九百六十九 こころの時代「作家X はるかな愛~“春と修羅”より~」
平成二十九丁酉年
四月三十日(日)
今朝は久しぶりに、NHKのまともな番組を観た。こころの時代「作家X はるかな愛~“春と修羅”より~」だ。昨日この放送をインターネットで見つけた。昨夜は見逃がさないやう緊張して寝たので、早朝に目覚めた。そして期待したとほりの良い番組だった。
良かった理由は、詩人の吉増剛造さんと絵本作家だけが登場した。アナウンサーは声だけに留めた。これが重要だ。かつてのNHKはこれが当たり前だった。
「春と修羅」は私のホームページでも過去に特集を組んだが、今でも判らないところがある。それをこの番組は解決してくれた。「春と修羅」には或る女性との恋愛物語が潜んでゐると云ふ。周囲の反対があり、結婚には至らなかった。結核で結婚できなかった。女性は医師と結婚し、渡米し昭和二年に結核で永眠した。
「春と修羅」は、国内のあちこちに郵送したから、秘めた恋愛物語とは異なるのではないか。そんな疑問がある。私のホームページはまもなく千回を迎える。千回目は「春と修羅」を特集しようと考へてゐたが、今回の番組はそれに向けて貴重な情報を与へてくれた。
吉増剛造さんが、特定の単語を選択し作家Xはここでこんな心理状態だったと分析した。なるほど近代詩を観察するにはああいふ風にやらないと駄目なのだと感心した。
私は音楽を聴くときは、演奏側から見た技術の高度さではなく作曲の美しさを鑑賞する。文章にも、作者側の心理状態ではなく鑑賞者側の心象で鑑賞する。明治以降の近代詩については、まだ定常状態に達してゐないと思ふ。つまり字数を心地よく創ることが詩だと思ふ。そんな私に吉増さんの手法が可能なのか。
五月四日(木)
六年前に出版された重松清さんなど三人の共著「作家X 雨ニモマケズという祈り」で該当する部分を読んだ。
佐藤勝治(一九一三~二〇一〇)の一連の著作に出会ったのは、今から五年ほど前のことだ。(中略)その写真を見た瞬間、私は、佐藤の説が正しいことを直感した。
私も、今回のテレビを観て吉増剛造さんの云ふことが正しいと直感した。書籍「春と修羅」で未解決だった問題の半分が解決するからだ。テレビでは女性の名は伏せられたが、この書籍では大畠ヤスとある。
佐藤はその後、ヤスの近親者からも話を聞き、「作家X家から大畠家に結婚の打診があった」などという貴重な証言を得ながらも、昭和五十九年に筆を折ってしまった。そのため佐藤の説は(中略)「長いあいだ、佐藤の独り言であるかのように扱われてきた」。
五月四日(木)
教え子の照井謹二郎さんは、作家Xが大正十一年に、道を歩きながらぽつりともらした言葉を聞いている。
「家のことを考えると、私は結婚はしないよ」
照井さんはすぐに、「家のこととは、トシさんの病気のことだな」と思ったという。
また、作家Xの家に招かれた折に同様の言葉を耳にした別の教え子は(中略)「かつての花巻で、作家X家は結核の多い家系と囁かれていた」と指摘したうえで、「作家X先生はそのことを、気にしていたようだった」と述べた。
その年の十一月に妹のトシが亡くなった。
佐藤もまた、トシの死を境に、作家Xの態度に迷いが見られるようになり、そのことがヤスを憔悴させた、と推論している。(中略)作家X家から大畠家に結婚の打診があったのは、このころのことだろう。
トシの死のあと、作家Xは翌春まで、まったく作品を残していない。この沈黙は、これまでトシの死の衝撃によるものと解釈されてきたが、ヤスとの結婚問題がこじれた結果であるとも考えられる。
この本は結婚の打診がこのころだとする。しかしもう少し後の翌年の春ではないだらうか。トシの死の衝撃が収まったころに打診をしたとするのが自然だ。
大正十二年の春になって、作家Xはにわかに岩手毎日新聞に作品を発表する。まずは四月八日に(中略)童話「やまなし」を。
そして五月十一日から、十一回にわたる分載という形で童話「シグナルとシグナレス」を発表している。(中略)「シグナルとシグナレス」によれば、作家Xとヤスの結婚には、猛烈に反対していた人物がいたようである。
それがヤスの母親だった。
足立さんの証言によれば、この母が、作家Xとの結婚に激しく反対した。(中略)また、これも新たな情報だが、作家Xとの結婚問題でもめているうちに、ヤスが結核を発病してしまった。ヤスの妹トシは、母と二人でいるときに、ヤスが夜遅く帰宅して、戸口のところで倒れ、ひどく血を吐いたのを見たという。
