27、小室直樹氏

平成十六年二月廿二日

日本国第一の知恵者は小室直樹氏であろう。小室氏が文部科学大臣になれば教育問題は解決するし、小室氏が総理大臣になればすべての問題は解決する。何より、小室氏が戦前に元老となっていたならば、日華事変など起こらなかっただろうし、万一大東亜戦争が起きても日本が勝っていたことは間違いない。

1 アノミー
小室氏の著作に一貫しているものは、急性アノミーの恐ろしさである。
アノミーは身体の病気でもなく精神病でもない、無連帯という社会に病原を持つ社会的病気である、戦後日本の教育は連帯を粉砕してアノミーを日本中に蔓延させた、と小室氏は語る。

2「悪の民主主義」「親子関係は親分と子分だ」「歴史に観る日本の行く末」
小室氏は、日本の教育はついに死んだようである、と語っている。このようになってしまったことについて、小室氏は次のように分析する。
(1)明治維新後、学校への進学率は極めて低かった。そこで政府は学歴を以って階層を作ることを思い立った。
(2)今の日本は父なき社会で育った人が父となり、言うことは受験勉強しろだけである。
(3)中国では科挙制度が官僚を腐敗させる原因となったが、宦官制度がカウンターバランスシステムとなり腐敗が一定範囲に収まり1000年以上続いた。 日本の官僚制度のお手本は中国の科挙だが、宦官がいないため、腐敗する一方である。
(4)日本の教育は、ねずみに青いランプがついたらあの穴へ入れ、という訓練の繰り返しである、人格を喪失させねずみ人間に変身させてしまう。
(5)占領下の日本魂抜き教育が本当に絶大な威力を発揮しているのは、平成年間、とくに現在である。

3 「大東亜戦争、こうすれば勝てた」と「日本の敗因」
日本が負けた直接の原因は、中国に大軍を置き去りにしたことと、潜水艦である。しかし日本が負けた最大の原因は、勝ったあとどうするかという発想がなかったことにある。
戦後に日本が何よりまずすべき事は、経済の再建であった。ところが再建を目指したはずだったのに経済超大国にのし上がり、手段であったはずの経済発展が目的となった。
自由とデモクラシーが欲しければ闘い取るほかない、まず大東亜戦争に勝っていないといけなかった、マッカーサのごとき俗物に「自由とデモクラシー」のまがい物を押し付けられないためにも、と小室氏は語る。日本ではデモクラシーが戦後まったく働いていない原因が判る。

4 「危機の構造」と「日本国民に告ぐ」
「危機の構造」では現代(昭和51年)日本における急性アノミーは(1)天皇の人間宣言(2)デモクラシー神話の崩壊(3)共産主義神話の崩壊、の3つで起こる、(2)と(3)は天皇の人間宣言によって「失われた秩序の再確立」を目指したが必要な条件を満たされず(1)と同様の過程をたどり崩壊した、としている。戦後たけのこのように発生したデモクラシーや共産主義に対しても敵対するのではなく冷静に分析していることに、小室氏の人間の温かさを感じることができる。
その一方で「日本国民に告ぐ」では、マッカーサは天皇の権威を失墜させるため共産主義者を利用した、とある。日本共産党や社民党はマッカーサの企みに気付いてほしい。天皇が政治とは切り離された現在では、日本の国柄の失墜にその関心が向いてしまうが、国柄の失墜は世界のアメリカ化である。

5 「日本人のための宗教言論」と「資本主義言論」
「日本人のための宗教原論」は日本人に欠けた宗教知識を補うに最適である。イスラム教はイスラム教を最高とした上で人々はどの宗教を信じてもよいと言っている、アッラーは各々の民族にその民族の言葉で語る予言者を下した、例えば孔子や釈迦。
「資本主義言論」では、産業革命が資本主義を生んだのではなく、資本主義の精神が資本主義を生み、資本主義の要請で産業革命が起こった、資本主義の精神とは(1)労働(経営活動を含む)が救済のための宗教活動となること、(2)経営が目的合理的になされること、と述べている。

6 小室氏と経済
小室氏の主張する市場主義は、西部氏やビルトッテン氏の主張とは正反対だと思われている。しかし双方の目的は同一である。現在のように官僚主義がはびこった社会にあっては、小室氏の主張する市場主義は正しい。その一方で、小室氏は資本主義の精神と宗教との関連も述べているし、経済学がアメリカをモデルにしたものであり日本に当てはまらないことも指摘しているし、終身雇用制と年功序列が西ヨーロッパに見られることも指摘している。
小室氏の主張には国民のためという目的が根本にあり、西部氏やトッテン氏と共通である。国民を犠牲に経済だけ発展させようと場当たり的主張を行う人たちとは区別しなくてはならない。

