81、スリランカ、タイ、ミャンマーの僧侶

平成十九年
十一月三十日(金)(八王子の正山寺)
八王子に正山寺というスリランカ仏教の寺院がある。ここでカティナのお祭りがあった。この法要は安居の終わりに衣を一つのお寺で年に一着だけ寄進するというもので徹夜で読経を行う。在日スリランカ人が約20人、昨年から日本のT会という団体の日本人も参加するようになって30人ほど、あと私のような無所属の人が少数参加した。

十ニ月一日(土)(優秀な人ほど仏教に熱心)
早くお寺に着いたので日本人数人、スリランカ人1人とスリランカ紅茶を飲みながら雑談をした。そのスリランカ人は以前に日本に留学し、今回の再来日では東京大学の客員教授を務め、来年帰国される。
後にスリランカ民主社会主義共和国の駐日大使夫妻も来られた。スリランカのシンハラ人の間では優秀な人ほど仏教に熱心である。在日スリランカ人6000人のなかで法要に参加したのが20名。その中に大使夫妻と客員教授が含まれていることからも判る。

十ニ月ニ日(日)(スリランカの仏教各派)
スリランカの上座部仏教は、仏教を弾圧する国王が現れて一度は滅びる。のちにタイ(当時はシャム)に行き具足戒を受けシャム派ができた。スリランカはインド文化圏に属するためカーストがある。最上位は農民カーストで、国民の半数を占める。日本でも少し前までは農民カーストが自民党の過半数を占めていた。カーストに従わないと軋轢を生むためシャム派は出家を農民カーストに制限した。
他のカーストがミャンマーのアマラプラに行き具足戒を受けアマラプラ派が生まれた。この派から別れた派がラーマンニャ派である。アマラプラ派とラーマンニャ派は眉毛を剃らない。
日本の宗派と異なりこれらの派は排他的ではない。正山寺はラーマンニャ派だがカティナのお祭りにはシャム派の比丘も多数来られた。合計10数名で夜9時までは全員、その後は数人ずつ交代で徹夜の読経が始まった。

十ニ月三日(月)(在日タイ人の心の支え、タンマガーイ寺院)
昨日は東京三河島のタンマガーイ寺院に参詣した。この寺院はほとんどの信者が白衣を着ている。
7階建てのビルの4階が托鉢会場である。予めスーパー等で、あるいはここの寺院の2階で調理しているタイ料理をお布施を入れて持って座っていると僧侶4名が現れ、托鉢の容器に料理を入れて合掌する。このときは参加者は30名ほどだった。4名の僧侶だけでは食べきれないので、法要終了後皆で昼食に頂いた。
3階の本堂での瞑想の時間には100名以上のタイ人が集まり大盛況だった。

十ニ月四日(火)(プミポン国王誕生日)
寺院内は貼り紙も話す言葉もすべてタイ語である。日本語の堪能な方が日本人が参加すると受付で言われたとわざわざ左隣に座ってくれた。しばらくして日本の大学に留学中の若者が「日本人ですか」と声をかけ右に座ってくれた。
全員で白いたすきを付けた。タイ語が書かれている。十二月五日は国王誕生日なのでお祝いする言葉が書かれているそうである。
本堂の右に国王の写真が飾られ装飾の品々が前に置かれていた。全員で起立し代表が装飾品の蓋を取り国歌か国王をたたえる歌が本堂に流れた。日本人はアメリカやイギリス、ドイツ、フランスの国歌は知っているが、アジアの国々の国歌は知らない。欧米かぶれは日本を滅ぼす。
在日タイ人の人々といっしょに国王のお誕生日をお祝いできて本当によかった。

十ニ月七日(金)(科学化された寺院)
周囲を見渡すとタイ人と結婚した日本人が数人いるほかはすべて在日タイ人だった。子供とは日本語で話している方も多かった。タイ人と結婚し夫婦で来られた日本人が、「成田のタイ寺院は普通だったがこのお寺は宗教色が強すぎてめまいがするので、次からは一人で来られるだろうから私は遠慮しますよ」と本当にめまいがしているような雰囲気で語っていた。たしかに普通のタイ寺院とは異なっている。
まず参拝者のほとんどが白衣を着用している。読経のときに幹部の信者がマイクの前に座り一区切りを読むと全員で同じ文を繰り返す。前方でこちらに対面しておられる3人の僧侶の存在がかすむくらいだった。第一日曜はタイのタンマガーイ寺院最高位僧侶の瞑想指導があり日本でも映像で放送され、それを見ながら僧侶も信者も瞑想に入った。幹部の信者はテレビカメラで我々を写したり写真を撮ったりと広報活動にも力を入れていた。
私は実はまったく奇異には感じなかった。世の中がこれだけ科学化されている。この方法によってタイでは多くの人、特に高学歴の人が多数参拝している。多くの人が救われている。

