63、伝統と悪習(伝統とは弱者救済の習慣である)
平成十八年
九月二十日(水)(伝統と悪習)
西部邁氏の主張はその99%が正しい。四捨五入すれば100%である。しかし今から50年後に西部氏の言葉が一人歩きをするかも知れない。吾人は西部氏の主張に意義を唱えるものではないが、議論を深める必要はある。
西部氏の伝統と悪習の主張はもっともである。しかし何が良習で何が悪習かは人により異なる。西部氏の主張を発展させ「伝統とは弱者保護の習慣である」とすべきである。その根拠は弱者を保護する集団のみが永続してきたからである。
九月二十二日(金)(封建時代の伝統)
伝統には弱者保護とは正反対と思われるものも多い。しかし伝統がなければ権力者は暴走する。将軍、大名、奉行、代官が織田信長のように振舞っていいのか。更には為政者が不在となり、人々が殺し合っていいのか。
伝統こそ社会を安定させる智慧であり弱者保護の方策である。封建時代には為政者を抑えるものがないから、悪習も生じやすい。江戸城の大奥やら譜代大名による幕閣は悪習である。
九月二十三日(土)(伝統とは存続の方法)
地球、人類、民族、地域を長年存続させてきた習慣こそ伝統である。日本について言えば、外国の軍隊を国内に駐留させず、外国の文化は長い年月をかけて少しずつ国内に広め、先祖の文化は引き継ぐ。これらが伝統である。こうすることにより弱者も保護されてきた。
黒船が現れ明治維新で日本の伝統を破った。さっそく弱者の生物であるトキが新潟県を除き滅んだ。その後も西洋の真似をして第二次世界大戦に突入し日本およびアジアの弱者は上流階級と比して大きな損害を受けた。敗戦の結果日本文化は破壊され経済相対自殺率は異常に上昇し出生率は異常に低下した。変化の多い世の中は弱者が生きるには困難である。小売店、町工場、農業を見てみよう。自殺率は生活が豊かになれば低下する。自殺率を論じるときは経済に相対した自殺率で見る必要がある。
九月二十五日(月)(近代政治)
明治以降、伝統に代わり議会が弱者保護の役割を引き継いだかに見える。しかし議会は弱者保護の役割を果たしていない。
現在の地球において、弱者とは野生生物であり、非欧州地域の文化であり、不安定となった人心である。自然を破壊せず、欧州文化をこれ以上受け入れず、人心を安定させてこそ弱者保護である。
九月二十九日(金)(社会党総評ブロック崩壊の理由)
十七年前に上諏訪で行われた総評左派の大会には私も出席した。夜の宴会ではまず市川誠、岩井章、太田薫の総評三顧問による鏡割りが行われた。自民党、社会党の立場を離れ、日本の伝統に従うその歴史的瞬間に立ち会えたことは貴重な体験であった。国民春闘共闘会議という言葉もあった。国民である。アメリカ属国人ではない。
翻って今の日本はどうか。西部邁、小林よしのりの両氏が「あほ、腰抜け、びょうき」と名付けたアメリカかぶれのホシュと、アメリカ軍の駐留下で保たれた平和を喜ぶサヨクばかりになってしまった。
伝統破壊が生活を不安定にすることを国民は直感していた。そこを見抜けなかった社会党総評ブロックが惜しまれる。社民党が再生する方法は、党名を日本社会党に戻すことと、日本およびアジアの伝統を守る社会党に生まれ変わること。これしかない。マッカーサが押し付けたインチキ憲法改正の先端に立つことである。その上で戦争に反対しようではないか。
九月三十日(土)(伝統の優先順位)
伝統かどうかは次の優先順位で吟味すべきである。
- 人為的や外圧の影響で為されたものではないこと
- 現在に近いこと
- 長いこと
- 古いこと
昨年テレビ討論で、西部氏が靖国神社は神道で儀式を行うべきで一番古い祭祀だからだと主張したのに対して、菅直人氏は神仏習合で行くべきだ、と主張した。
このとき私は菅氏と同意見だった。そのときは順番を後ろから書いたが、理由は西部氏にはポチ保守退治という大きな功績がある。正面から西部氏に反対することを避けたかった。読む人が読めば優先順位の低いほうから並べていることは判るし、判らない人はよく判らないまま先へ進むという文章の暗号である。
十月一日(日)(女系天皇)
女系天皇問題が現れたとき、政府は世論調査を前面に押し立ててもはや採用は確実の勢いであった。欧州王室の物真似という意図も隠されていた。アジアアフリカ地域の弱者保護のため、XX教崩れの思想の阻止は重要である。今回は何としても女系天皇を阻止する必要があった。
皇族方、神道仏教界伝統文化関係者が協議し女系天皇を認めたのであれば、これは伝統の保持である。今回は権力、金銭欲、名誉欲、腐敗の絡む政治家、官僚の根回しで現れた話である。絶対に阻止する必要があった。
十月二日(月)(拝米ではない保守思想を広めるためには)
西部氏、小林よしのり氏が拝米派と激突していたときには、両氏を保守派内で孤立させないために、小ホームページでは小室直樹氏に言及したりした。西部氏がもはや保守派から締め出される虞がなくなったときに、小ホームページでは氏との違いを表すことにより、思想を広めようとしている。
西部氏と関係が深い人たちのなかでも、例えば佐伯啓思氏は西洋医学と東洋医学の統合を論じる(「京の発言」誌、第4号)など、独自性を発揮している。しかしなかには西部氏が女系天皇に賛成すれば自分も賛成という人もいる。本当に賛成なのだろうか。
西部氏のいうことにも1%は間違いがある。各人が同じ事を言っていても思想は広まらない。異なる意見で広めるべきである。
十月三日(火)(地球と非欧州地域の保守)
保守とは、日本の拝米保守派がやっている既得権を守ることや属国状態を守ることではない。保守とは生活を守ることである。そのためには先祖から続いている方法が一番成功する確率が高い。
そして、現在においては、地球を守り非欧州地域の文化を守ることこそ保守の急務である。
十月五日(木)(滅亡と循環)
弱者を淘汰すれば集団が進化するという考え方がある。ダーウィンを生んだ西洋文明は、まさにこの考えである。しかし永久に進化することはなく、いつか滅びる。
それよりは進化せず過去から平衡状態を保ってきた生活を守るほうがよい。非欧州地域だけではない。全人類は今こそ西洋文明と決別する必要がある。
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