82、葛西敬之はJR東海の会長に不適格である(その1)

平成十九年
十ニ月ニ十四日(月)(属国主義者)
葛西敬之はJR東海の会長に不適格である。属国主義者だからである。公共事業の役員にふさわしくない。
まず一昨年の安部晋三との対談集で「日本は民主主義、自由主義、平和主義の国であるうえに、自らの力で自らの国を守る能力を十分にもっていないのですから、日米が不動の同盟関係にあり、アメリカの核抑止力で日本をカバーすることは不可欠です」と無教養を情報公開するようなことを述べている。(1)アメリカは平和主義ではない。(2)イランと対抗するためにフセインの独裁を応援するなど、民主主義だろうと独裁主義だろうとアメリカの利益になる政権を支持してきた。(3)軍事を依存することは属国であり長期に続けると文化が併合される。(4)自由とは相対的なものである。経済を見てもどこの国でも放任主義と規制主義の平衡をとりながら運営している。日本は1985年以前は官庁の規制が強かった。葛西は運輸省の規制下の国鉄に就職しJR東海に分割されたのだから、遡ってまず国鉄入社を取り消すべきである。葛西の人生のほとんどは否定される。

十ニ月ニ十六日(水)(葛西、中嶋は日教組より悪い)
日章旗は幕末、君が代は明治時代に制定された。私が子供のころは江戸時代生まれの人がまだいたし、明治生まれには肉をほとんど食べない人が多かった。江戸時代は決して昔のことではない。だから日教組が日章旗と君が代に反対しても最近の事柄の否定であり伝統を破壊した訳ではない。罪は軽い。
葛西敬之と中嶋峯雄はどうか。英語英語と九官鳥のように繰り返している。葛西と中嶋の魂胆が英語そのものではなく、英語で日本を洗脳、欧米化しようとしていることはこれまでの言動から明らかである。縄文時代弥生時代以来の伝統の破壊である。罪は重い。

十ニ月ニ十九日(土)(サルでも上層部が務まる会社)
JR東日本とJR東海の境界は熱海だが、新幹線だけは東京までJR東海である。北海道、九州、四国には経営安定基金、東海には東海道新幹線という持参金を持たせた。誰にでも取締役が務まる。
次に、解雇者を出さずに再建してこそ経営者である。解雇していいならサルでも社長が務まる。しかも国鉄分割のときはゴマをする人間は雇用するというとんでもない醜態を演じた。動労は休日にオレンジカードを販売したが売れた分だけ窓口で購入する人が減る。あるいは現金で切符を購入する人が減る。つまり動労のオレンジカードはまったく意味がなかった。ゴマをすれば意味がないことをやっても雇用するという実に醜悪な光景だった。日本の道徳が労使ともに破壊されたのは大和飛鳥時代以来このときといっても過言ではない。

一月ニ日(水)(現業職場)
鉄道は現業事業の典型である。運転士、車掌のような華やかな職種から貨車操車場の構内係のような危険を伴う職種、車両係のような全身油まみれになる職種もある。このような事業体にエリート面した人がいると労使不和となる。本来これらの人たちは鉄道事業の先を見越す責任がある。ところが国鉄幹部はその責任を果たしてこなかった。葛西もその一人である。

非現業職がエリート面できるのは、現業職に対し人数が少ないというそれだけの理由である。本来は将来の経営候補として事業企画や営業を行わなければならないのに、これらエリート面した連中は何もしなかった。貨車操車場の構内係は突放といって機関車から切り離され慣性で走る貨車に飛び乗りブレーキを掛ける。一歩間違えば死亡事故や手足を切断される危険な作業である。雨の日も雪の日も屋外で作業する。エリート面した連中は東名高速道路や貨物の動向、船舶対策、荷主への営業活動をしなかった。名古屋鉄道管理局の貨物課長だった葛西も例外ではない。