十ニ月八日(土)(タイの仏教各派)
江戸時代の末期のころにタイでは後に国王ラーマ4世になられるモンクット王が27年間僧侶として修行し仏教改革運動を起こし従来のマハーニカイ派からタンマユット派が分かれた。
タイの2つの仏教組織は法律で政府機構の一部になっている。タンマガーイ寺院はマハーニカイ派に属している。宗教色が強くてもカルトや新興宗教とは異なる。心配はいらない。

十ニ月九日(日)(布教精神のなくなった宗教は死んでいる)
昨年、東京御茶ノ水のニコライ堂の近くを通った。キリスト教ロシア正教会系の大聖堂である。本堂の入口から中を見ていると、「今、結婚式が行われていますのでどうぞ中に入って見学してください」とメイド役の女性に言われた。邪魔をするといけないので「ありがとうございます。しかしここから見えますので大丈夫です。」と私も返事をした。
このことからニコライ堂は布教精神に満ちていることが判る。そのとき布教精神のなくなった宗教は死んでいる、とつくづく思った。
宗派や団体によってはこれ以上増えては困るようなものもあるかも知れない。そういう宗派でも信徒は増えずにしかし実効のある布教活動はする必要がある。キリスト教の東洋での布教は西洋文明の流入と東洋文明の破壊に繋がる恐れがある。しかしそうだとしてもすべての宗教に布教活動は必須である。ちなみに西ヨーロッパに広まったカトリックやプロテスタントに対し正教会はギリシャ、東欧、ロシアに広まったため、東方正教会の名前のように西洋文明の流入とは言えない。文化の多様化はよいことである。私が西ヨーロッパ文明の流入に反対するのは度が過ぎているからである。

十ニ月十一日(火)(ワットパクナムとワットタンマガーイ)
タイにワットパクナムというマハーニカイ派の当時は農村地帯の小さなお寺があり戦前にプラモンコンテープニー師が住職に就任し独自の瞑想を始めた。タイには僧侶ではないが出家したメーチーという白い衣の女性がいる。タイで出家した日本人僧侶の藤川チンナワンソ師によると、インドから仏教が滅びるときに比丘(男性僧侶)はスリランカに逃げたが比丘尼(女性僧侶)は逃げなかったため滅びた、メーチーには元大学教員など優秀な人がいる、と仰っていた。プラモンコンテープニー師が亡くなった後、弟子のチャン・メーチーから瞑想指導を受けた大学生が瞑想センターを作り、自身は出家し後にタンガマーイ寺院に発展した。寺には多くの信者が集まり、タンマガーイ財団を作り日本にも進出した。
ワットパクナムの支院も成田にある。こちらではタイ王国の駐日大使館主催の盛大な国王誕生日法要が開かれたそうである。

十ニ月十三日(木)(片道160円でタイに行こう)
タイでは早朝に多数の僧侶が托鉢をする。日曜には寺に多くの信者が集まり僧侶の説法を聞いている。タイ語は判らないので日本人はなかなか参加できないが、タンマガーイ寺院に行けば日本でこれを体験できる。東京駅から三河島まで片道160円で行ける。タンマガーイ寺院の瞑想はワットパクナム方法で従来の上座部仏教とは少し異なる。日曜はタイ語のため前もって連絡し平日に参詣するとよい。

十ニ月十五日(土)(在日ミャンマー人のダマディパ瞑想センター)
東京牛込原町にダマディパ瞑想センターがある。そこのミャンマー人僧侶からは2回瞑想指導を受けた。瞑想の合間にインタビューの時間があり個別に指導してくれる。個人の悩みを相談する人もいれば瞑想の指導を受ける人もいる。私は別段悩みがあるわけではないので、瞑想のときについ目を開けてしまうことを質問した。上座部では目を閉じる。日本の坐禅は目を開けるのでそれに慣れてつい目を開けてしまう。
ミャンマーのデモ隊と軍隊の衝突は一切話題にはしなかった。僧侶に政治の質問をするのは失礼である。

十ニ月十六日(日)(一番悪いのは欧米)
イギリスは19世紀にミャンマーを植民地としたのちは、キリスト教の布教を行った。しかしうまくいかないのでカレン族やカチン族を改宗させイギリスの手先として利用した。
日本がアメリカの黒船により強制開国されられたとき、日本にとり不運だったのは幕府が崩壊したことである。薩長政権は伝統の破壊と欧米の猿真似に狂奔し、昭和20年に国を滅ぼした。
戦後独立した国々は植民地前の政権は当然のことながら残っていない。幕府が崩壊した日本と同じ状況にあった。政権は不安定になった。ミャンマーではカレン族の反乱もあり軍部のクーデターが起きた。インドとパキスタンの問題も、スリランカのタミルゲリラも、最近起きたマレーシアのタミル人のデモも、元はといえばすべてイギリスが悪い。