「ヤスが倒れたことを、誰にも話してはいけない」
母はトシに固く口留めをし、(中略)早々に他の男性に嫁ぐことを決めたに違いない。
足立さんとは、トシの娘の足立幸子だ。トシは姉の病気を知らなかったから、このときはまだ軽症で心労が重なり発病したのかも知れない。とんでもない母親だが、最大限好意的に想像すれば、既に結婚の話があったのかも知れないし、心労を忘れさせるには心機一転結婚させるのがよいと考へたのかも知れない。
五月六日(土)
私のホームページでは文章が数日以上経過した後に修正することは誤字や明らかな誤り以外普通はやらない。しかし今回の特集は昨日までの文章に、二回修正を掛けた。元々絵本作家の名前は入れなかったが、一回目の修正で名前を入れて、二回目で削除し最初に戻った。最初に絵本作家の名前を入れなかった理由は、番組紹介では絵本作家を訪問したとなってゐる。番組の中で話したのはほとんど吉増剛造さんだった。それなのに絵本作家だけ名を出したので、私のページでは逆に絵本作家の実名は省略した。
次に、絵本作家を含む三名の共著を読み内容がよいのに感心した。そこで実名を入れた。ただしよかったのは取材内容と作家Xの作品の部分で、絵本作家の感想は私と意見が完全に異なるのでほとんど引用しなかった。その次に絵本作家の単著の書籍を読み、内容がひどいのに驚いた。作家Xを研究する人はたくさんゐるから、中には変なことを云ふ人もゐる。極めて少数だから無視すれば済む話だ。それなのにこの人はそう云ふ説を優先して紹介する。作家Xは生涯独身だったから、変な説を立てる人も出て来る。それを否定するためにも、恋人がゐたが相手の母親の反対で結婚を断念したとすべきなのに、この絵本作家は逆の目的で取り上げた。
五月六日(土)その二
本日の午後1時から再放送を見ると一回目とはかなり異なる感想を持った。まづ出演者名は吉増剛造さんのみで、番組紹介はその吉増さんが絵本作家を訪ねることをNHKが発表しそれを各社の番組表がそのまま載せるから、視聴者にとっては吉増さんが9割方出演するのになぜ絵本作家だけ紹介するのか、となってしまふ。これはNHKと番組表との関係で問題はなかった。
まづ冒頭に吉増さんが、国民学校で「雨ニモ負ケズ」を毎日朗読したので心の中の暗黒部分を連想してしまふが、春と修羅を読み作家Xを調べたくなったといふ話があった。ここは私と感覚が逆だ。私も小学生か中学生のときに「雨ニモ負ケズ」を習った。当時も今も優れた詩だと感じる。無名だった作家Xを一躍有名にした。と云ふことは多くの国民も私と同じ感覚を持つ。吉増さんは詩人だから作る側の技巧から春と修羅を優れた作品だと評価する。私を含む多くの国民は鑑賞者の側から全体を読んでの感想を持つ。
次に吉増さんが詩の文を読みながら作家Xの心を探るのは一回目に見たときはすごく特異なことをするやうに感じたが、二回目ではごく普通のことだった。
絵本作家の女性は春と修羅についてまづ、作家Xは病から「結婚はできない」と自分に言ひ聞かせ、将来を考へて名を出さず、しかしトシは妹だから名を出してもよく、二羽の鳥、二つの声といった表現でヤスを表したと話された。病から「結婚はできない」と自分に言ひ聞かせた部分は私の意見と異なるが、後半は同感だ。
そのあと吉増さんだけが出演する時間が続いたあと二回目は、春と修羅はトシさんへのお別れとともに恋の初めから終りまでを記録したと話された。これは私も同感だ。作家Xは皆の幸福を願ひ一人だけを祈ることは避けたが、1人の女性を恋から愛に変はったと話されたが、ここは私と意見が異なる。万民への愛と一人への恋の同時進行は可能だし、恋が愛に代ったのはヤスの母親の反対が原因ではないのか。
絵本作家を含む三名共著の本を読んだときは、その内容に半分賛成半分反対だった。二冊目に絵本作家単独の本を読んだときは全面反対だった。そして再放送を見てみると最初の本を読んだときと同じで半分賛成半分反対だった。しかしNHKは偏向だと思ふ。それは二冊目の本を紹介したからだ。私がテレビを一回目に見て、この女性に好感を持たなかったのはあるいはこの女性も本に書いた内容が心に引っ掛かりそれが顔に出たからかも知れない。
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