九百九十四 檜垣克雄さんと、ひの木教会
平成二十九丁酉年
六月十日(土)
うちの子二人が二十年程前に卒園した幼児園から創立五十六周年の案内状が来た。うちの子が通園したときは単立だったが、その後日本基督教団に加盟した。単立時代の事情が判らないまま今日を迎へたが、創立者檜垣克雄さんとひの木教会の歴史を書いた資料が同封されてゐた。それによると檜垣さんは
1898年 熊本県で生まれました。
1923年(25歳)
 関東大震災が発生しました。(中略)戒厳令が出され、非常事態が宣言される状況の下で陸軍将校となり(以下略)
1925年(27歳)
(前略)宇和島出身の好子夫人と結婚。
市川同胞教会で、夫婦共に洗礼を受け(以下略)
1933年(35歳)
 東白楽の駅際にある神奈川県立工業高校に配属将校として派遣され(中略)近くの横浜明星教会に出席するようになります。
キリスト教徒の陸軍将校としては今村均が有名だ。今村は開戦時は第16軍司令官として蘭印作戦を担当し、その温厚な人柄からインドネシアは戦後も親日国になるなど、大東亜共栄圏唯一の成功例と云はれた。
今村は聖書に親しむものの洗礼は受けなかったので、陸軍将校で正式のキリスト教徒として檜垣さんは貴重な存在例であった。
1937年(39歳)
 日中戦争のために中国の戦地に1年半赴き、陣頭指揮をとりますが病気のために福岡県小倉市に戻り、後方支援の任につきます。(以下略)
1942年(44歳)から3年3ヶ月にわたって
 陸軍中隊長として中国・タイ・ビルマ・インド巡り1944年にインパール作戦と呼ばれる激戦下で部下と同僚のほとんどが戦死してしまいます。
1945年(47歳)
タイの奥地で敗戦を迎え、それから一年間は終戦後のタイで敗戦処理の任を負います。(中略)平和の尊さをこどもたちに語り続けるその姿は後に『麦と兵隊』という小説の中に実名で記されています。
インターネットで檜垣克雄さんを検索すると終戦時は第15師団兵器部長檜垣克雄中佐とある。

六月十一日(日)
戦後は
1946年(48歳)
 日本に帰国。(中略)公職から追放され(中略)目黒の柿の木坂教会に熱心に出席するようになり(中略)横浜市内の鉄工所で非正規の日雇いの肉体労働をしながらも(以下略)
1951年(53歳)
 ようやく公職追放が解除されました。
関東学院大学夜間部の事務長となり(以下略)
なるほど公職追放は政府や地方公共団体だけではなく、民間にも就職できなかった。
1958年(60歳)
 関東学院を定年退職し、退職金で現在のひの木の場所にわずか三部屋(17坪)の小さな家の建築を計画します。
1960年(62歳)
 待望の家が完成し(中略)三家族が一室ずつを分け合っての共同生活を開始。(以下略)
1961年(63歳)
 住宅隣接部に板張りひと間だけの別棟(わずか10坪)の園舎兼礼拝堂も併設して(中略)当初の園児は4名。
同時に、日本キリスト教団横浜明星教会鶴見伝道所の誕生でした。
1974年(76歳)
 宗教法人としての認証を受けるために、横浜明星教会の附属という立場から離れて、単立教会として独立。
牧師はおりませんでしたが、檜垣氏が礼拝をまもるようになります。
1989年(91歳)
(前略)召天の当日は朝食を美味しく食べ終えてそのまま眠るようにすーっと最後の時をむかえました。
 牧師資格もないまま、生涯一信徒としての奉仕でした。(以下略)
うちの子が入園したのは1996年なので檜垣さんと会ふ機会はなかった。単立となったのは他にも理由があるのだらう。今でも宗教法人の認証が下りないからだ。

六月十二日(月)
その後は次の経緯をたどる。
檜垣先生が天に召された1年後の1990年6月、以前から関係が深かった横浜明星教会から鹿島利次牧師が日曜日に毎月2回だけ、協力牧師として派遣されるようになり(中略)日本基督教団の教会としての組織形成が行われ、1998年に教団第二種教会の認可を得ました。
 檜垣氏が強く強く望んでいた宗教法人化を申請するために不可欠な礼拝堂建設も2000年に実現しました。
ところがまだ法人化はされてゐない。
2015年2月には、待望の宗教法人化のための県への書類申請。
その夏には県との直接折衝も実現し、2016年には二度目、2017年には三回目の書類提出も行い、
今はその認証実現を祈りつつ、現在に至ります。
法人化ができないと
個人所有のままである以上は
所有者に何かがあったときは
相続税等が発生して
施設の維持自体が難しい状況となりかねません。
そればかりか
認可外保育施設である幼児園が(中略)こども子育て新制度の様々な恩恵にもあずかることが難しくなっています。
保護者の方々への公的補助や施設への助成も低いままです。
うちの子を入園させるときになぜ幼稚園ではなく幼児園なのかと思ったが、幼稚園に準拠する上に他の幼稚園より幼児園のほうがよいと確信した。しかし一刻も早い法人化と認可保育施設化が望まれる。(完)

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