰人員の数は大幅に減り、人件費負担は十分に軽減されている。
ニ月十ニ日(火)(思い上がりが甚だしいキャリアと称する連中)
運輸長制度をなくしてしまうと事故対応ができなくなる等々、総務部長たちの主張することは、いちいちもっともに感じられた。彼らの気持ちを汲んで、総裁室長に再考を促しに行った。
運輸長や運転指令の機能は支社の運輸課で十分に対応できる。事故のときは本社も関わるべきである。中小私鉄は皆そうしてきた。根底にあるのは自分たちは泥臭い仕事をしたくないというエリート意識である。それは次の言葉に表れている。
地方管理局育ちの管理職や技術者に、私たちキャリアの代わりはできない。しかし、私たちもまた、列車を安全・安定・正確に運行する上で彼らの技能の代わりはできないのだ。
自分で自分のことを私たちキャリアとはあきれる。
ニ月十三日(水)(優秀な人材育成を阻む原因)
地方管理局育ちの管理職や技術者にキャリアの代わりができないのは、キャリアと称する無能な連中が上にいるからである。マンホールから地上に出ようとしたら上に岩が置いてあるようなもので、かれらがいなければ地方管理局や国労育ちの管理職や技術者が本社でも活躍し、国鉄は赤字になることはなかったであろう。
地球温暖化の時代に、キャリアと称し酸素を吸収して二酸化炭素を放出するだけの連中が存在していいはずがない。
ニ月十六日(土)(無能の証明)
彼らがいかに無能かは労務対策に象徴される。労組のストと当局の処分が無限に繰り返されればどうなるかは目に見えていた。ところがやったことと言えばマル生運動で組合員を第2組合に勧誘するという不当労働行為だけだった。
道路が整備されてきたことにも無策だった。人口が大都市に偏ることにも無策だった。一番無策だったのは政治家が建設する赤字路線だった。地方路線を建設する以上、自動車対策及び人口の大都市集中と併せて総合国土計画を政治家に策定させるべきだった。
幕末を舞台としたテレビの時代劇で「役に立たない旗本どもに幕府は先祖代々禄を与えてきたのか」と徳川慶喜が嘆く場面があったが、国鉄も厚遇を受けながら役に立たないキャリアと自称する連中により滅んだ。
ニ月ニ十日(水)(隅田川駅)
30年以上前に東京北局の隅田川駅で年末に小荷物のアルバイトをしたことがある。隅田川駅は上信越、東北、北海道への小荷物の発着を扱っていた。当時は新聞に国鉄の職場規律が騒がれていたが、原因は国労ではなく上層部にあることがこのアルバイトではっきりした。
まず、多数のアルバイト員は形式的には東京鉄道荷物の所属である。あの当時、国鉄は余剰人員を抱えていた。なぜ民間会社に小荷物を委託するのか。
年末は小荷物が集中するので、通常の発着ホームのほかに、道路を踏切で越えた先に発送サブセンターというテント張りの建物を組み立て、有蓋貨車に小荷物を天井まで積み込んだ。このようなことをすれば下の荷物は潰れるではないか。年末は魚の干し物を縦が60cm、横が20cmくらいの長方形の厚紙の箱に入れた荷物がある。あるとき鉄道荷物の正社員がバールを箱に突き刺し長さ20cmくらいの穴を開け「xxxxの干物か」と言った。魚はビニールに入っているとはいえ、箱をわざわざ破損させることはないではないか。鉄道荷物の社員は国労ではない。悪いのは(1)彼らを監督する駅の小荷物助役、(2)東京鉄道荷物に天下りする国鉄上層部、(3)小荷物を有蓋貨車で輸送させる国鉄本社、の3つである。
ニ月ニ十ニ日(金)(汐留駅)
隅田川駅が北の玄関口なら、汐留駅は南の玄関である。昭和60年に寝台客車に有蓋貨車を連結し、乗客と自動車をいっしょに輸送するカートレインが始まった。私はさっそく見に行った。新橋駅を降りると「汽笛一斉新橋を・・・」と大声で歌いながら心を弾ませて汐留駅に向った、というのはまったくの冗談で、実際は黙って歩いていった。
自動車の積み込みが始まった。近くにいた国鉄ではない作業員2名が「見てみろよ。これだけの作業をわざわざxxxx通運に頼んだんだ」と呆れて話していた。作業を行っているのは運送会社であった。国鉄の助役と駅員は横で見ているだけだった。赤字でしかも人員の余っている国鉄のすべきことではなかった。東京南鉄道管理局は何をやっているのか。いや終着駅の東小倉でも同じことをするであろう。悪いのは両方を統括する国鉄本社である。キャリアと称する連中はまったくの無能な存在だった。
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