64、もう一つの平衡主義

平成十八年


十月十日(火)(偉人が別の環境に住んでいたら)
平衡主義は保守主義の異名だと言われている。ここでもう一つの平衡主義を考えてみよう。即ち偉人が別の環境に住んでいたらどのような主張をするかを考えるのである。


十月十一日(水)(日蓮)
日蓮は天変地夭飢饉疫癘の時代に生まれた。日蓮が従来の仏教を攻撃するのも当然である。翻って現在の日本に天変地夭飢饉疫癘はない。つまり他宗を攻撃する理由が存在しない。
日蓮の時代には西洋流無神論は皆無であった。もし日蓮が現在に生を受けたら、西洋流無神論を攻撃したであろう。


十月十四日(土)(大石寺日寛)
日蓮の死後、日興は身延を離山しその門流は大石寺など八本山に発展した。ちなみに創価学会は十五年ほど前までは大石寺の信徒団体であった。日興門流の身延との違いに造像不可がある。京都に進出した八本山の一つ要法寺は戦国時代に日辰が造像を主張した。以後大石寺でも造像が行われるようになった。その後現れたのが大石寺26世日寛である。
大石寺の日蓮本仏論は日寛の創作だと身延では主張している。大石寺側は日興、9世日有の著作にも日蓮本仏の形跡があると主張している。しかし形跡があるのと大々的に主張するのでは大きく異なる。
日寛の主張は他本山には受け入れ難いところがある。戦後大石寺に属し10年ほど前に独立した八本山の一つ保田妙本寺がまだ大石寺に属していたころ五十一世鎌倉日桜師にお会いしたところ私が質問した訳ではないのに「我々が法華経を信じるのは日蓮大聖人を通してだから」と仰っていた。その言葉に日寛教学を何とか受け入れようとする妙本寺の苦労を感じた。

日寛は要法寺日辰の教学に反対するため膨大な著述をした。日辰教学が宗内から駆逐された今の世に日寛が生まれたら、日辰ではなくキリスト教崩れの西洋文明に反対したに相違ない。


十月十五日(日)(偉人たち)
宗教者、哲学者、思想家はその時代の偏りを正し平衡を保とうとした。偉人たちが違う時代、違う背景に生まれていたら正反対の事をいったであろうことは疑う余地がない。
しかし例外がある。西洋思想家たちである。


十月十七日(火)(循環と破滅)
西洋思想家は、世の中は進歩すると考えている。しかし宇宙には循環と破滅しか有り得ない。彼らのしていることは人類破滅の速度を高めることである。
彼らを循環に引き戻すには、今こそ西洋思想に代わる主張をすべきである。停滞した世の中の偏りを正そうとした西洋思想家たちには破滅に向かう偏りが発生したため、その 偏りを正す。こうすることで西洋思想は循環の一部となる。


十月十八日(水)(イラクと日本)
イラクはシーア派、スンナ派、クルド人が三つ巴となりテロや混乱が未だに収まらない。アメリカが企んだ、三つを拮抗させて親米化する戦略は失敗に終わった。
イラクを他山の意思である。アメリカは日本にも同じ方法を用いた。その結果、左右対立が起こり今でもこの思考から抜け出せないでいる。
吉田松陰が右か左かは、判別不可能である。西郷隆盛が左か右かも判定不可能である。異人が違う環境に生まれていたら、と考えることにより、日本はマッカーサが仕組んだ左右対立から開放される。


十月二十七日(金)(マルクス)
マルクスの時代は、列強が他国侵略に明け暮れる時代であった。労働者の生活は悲惨であった。今、インターナショナルをアジア全体で歌ってみよう。「起て飢えたる者よ、今ぞ日は近し」。立ち上がるのは北朝鮮の住民だけである。
マルクスが今を生きていたら、あのような主張はしなかったであろう。アジアに生まれていたら西洋文明の世界席捲に反対し、西洋文明の地球破壊に反対したであろう。


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