一月五日(土)(エリート面した連中が国鉄を滅ぼした)
エリート面した連中が国鉄を滅ぼした。それは葛西の次の文章でよく判る。
国鉄というところは、入社後四年間は見習いと称して何も仕事のない日々が続く。小人が閑居すれば愚かなことを考えるに決まっている。不沈艦意識の蔓延する部内を見渡すと目に付くのは、非現実的な建前を鵜呑みにして現実から目をそらし、思考を眠らせてしまう風潮ばかり。(文芸春秋平成19年5月号)
昭和40年あたりまでは国労も他の単産と変わらなかった。というよりは労働運動の日本の標準だった。民間単産が全民労協に向うなかで国労が突出してしまったのは、(1)国鉄は公社だった(2)危険と隣り合わせの現業とエリート面して働かない連中の格差、の2つである。
国鉄はまず民営化すべきだった。できなかったのはエリート面した連中の既得権意識にある。葛西でさえ東海道新幹線は公共事業体だからこそできた(未完の国鉄改革、2001年)と述べている。

一月九日(木)(洗脳留学)
葛西は国鉄入社2年後に2年間アメリカ留学をしている。帰国後に貨物課長をしていた名古屋鉄道管理局は貨物成績が群を抜いていただとか総務部長をしていた静岡や仙台の鉄道管理局は労使が協調できたという話は聞かない。留学はまったく意味がなかった。単にアメリカかぶれを一人作ったに過ぎない。
どんな国にも長所と短所がある。無能な人間は欧米に行くと欧米かぶれになる。長所と短所を見ない人間は海外には行かないほうがいい。アメリカに行って英語が通じたと喜んでいる人間も無能である。自分の英語は現地人の小学生程度でありこれを社会人レベルに引き上げるには相当の時間と金がかかること、そして国民の多くが英語を話すようにするには莫大な税金と時間と文化破壊を伴うこと、そのため日本は英語の読み書きに集中すべきことに気付かなくてはならない

一月十二日(土)(現在の偽善者たち)
江戸時代には江戸時代なりに良い点と悪い点があり、明治時代には明治時代なりに良い点と悪い点がある。戦前もそうだし、戦後も同じである。無能な人間は現在の悪い点を見ずに過去の悪い点ばかり見る。
一時期、国内の一部の宗派で戦前の戦争協力に反省することが流行った。あれは良くない。これから起きる戦争に反対するのはよいことである。しかし過去の戦争に反対しても死者は戻っては来ない。弾圧される訳でもない。その時代なりに先人たちが苦労した宗務を今の時代は完璧です悪い点はありませんとばかり批判するのは良くない。あの時代はアジアやアフリカのほとんどが植民地だったという事実が無視されている。過去の管長や宗務総長のしたことを反省しても自分は傷つかない。一石四鳥の偽善である。
葛西は安部氏との対談で民主主義を叫んだ。戦前の英米仏は民主主義であった。しかし多くの土地を植民地にまたは併合した。戦後の日米欧は民主主義である。しかし多くの生物を滅ぼし子孫に残すべき資源を浪費し地球を滅ぼそうとしている。民主的な姿勢は必要である。しかし民主主義を叫ぶ者は悪魔である。そもそも葛西は民主的なのだろうか。
現在を反省しない態度は東海道新幹線への葛西の感想に現れている。

一月十三日(日)(東海道新幹線、その1)
新幹線を計画するときに(一)並行して狭軌(ニ)別線で狭軌(三)別線で広軌の3つの案があった。これについて葛西は「今振り返ってみると、東海道新幹線方式以外はすべて非現実的であるように見えるが(中略)、大多数の経営陣は第一案が理想だと考えていた」と述べている。新幹線の成功を見たあとでしたり顔で現状を肯定し違う意見を批判する。結果論なら誰にでもできる。現状の悪い点を見ないのは愚か者である。
私は今でも第ニ案がよかったと思っている。在来線に乗り入れれば乗客とくに弱者に便利である。お年寄りや小さな子供を連れた人、つづらを背負う人にとり乗った車輌が名古屋で切り離され紀伊勝浦や飛騨高山に行けば「名古屋から先は座れるだろうか」と心配する必要もない。荷物を車内や駅に置き忘れる心配もない。貨車を走らせていれば貨物輸送もはるかに多かった。
欧米は広軌で通路の左右に二人掛けである。日本では片側は三人掛けにしたが真ん中の席は両側から圧迫されてよくない。
狭軌だと速度は今よりわずかに落ちるかもしれない。到着があまり早いと地域性が喪失する。各地の文化には長い歴史がある。また今の速度があるから社会はそれに合わせる。航空会社は今でもプロペラ機を使うかもしれない。テレビ会議や現地採用も増えよう。新幹線ができて大阪は発展したか。逆に没落したのではないのか。

