83、平成20年は若い根っこの会の加藤日出男会長とともに始まった

平成ニ十年
一月一日(火)(若い根っこの会)
今日は武州川越の若い根っこの会に行ってきた。根っこの家が競売されるという記事が11月末に載ったからである。私が小学低学年のときテレビを見ていたら若い根っこの会の人が半纏を着て紹介されたことを今でも覚えている。今から70年前だろうか。いやそんなに古くはないよ。私は昭和31年、仏暦2500年生まれだから今から40数年前である。
地方から住み込みで就職した人たちの駆け込み寺だったという記事に興味を持った。現状の労働組合は日本には合っていない。労使が共に納得できる日本的な駆け込み寺が必要ではないかと考えていた矢先であった。さっそく年末に電話すると1月1日に加藤会長が来られるという。

一月四日(金)(労組、歌謡曲、農村の話)
その間に多くの会員から集まった寄付金は借金の63%に達し競売は中止された。しかし中止の記事は産経新聞しか報道しなかったため、一月一日の参加者は加藤会長、根っこの家の職員3名、会員5名、非会員の私の合計10名だけだった。でも加藤会長からは貴重な話をいくつも聞くこともできた。
私は労組のことは一切言わなかったが、連合の高木会長は洋上大学に参加した、電機労連も洋上大学に参加した、全繊同盟の16歳前後の女工がわざわざ新幹線で滋賀県から根っこの家まで来て労組が相談に乗ってくれないことを訴えた、と言った話を伺った。歌謡曲は西洋音楽の影響を受けてしまっているという話もあった。終戦直後に秋田市郊外の農村に加藤会長が働きに行って差別や意地悪に遭った話も伺った。
農村の差別は私が質問したが、それ以外は加藤会長が自ら話された内容で、私のホームページと内容が類似していることに感激した。私と加藤会長は思考方法が似ている。

一月六日(日)(集団就職)
若い根っこの会は集団就職で東京へ来た人たちの心の支えとなった。住み込みで働く人が9割だった。囲炉裏の部屋を加藤会長に案内していただいた。2つの囲炉裏を囲む畳の部屋である。
或る飲料メーカーの表彰状が飾ってある。そのメーカーの王冠を集めると払戻金がもらえるので、酒屋に就職した店員たちが集まった王冠を会のために送ってくれて、メーカーもそれは判っていたが払戻金をもらい表彰状も頂いたという。

一月七日(月)(西尾末広)
加藤日出男氏は特定の政党を応援したりはしていないが「風雪の人西尾末広」という著作がある。政治的には旧民社党に近いと言える。

以前このホームページで私が支持するのは一つ置きだと述べたことがある。自民党内の伝統派、自民党から分離した小沢氏らのグループ、社会党の左傾化に反対して分離した民社党、総評の解体に反対した社会党左派。いずれも支持できる。左右に並べると自民党タカ派から社会党左派まで一つ置きに並ぶ。

一月八日(火)(労組と経団連は一度解散したらどうか)
若い根っこの会は労組ではないから、労働条件は改善されないかもしれない。しかし雇用者側も住み込みで働く人たちが短期で辞めてしまうようなことはしなかったはずである。昭和40年代に放送されたテレビドラマ「時間ですよ」は見る人に決して違和感は与えなかった。
今の日本の労働組合はよくない。労働条件のいい人たちをますます良くする。経営側は派遣や非正規雇用で帳尻を合わせる。労組と経団連は解散したほうがいい。企業内労組と日本経団連は法律で禁止したほうがいい。

一月十一日(金)(アメリカCIAの秘密工作)
平成18年7月19日の毎日新聞には次の記事が載った。「アメリカ中央情報局(CIA)が1950年代から60年代半ばにかけ、日本の左派勢力を弱体化させ保守政権の安定化を図るために、当時の岸信介、池田勇人両政権下の自民党有力者に対して秘密資金工作を実施し、旧社会党の分裂を狙って59年以降、同党右派を財政支援し、旧民社党結成を促していたことが18日分った。」
旧民社党には良い部分と悪い部分があった。良い部分は日本の伝統を軽視しないこと、悪い部分はアメリカ追従である。これは自民党にも言える。日本をアメリカの属国にしようとする連中がいる。その理由はこの記事で判る。

一月十六日(水)(私の投票は民社党とともに始まった)
私が20歳になった一番最初の国政選挙で、民社党の候補のポスターに「日本の伝統を守る」というようなことが書いてあり、同感だったので民社党に投票したことを今でも覚えている。
民社党出身の西村議員のホームページを見て、同議員が日本・ミャンマー友好議員連盟の幹事長をしていることを知った。
ミャンマーは、貧しさの中からの国造りのための軍事政権である。丁度日本の明治維新から自由民権運動と国会開設までの政権の雰囲気と思えばいいのではないか。
また、治安は日本より良い。貧しいけれども、市場で働く子供が札束を持って歩いていても盗られない。仏教の穏やかな教えと喜捨の精神が生きている。親の子殺しも子の親殺しもない。
スーチー女史は、ヤンゴン以外のミャンマーを知らない。つまり、彼女はビルマ人の顔をしている英国人である。顔はビルマ、心は英国。実は、イギリスの植民地政策というものは、被支配地の上流階級をこのように作り上げるものなのだ。

ホームページによれば西村氏はカトリックの信者である。カトリックにもこのようにアジアの立場に立つ立派な主張をされる方はいるのだと改めて知った。

一月ニ十五日(金)(旧民社党の問題点)
旧民社党には何か黒い影があった。その原因は大企業の企業内労組を支持母体とすることにあった。社会党と総評も事情は同じだったが、彼らは社会主義を目指すことで欠点を克服していた。同盟は企業内労組の欠点を克服できず、それが民社党の黒さとなって現れた。
その後に連合が結成されたがこれは総評の同盟化である。このころ労働者派遣法が成立し雇用の劣化が進み、フリーターと派遣が増大した。黒さが日本全体に広がった。

一月三十一日(木)(地域共同体型の駆け込み組織を)
日本には欧米式の労組は合わない。しかしそれでは経営側のやりたい放題になってしまう。欧米の唯金主義が広まってしまった以上、日本には地域共同体型の勤労者支援組織が必要である。その先駆となったのが若い根っこの会であった。


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