7 真の保守主義とは
小室氏は、「伝統主義」とはいままでやってきたから今日も正しいと信じることだ、と伝統主義をマクスヴェーバの定義に従い悪い意味で使っている。一方で、良い伝統を守ろうとするのは伝統主義とは言わないとも述べている。
ビルトッテン氏も「保守主義」を同様の意味で使っている。一方、西部氏は「保守」という言葉をいい意味で使っている。最近では、小室氏のいう伝統主義やトッテン氏がいう保守主義を守旧派と呼び、いい意味の保守と区別する方法もある。これらは英語やドイツ語の訳と日本語の語感の相違に他ならない。ここでは良い伝統を守る事を「真の保守主義」と呼ぶことにしよう。「真の保守主義」は「進歩主義の進歩主義」である。つまり進歩主義は科学を万能と信じる余り、副作用として良い伝統即ち人類が長年かけて築いた遺産を破壊してしまう。その欠点に気付き進歩主義を更に進歩させれば「真の保守主義」となる。真の保守主義と守旧派とは正反対である。 革新にとっても同じことが言える。経済問題のみ重視し良い伝統を守ろうとしないのは「真の革新」ではない。中途半端な革新である。

8 教育を考える(1)誰にも得意な分野がある
小室氏は「偏差値が日本を滅ぼす」で、お前は他人より優れているんだぞ、またそれだけに重大な責任があるんだぞ、と教育しなくてはいけない、一点でもお前は何か違うと思わせる、と述べている。同じく、入試はアミダクジでやってもいいのだ、戦前は東大法学部以外は実質的な入試はなかった、東大の他の学部も京大もなかった、現代日本の受験戦争がどれほど奇妙な特異社会か諸外国と比べれば一目瞭然と述べている。

9 教育を考える(2)今の学校教育
「人をつくる教育、国をつくる教育」では、今の学校教育を拒否する子どもこそ素晴らしい子どもである、10年くらい前まではこのように主張すると狂人のように思われました、と書いている。今の教育は退屈な話を我慢して聞く訓練にしかならない。だから日本人には退屈な話をする人が多いのであろう。
さりとて人を見る目に欠けた日本人は、学歴でしか判断できない人が多い。ここに、日本国第一のたか派、土井たか子女史と、武州代々木藩筆頭家老、不破哲左衛門氏に活躍の場がある。しかし先の選挙で両党は大きく議席を減らした。このままでは日本の次世代が心配である。

10 ルソーとマルクス
保守系学者でルソーやマルクスは道徳を破壊したと主張する人は多い。小室氏は学者らしくルソーやマルクスを好意的に見ている。ここで、ルソーやマルクスの主張は道徳から見て問題があるのか、それは歴史的背景の中で為されたもので現在の環境下では本人たちが生きていれば自ら修正していたのではないか、あるいは彼らの主張自体はやはり道徳破壊であり我々が修正すべきものなのかを検討する必要がある。保守系学者も革新系学者も相手を非難する目的ではなく、世のため人のために研究してほしいものである。
私の直感では、保守や左翼はアノミーを防げるが、ホシュやサヨクでは不可能である。2人のうち特にルソーを研究する必要はここにある。

11 機能集団と共同体
小室氏は、天皇共同体と農村共同体が戦後解体し、機能集団である会社が代わりに共同体になってしまったと語る。会社を機能集団に戻すべきだという主張は私も賛成である。会社が共同体となり経済にしか目が向けられなくなった結果、地域崩壊から日本文化破壊、父親不在による子どもの教育の崩壊をもたらした。一方で雇用が流動化していない中で機能集団化すれば失業した人の再雇用は不可能となるため、西部氏やトッテン氏の主張も正しい。 トッテン氏は著書「日本はアメリカの属国ではない」で、日本の輸出の48.3%を上位30社が占める、と主張している。会社が共同体となり、大企業経営者の主張が過度に反映され、終戦直後の手段であったはずの輸出が目的となり円高が日本人の心を蝕んでいる。 緩やかに会社を機能集団化し雇用対策も万全を期し、小室氏、西部氏、トッテン氏の主張を統合することが日本の進むべき道ではないだろうか。

12 日本の未来のために
一番最初に述べたように、小室氏を文部科学大臣にすれば教育問題は解決するし、総理大臣にすればすべての問題は解決する。それが不可能ならば、自民党から共産党まですべての政治家は小室氏の著作を読むべきである。各党が各々の立場で小室氏の主張を取り入れれば、日本の未来は盤石である。




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