一月十四日(月)(東海道新幹線、その2)
葛西は次のように述べている。
技術系の人たちのなかには電車方式そのものに反対する人も多かったようである。特に運転系統の人たちは伝統的に機関車重視の傾向があり、その後もずっと「新幹線をフランスやドイツと同じような機関車牽引に改めるべきである」という議論をする人が見られた。(中略)ニ一世紀を迎えようとしている今日、ようやく決着したかにみえる。ドイツは高速鉄道(ICE)を電車化することを決定しており、フランスもその方向といわれる。
ドイツやフランスが機関車で牽引してきた一番の理由は居住性である。床下にモーターやその他の機器があったのでは騒音や振動がする。走行抵抗も大きい。欧州の連結器は衝動防止に優れているので加減速時に前後動がほとんどない。日本の電車は各車輌の性能のずれで加減速時に前後動がひどい。モーターのブラシを保守する手間もあろう。モーターを機関車にまとめたほうが回生ブレーキがない時代は電気代が安い。雨天のときの空転検知もあろう。何より今までの経験がある。これらを考慮して決めている。ICEを電車化したのは急勾配や厳しい曲線区間に乗り入れるためであり、VVVF方式の発達もある。私のように鉄道とは無関係の人間でもこの程度は判っているのだから、葛西ももう少しまともなことを言ってもらいたい。

一月十五日(火)(須田寛氏)
私は国労を支持している訳ではない。全体の統一を考えず足を引っ張り合うセクト主義が未だに直らず困ったものである。あのとき動労を寝返らせるという葛西らの卑劣な行為ではあったが、組合員の不安を考えれば国労も労使協定を結ぶべきであった。一方でそれをせず社会主義協会派や共産党に担がれた盛岡車掌区出身の六本木委員長も偉い。赤穂浪士と考えればいい。多くの国民が自分ではやらないが赤穂浪士を讃えるようなものである。
JR発足時の社長の中で唯一名前を知っているのはJR東海の須田寛氏であった。鉄道雑誌の記事をよく執筆されていたからである。各JR会社のなかでJR東海だけは安心だと思ったくらいである。そこへいくと安部前首相に近い葛西はいったいなんだ。葛西の発言に反対の人も多い。だからといってJRに乗らないわけにはいかない。公共事業の役員にはふさわしくない。

一月十九日(土)(上層部の役割は各部門をまとめることにある)
「新幹線をフランスやドイツと同じような機関車牽引に改めるべきである」という議論を見逃した葛西の責任は大きい。もし技術がそういう意見を持っているのだったら機関車牽引の長所と、現在のホーム長を機関車分だけ延長する工事、軸重をどうするか、検修部門の施設変更など各部門の得失を検討し、更に将来の技術の進展も考慮すべきである。それらをせずドイツの結果だけを見て新幹線が優れているように論じるのは上層部として失格である。

一月ニ十日(日)(技術は本当に機関車方式を主張したか)
新幹線を新たに建設するのであれば機関車方式がいいかも知れない。しかし既にある新幹線を機関車方式にしろと技術が果たして主張するだろうか。技術の中の少数の人がこういう案もあると言っただけではないのか。それをドイツの結果と重ね合わせてそれを採用しなかったのは自分の功績だと読者に思わせる文章である。
葛西は自分の功績を誇張する癖があるように見える。それは国鉄の民営分割化に現れている。

