九百六十八 「昭和の日をお祝いする集い」に参列
平成二十九丁酉年
四月二十九日(土)
今日は所用があり、明治神宮前駅で下車した。と云ってもニセ労組シロアリ連合のメーデーに参加するためではない。人生には限りがあるから時間が無駄だ。明治神宮会館で開催された「昭和の日をお祝いする集い」に参列するためだった。
式典には、新しい歴史教科書を作る会の元役員高橋史郎さん、自民党組織運動本部長山口泰明さん、元民社党委員長塚本三郎さん、国学院大学元教授大原康男さんを始め、多数の憂国の士、平和を希求する人たち、その他が集まった。
陸上自衛隊予備自衛官の女性の司会で始まり、主催者及び来賓挨拶、御製朗詠、聖寿万歳、基調講演、記念演奏と盛り沢山だった。

四月三十日(日)
高橋史郎さんの講演「祝日の意義」は次の内容だった。
・GHQは伝統的軍国主義の根絶、内的崩壊を目的とした
・1942年に書かれた論文には精神的武装解除、美とけもの美とけものは菊と刀と組み合はせ方が同じ南京大虐殺の原因は古事記
・GHQ指令は誰にも判るが、口頭命令は後ろからピストルを突き付けたのと同じで、前からは見えない。口頭指令で祝日法は原案の「伝統を尊重し」を「美しい風習を築き」に変更させられた。これから風習を築くのだと云ふ
今、祝日法を見ると、第一条に「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。 」とある。「自由と平和を求めてやまない」「美しい風習を育てつつ」は削除すべきだ。

四月三十日(日)その二
基調講演に続き、「若手からの提言」が今年は新設され、まづ全日本学生文化会議事務局長の女性が登壇した。話の内容は100%賛成できる。特に皇居の勤労奉仕団が出来た経緯はよかった。ただこの団体のパンフレットに載る「賛同人」に気になる人が二人ゐる。中西輝政さんとペマ・ギャルポさんは単に拝米反中なのではないのか。それ以外の賛同人の長谷川三千子さんは私と考へが最も近いし、小堀圭一郎さんは良識ある主張をされる。大原康夫さんと高橋史郎さんは今回登壇された。取り越し苦労ならよいのだが、日本の混乱はGHQの占領時の戦略にあるのだから、拝米反中では解決しない。

若手でもう一人登場した。この人は反中反韓なので私とは共通点が無い。反韓の理由は慰安婦像に続き強制徴用像も作ることを話されたから、これは私も同感だ。いくら社会破壊拝西洋新自由主義駄文陳列戦没者冒涜反日パンフレット(自称朝日新聞)の偽造文章(自称誤報)が原因で日韓関係が悪化したとはいへ、韓国はしつこすぎる。
とは云へ、悪いのは一部の市民団体とそれを容認した市役所や韓国政府だ。韓国の国民全体ではない。韓国の輿論が反日だったとしてその原因はマスコミにある。市役所や韓国政府が規制に動けない理由も輿論にあり、それは韓国のマスコミが悪い。韓国のマスコミを批判し、韓国の国民全体はマスコミに洗脳された被害者として隣国である我が国の国民は暖かい目で見てあげるべきだ。
世界情勢を見ると、なぜアジアは連帯しなくてはいけないかがよく判る。西洋以外の諸国が西洋に追ひつくことはできない。追ひついたとき西洋はその対策を立てるからだ。そして追ひつく過程で各国は大変な社会混乱を伴ふ。明治維新以降の日本がその典型だ。

四月三十日(日)その三
この二番目の若手は「最近の若い者は、と云はずもっと若者を評価してほしい、少なくとも学生運動をした人たちよりはよい」と不用意な発言をした。この発言はよくない。私は学生運動に参加しなかったが、私が労働組合に所属してゐたときの専従者たちは学生運動に参加した人がほとんどで、私はだから彼らを信用できた。運動に参加をせず専従役員にならうとするのは、カネ目当てとしか考へられない。
また、戦後の世の中が急激に変化する中で、資本主義への批判が共産主義であり、事実アジアでの共産主義は西洋帝国主義からの解放を掲げ、日本で共感者が多いのは当然だった。三里塚闘争は農民と連帯し、土の香りのする闘争に共感する国民は多かった。しかし警察官に死者が出たときから、国民の支持は消えていった。
私は「今の若い者は」と発言することは絶対に無い。なぜならどの世代にもいろいろな人がゐる。それぞれの長所を探せば駄目な人間はゐない。実は第二の理由がある。戦前に成人した人は立派な人が多いが、戦後に成人を迎へた世代はGHQの内的崩壊工作をもろに受けてしまった。だから私から見ると年長の人こそ悪い。「今の年寄りは」となる。
当時共産主義に反対した人たちも偉い。スターリンやその後継の毛沢東のやったことはひどいし、共産主義陣営がいくら民族独立を掲げても、西洋思想であるマルクス主義にそれができるのかと云ふ疑念があったからだ。
これら左右の複雑な関係が一転したのは米ソ冷戦終結した後だった。かつての左翼はサヨクとなり、拝米拝西洋で日本社会破壊勢力になってしまった。私が左翼はよいがサヨクは有害だと指摘する理由はここにある。左翼を批判するときは、ここまで見なくてはいけない。

四月三十日(日)その四
記念演奏は山口采希さんが
愛国行進曲、月月火水木金金、里の秋、リンゴの唄、蒲田行進曲、若い日本、世界の国からこんにちは、大切な宝物
を歌唱された。その明るさ、機敏さに感心するばかりだった。国民的歌手と云っても過言ではない。愛国行進曲、月月火水木金金のときは、戦争賛美が過ぎるのではないかと心配したが、三曲目以降で平和のためにと発言され、そのバランスの良さにも感心した。最後は曲の終りの前に万歳三唱で締めくくったが、その機敏さ或いは企画力は一流だ。

「昭和の日をお祝いする集い」を主宰された昭和の日ネットワークは、役員構成を見ると神社本庁、国柱会系の日本国体学会などで構成されてゐるやうだ。自民党の来賓について言及すると、挨拶はよかったがその後の顔の表情から必ずしも全面賛同ではなく党の組織運動本部長として出席されたのかなと、ふと思った。自主憲法は自民党の党是だ。額賀派も諸手を上げて賛成してほしい。(完)

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