九百二十五 自民党東京都連による与謝野馨の甥の擁立を許すな

平成二十九丁酉年
一月七日(土)
自民党東京都連はよくない組織だ。与謝野馨の甥を千代田区長選に立候補させるさうだ。擁立する人が偶々与謝野馨の甥だったと云ふのなら問題はない。しかし今回は与謝野馨に関係する人間を立候補させると云ふ結論があって甥を選定したらしい。これは絶対に許されない。与謝野馨は自民党を離党しその後、曲折を経てシロアリ化した後の民主党菅内閣で入閣した。こんな無節操な男の関係者を立候補させてはいけない。

一月八日(日)
多くの国民が与謝野馨と聞いて不快に思ふのは、消費税増税ごり押し請負業をやったからだ。最初は自民党の比例区で当選しておきながら離党し、菅直人内閣の社会保障と税の一体改革担当大臣に就任した。与謝野が担当大臣のとき消費税増税のための理由をさかんに並び立てたことを多くの国民は絶対に忘れない。

一月九日(月)
与謝野で二番目に批判すべきはその無節操ぶりだ。当時の自民党総裁谷垣禎一さんも菅政権での大臣就任について
わが党の比例で当選した人だ。議員辞職して一民間人として入閣すべきだ
と批判した。インターネットで調べると、無節操な言動が次々に出てくる。まづ平成二十一年に次の誓約書を当時の総裁麻生太郎さんへ提出した。
自由民主党の公認候補として立候補する責任の重大さを認識しております。
就きましては(中略)当選後、離党などの反党行為は一切行わないことを、自由民主党および有権者に対し誓約するものであります。
前項の誓約に違反した場合は政治家としての良心に基づき議員を辞職いたします。
ところが与謝野は誓約に違反して離党のときに議員を辞職しなかった。誓約書には「政治家としての良心に基づき」とある。どうやら与謝野には良心が無いやうだ。
「立ち上がれ日本」の共同代表になったとき
私も死を直面しながら生きてまいりました。私もこの仕事を最後に自分の政治人生を終わりたいと思っております。
実際にはその後「立ち上がれ日本」を離党し、政治人生が終ったはずなのに菅内閣の大臣になった。

一月十日(火)
自民党東京都連には前科がある。与謝野を復党させようとして失敗した。当時の産経新聞によると
自民党は13日、与謝野馨元官房長官の復党を認めない方針を固めた。複数の党幹部が明らかにした。(中略)党東京都連は復党に前向きな姿勢を示していたが、党幹部の一人は「与謝野氏は除名後に民主党政権で閣僚を務めた人物。ここで復党を許せば、党内の節操がなくなる」と指摘。
自民党本部は節操がある。自民党東京都連には節操がない。(完)

二月七日(火)
選挙は一昨日行はれ、小池さんの応援する現職が、自民党東京都連の応援する与謝野の甥を3.4倍で圧勝した。これは都議会のドンとマスコミにさんざん書かれた都議の敗北であるとともに、与謝野馨の敗北だった。


(消費税反対その百十二)(消費税反対、国の獨立、シロアリ退治二百八十七)

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