一月ニ十四日(木)(岩井章氏)
非現業職公務員と労働組合は長くやると頭が悪くなる。考え方も硬直化する。どちらも刺激が少なく先例を繰り返すためである。国労は我が国の労働運動の中心であった。国労の岩井章氏は長く総評事務局長を務めたし、社会党は国労出身の国会県会市会の議員が多数いた。
しかし総評は企業内組合を改善せず民間労組が総評を離脱する原因も探らなかった。これが総評の命取りとなった。全民労協が結成され総評の解散が決まると、国鉄の民営化は不可避となった。国労が民営反対に固執すれば敗北することは目に見えていた。葛西はその著書で自分たちの功績だとさかんに書いているが、自己顕示もいい加減にしてもらいたい。
岩井章氏は家が貧しく紡績工場に勤めていた姉を17歳で亡くし、自身も高等小学校を卒業後に上諏訪機関区に就職した。その前に地元のM電鉄の給仕をしたこともある。私の母は戦後M電鉄に勤めたので昨年その話を聞いたところ、戦前の話なので知らなかった。しかし岩井という姓は多い、と語っていた。

一月ニ十六日(土)(江戸時代のバカ殿様)
江戸時代の将軍や殿様には、側用人のいうことしか聞かず幕政や藩政を混乱させる人がいた。
国鉄総裁の仁杉が任期途中で辞任したあと、最後の総裁杉浦が就任するときを葛西は次のように書いている。
今、最も緊急を要するのは秘書役を旧体制派に採られないことだ。運輸事務次官経験者とはいえ、新総裁には国鉄内部の生きた情報は皆無と言ってよく、誰がそばにいて解説し、取り次ぎ、日程やスケジュール管理をするかによって、仕事の進め方は大幅に変わる。
総裁は理事及び部下である本社の一四局長と連絡を密にし場合によってはその一つ下まで見ることにより全体を把握すべきである。秘書役次第で変わるというのではまるで江戸時代のバカ将軍、バカ殿様ではないか。
事は急を要する。六月ニ五日の着任を待っていたのでは手遅れになる。今週末が勝負だ。
本来であれば、後任の理事や局長たちが進言すべきである。(中略)我々がそれらの人々を飛び越えて、未だ着任していない総裁にいきなり直訴するのは、平時であればとんでもないルール違反。

秘書役を選ぶためのいろいろな小細工を得意げに書いている。

一月三十日(水)(人活センター)
人活センターも醜悪だった。NHKで報道され国民の同情が集まったが、これについても葛西は「我々はおおむね情報戦、根回し競争を優位に進めていた」と得意げに語っている。

再建実施推進本部事務局の一人が、人活センターに対する社会党議員団の立ち入り調査要求を条件付きで認めたほうがよいと、総裁に進言しているところに鉢合わせして(中略)そんな内容のやりとりになったところで杉浦総裁が断を下し、事は未然に防止された。
総裁と協議の結果、(中略)「野党の代議士や参議院議員が現場に立ち入りたいと言ってきた場合、明確に拒否する」「現場に入れることは絶対に不可。現場長にこの趣旨を徹底する」



ニ月一日(金)(100人を超す自殺者)
このような小手先の策や根回しが多数得意げに書かれている。国会議員に入られると困るようなことがあるのか。もしあるとすれば改善しなければならない。ないのなら意味のない通達を出したに過ぎない。結局は葛西の自己顕示欲だけが目立つ。
100人を超す自殺者がでたが、葛西は次のように書いている。
そろそろ人活センターを廃止してはどうかという声は、再建実施推進グループの中にあったが、それに応ずるわけにはいかなかった。

ニ月四日(月)(出口の分割と入口の分割)
国鉄上層部は民営化と民営分割化で意見が対立していた。民営化して分割が将来必要になるかもしれない。これがまともな意見だが葛西らは入口の分割にこだわった。
国鉄末期に既に黒字化は達成していたという。鎌田慧氏は「国鉄改革と人権」の中で「世界」89年5月号の伊東光晴氏と磯崎元国鉄総裁の対談を引用している。
伊東「問題は過去の債務の利子支払いと恩給、年金、共済であって、JRは、その問題さえ解決すれば解決すれば形態変化しなくても黒字になったのではないかと思う。それを新聞は、形態変化をしたから黒字になったと書いています。私の考えは常識に反しましょうか。」
磯崎「私は反しないと思いますね。おっしゃった数項目の場合は、全部国家の直接経費で払うべき問題です。」
そして次のように述べている。
分割・民営化の前の国鉄決算では、営業損益で3663億円の黒字になっていた。その以前から国鉄の経営は改善されていて、けっして倒産状態ではなかった。


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