九百八十五 勝てない(国民に支持されない)運動と対策にならない運動はやってはいけない、解決は未来志向で
平成二十九丁酉年
五月二十四日(水)
昭和四十六年(1971)年に渋谷暴動事件があった。警察官を鉄パイプで殴りガソリンをかけて火をつけた。殺人で指名手配された男が四十五年ぶりに逮捕された。
ずいぶん悪質な犯罪だが、当時はベトナム戦争の最中だった。米ソ対立が生んだ事件と云へる。だからと云って中核派は無関係を装ってはいけない。犯人が抵抗を続けるとより一層、国民の怒りが強まる。ここは犯人にきちんと(1)自白させて、(2)反省の態度を示させて、三番目に当時は米ソ冷戦下だったことを少し主張するべきだ。
まづ勝てない運動はやってはいけない。勝てない運動とは国民に支持されない運動のことだ。二番目に解決は未来志向でなくてはいけない。ここで犯人が黙秘や抵抗を続けても未来の役に立たない。逃走中のことは他の構成員を巻き込むから云はなくても許される。事件当時のことを自白し、反省することで少しでも国民の怒りを和らげる。三番目に今と当時の時代の差を少し主張することで、国民の理解を少し得る。このことが将来につながる。

五月二十五日(木)
なぜ殺人と云ふ絶対にやってはいけない犯罪をやってしまったのだらうか。そこには昨日述べた米ソ冷戦とベトナム戦争も二番目の理由としてあるが、一番目の理由として、単純唯物論に反対するのが共産主義なのに、単純唯物論を掲げてしまった。中世から近代に入り単純唯物論と云ふ悪質な思想が出現した。単純唯物論は独占資本を生み、帝国主義を生んだ。
単純唯物論に対抗するのが共産主義なのに、スターリン、毛沢東は単純唯物論になってしまった。これが、カンボジアのポルポトや、渋谷暴動事件や、赤軍派リンチ事件や、中核と革マルの内ゲバの原因となった。

五月二十六日(金)
殺人がいけないことは、伝統文化から発生する。一般には宗教心から発生すると思はれるが、世界でも日本でも歴史を振り返ると宗教心からは発生しない。日本を例にとると天文法華の乱で日蓮系各派は一向一揆や比叡山と武力衝突した。戦国時代に本願寺派は武装し、高田派などは織田軍と協力して本願寺派と戦った。
これらを考へると、伝統文化と宗教の地位を逆転させるべきで、伝統文化が殺人や窃盗はいけないと教へる。すると伝統文化の中から宗教が現れる。共産主義は伝統文化が破壊される時代に発生したため、その対策として弁証法的唯物論を編み出したが、実際には伝統文化は破壊されなかった。スターリンは度重なる粛清を誤魔化すため、ことさらに唯物論を強調した。
だから共産主義が国民の支持を得るためには伝統文化を重視し、スターリン以降の過ちを正さなくてはいけない。ここで伝統文化は人類文明と同義だが、近代の西洋文明優位の状況にあっては西洋文明と同義に用ゐる者があり、最近ではグローバリズムと混同するため、ここでは伝統文化と云ふ語を用ゐた。(完)

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