九百八十四 昼休みの音楽会
平成二十九丁酉年
五月二十一日(日)
月に一回、お昼休みにビルの一階で無料コンサートが開かれる。私はこれまで欠かさず出席した。十二時に開演するが、昼食を食べてから一階に降りるので、十二時二十分頃から観客席にそっと座り、終演は十二時四十分なので最後までゐる。ところが今回は途中で退出したので、その理由をお話しませう。

五月二十二日(月)
今までは或る私立の音楽大学の卒業生が二名乃至三名出演した。今回はその私立大学一名と今回初めて或る国立大学の卒業生一名が出演した。そして二人が別々に演奏した。或いは私が席に座る前に合奏をしたのかも知れない。しかしあの雰囲気では別々に独奏したと推定したほうがよい。
私はまだプログラムを貰はなかった。だから曲と曲の合間にそっと席を立ちプログラムを取ったあと後ろで立ち見をしたが、バイオリンの高音が耳触りだった。国立大学はバイオリン、私立大学はビオラだ。
先月まではバイオリンと中音弦楽器、或いはそれに木管楽器が加はり、合奏だし独奏部分も耳触りと感じたことは一回もなかった。今回退出のときは立ち見からそっと抜け出したから失礼なことはなかった。

五月二十二日(月)その二
ビオラの奏者が退席しバイオリンが登場するとき、ビオラの奏者がマイクを渡さうとしてゐるのに、バイオリンの奏者は譜面をめくったり別のことをしてゐる。ずいぶん待たせた後にマイクを受け取ったが、これは演奏前の準備が長引いたのだと好意的に解釈した。
退席した人は観客席横でビオラをケースに仕舞った。プログラムを受け取り二人の経歴を見たとき、一人は国立大学音楽学部卒で楽団の首席奏者、もう一人は私立音大卒の以前は楽団に所属し今は個人活動。主席奏者が個人活動の芸術家とは同席できないよと行動で表してゐる気がしたが、私の思ひ違ひであってほしい。
だから私が退席したのはそのことが理由ではない。バイオリンの独奏が高音で耳触りだったからだ。芸術の鑑賞には二通りある。全体を鑑賞するのと、個々の技術を鑑賞する方法だ。バイオリンが好きな人はかう云ふ演奏を楽しむのかも知れない。

五月二十三日(火)
もう一つ、先月までと異なることがあった。今までは終りから二番目に日本の童謡メロディー或いはそれと同じくらい皆に知られた曲を演奏した。もしこのやうな曲ばかりだと逆に飽きてしまふ。しかしこれがあるおかげで心が和むとともに他の曲も生きる。人によってはこれが中心で他の曲が引き立て役と感じるだらう。私もその一人だった。今回は二人が別々に独奏するから、このやうな曲を入れる時間がないし、どちらが演奏するかも決められない。そもそも合奏ではないから演奏しても間の抜けたものとならう。
バイオリンの独奏曲には美しいものも多いが、それは高度な技術を披露するものではない。一般にバイオリンは合奏で用ゐるから音色が美しい。(完)

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