十ニ月十七日(月)(アジアはアジアのやり方で)
今ミャンマーの軍事政権が倒れると幕府が滅びた状態になる。少数民族の反乱も起きるだろう。ミャンマーが第2のイラク、第3のアフガニスタンになっていいのか。
政権を倒すという欧米式ではなく、話し合いによる穏やかな改革が望まれる。

十ニ月十八日(火)(僧侶の務め)
僧侶が政治活動をすると国民はそれに従うしかなくなる。それでは国が傾く。僧侶は政治に関わるべきではない。僧侶の務めは修行と法を説くことにある。仏教精神による政治は大いに説いてほしい。
お釈迦様の作られたセーキャ・ダンマ(衆学法)にはこう書かれている。刀を持つ者に法を説いてはならない。武器を持つものに法を説いてはならない。靴を履くものに法を説いてはならない。乗り物に乗るものに法を説いてはならない。これらの者に向かいデモを行うことは無言の説法となる。僧侶は非番の軍部高官たちに向い大いに法を説いてほしい。

十ニ月十九日(水)(ミャンマーの仏教各派)
イギリスの進出が進むミャンマーでは国威を掛け1871年に第五結集が行われた。このとき参加しなかった比丘たちが従来のツダンマ派からドヴァーラ派、シュエジン派、ゲトウィン派として分流した。ツダンマ派は比丘の8割以上を占め、他の3派は戒律が厳しい。特にゲトウィン派は仏像やパゴダを否定し、これは原始仏教への回帰で理論では最も正しいが現代に至るまでの途中の伝統否定となり僧侶数は極めて少ない。

十ニ月ニ十日(木)(精神異常列島を救うには)
昨日は東京駅前の交番で警察官が自殺し大きなニュースとなった。日本は自殺者が多い。年3万2000人を人口1億3000万で割り、平均寿命80歳を掛けると0.02。生涯で50人に1人は自殺する。1人の自殺者の周りには5人の精神患者がいよう。1人の精神患者の周囲には5人の不健康者がいよう。5×5÷50=0.5。実に日本人の2人に1人は精神が不健康またはその予備軍である。異常に多い。その原因は終身雇用制、既成宗教の不活性、アメリカ文化の異常流入にある。
私は上座部仏教を日本に広めようとまでは考えていない。そのためこのページでは日本人主体の上座部仏教の団体には言及していない。日本伝統の大乗仏教や神道が活性化すればそれでいい。しかしこのままでは活性化しない。
創価学会その他の団体、良心的な僧侶並びに神職、上座部仏教の3つが力を合わせれば既成宗教を活性化することができる。

十ニ月ニ十一日(金)(東洋の時代)
昭和31年乃至32年は仏暦2500年であった。お釈迦様が入滅した年を元年とする国とその翌年を元年とする国があり1年ずれる。ミャンマーでは2500年を記念し第六結集が行われた。東洋各国から仏教関係者が集まった。イギリスの植民地になる寸前の第五結集から八十余年。東洋の多くの国々は独立を取り戻した。
しかし米ソの対立、アメリカの独り勝ちの時代に欧米文化の流入は続く。しかし欧米文化は永続不可能である。東洋には長い交流の歴史により非欧米文化、永続可能文化という共通点がある。ヒンズー教、イスラム教、仏教、キリスト教、儒教道教神道等地域宗教の連帯は可能である。

十ニ月ニ十ニ日(土)(日本語のできる外国人の優遇を)
スリランカ、タイ、ミャンマーの人々とはすべて日本語でやりとりしてきた。在日の人々だから程度の差はあっても日本語が話せる。
昨年夏香港の先端技術工業団地説明会で坂村健氏が講演した。英語では一部の意思疎通しかできずその国の言葉を用いる必要がある、多くの中国人が日本語を学んでいるが将来は日本人が中国語を学ぶようになるかも知れない、というようなことを述べられていた。
多くの外国人が日本語を学ぶのは日本経済の力であり、日本が戦後汗水流し働いてきた努力の結晶である。英語第2公用語だ小学生に英語だ大学で英語だと騒ぐ連中は先人たちの努力をアメリカに売り渡すとんでもない連中である。
日本は日本語を話す外国人を優遇する必要がある。せっかく日本に留学しても、本国で日本とは無関係の仕事をしている人が多い。これらの人々に仕事の機会を与えるためにも、日本人は英語ではなくアジアに目を向ける必要がある。


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