八百七十一(その三) 戦勝国を賞賛する反日パンフレット「朝日新聞批判その三十八(マスコミの横暴を許すな67)」

平成二十八年丙申
九月十一日(日)
先月二十七日の朝パンフレットにオーストラリア国立大教授テッサ・モーリス=スズキへのインタビューが載った。戦勝国を賞賛するとんでもない内容だ。
――多くの日本人にとって、帝国が解体したログイン前の続きという歴史意識は薄いのでは。
「日本は戦争に敗北した瞬間、それまでに得た支配地域を手放さなければならなくなりました。しかも、それは突然でした。大英帝国の場合、アジアやアフリカで独立運動も起き、植民地支配の終わりは少なくとも数十年をかけて進行するプロセスでした」
これでは戦争には勝たなくてはいけないと主張するやうなものだ。反日パンフレットはこれまでも同じ主張を別の表現で再三繰り返した。それは敗戦国の悲惨さを繰り返し書いた。反日パンフレットは平和運動のつもりかも知れないが、平和運動は戦勝国も敗戦国もともに悲惨だといふところから始めなくてはいけない。事実、戦勝国も国力を使ひ果たしたため植民地の独立戦争に苦しめられる。更にソ連といふ新たな敵が出現した。反日パンフレットにはさういふ観点がまったくない。敗戦国の悲惨さだけを、何とかの一つ覚えで繰り返す。
――そもそも大英帝国と、支配の仕方にどんな違いがあったのでしょう。
「大日本帝国は、明治以降に台湾や朝鮮、南洋諸島、中国大陸などに勢力を広げていった。少しずつ近隣地域に拡大した帝国で、大英帝国が遠く世界に広がったのとは対照的でした」
これは部分的に正しくてもとんでもない虚偽だ。判りやすく説明すれば、お金を貸してくれと頼んで1万円受け取った。そのあと更に千円受け取った。本当は1万1千円受け取ったと云はなくてはいけないのに千円受け取ったと云ひ張るやうなものだ。
まづ大英帝国は他国を植民地にするといふ方法を発明、若しくは方法が公認されてゐる西洋以外のアジアでごり押しをした。日本は、他国を植民地にすると云ふ西洋の方法がアジアで実行され始めた後に東アジアの植民地化を防ぐため清国、朝鮮と協議したがうまく行かず、日清戦争になった。戦争で占領した地域を植民地にするか特別権益を持つのは西洋の流儀で、日本はそれに従った。つまり朝鮮半島を保護国或いは併合することは西洋に公認されてゐた。そこを云はないと本質の議論ができない。近隣だったか遠隔だったかは本質とは無関係だ。

九月十二日(月)
――日本の支配はどう正当化されていたのですか。
「特徴は時間に着目したことです。進歩という概念を採り入れ、自らを文明化した民族、他者を文明化していない民族とみなし、上下関係を正当化させた」
当時は軍事力が物を云ふ国際関係だったから、自らを西洋式軍隊を持つ国家、周辺国を西洋式軍隊を持たない国家としたのが正しいのではないのか。あと、植民地住民には選挙権などを与へないのが西洋式のやり方だから、朝鮮半島には選挙権が無かった。しかし本土に引っ越せば選挙権も被選挙権も得られた。中国から日本に留学した人は多かった。魯迅の「藤野先生」を読むと留学生は優遇された。或いは朝鮮半島出身で高級将校になった人もゐるから、政府の方針として他者を文明化していない民族とみなしたことは無いはずだ。ただし個々の日本人が日清戦争や日露戦争以降に中国や朝鮮半島出身者に差別意識を持つやうになり、きちんと指導しなかった政府に責任がある。そしてマスコミの責任は大きい。
ここまで云はなくてはいけないのに「自らを文明化した民族、他者を文明化していない民族」と一言で済ませるのは低級過ぎる。そもそも日本が文明化した民族なら、イギリスは何か。文明の本拠地とでも云ひたいのか。イギリス生まれのテッサ・モーリスはイギリスの帝国主義に言及はするものの、西洋文明の進展する過程での非平衡が原因だと気がつかないらしい。

九月十五日(木)
テッサ・モーリス=スズキの発言は次で終る。
今の日本社会のヘイトスピーチの問題などを見ていると、あの当時と変わらないと思います。心の中の植民地主義です。こうした差別の構造はどこかで意識的に克服しない限り、後の世代に引き継がれます
あの当時と変はらないことがある。西洋の猿真似と、日本だけがアジアの先進国だと云ふ周辺各国への蔑視だ。これはヘイトスピーチ参加者ばかりではない。労働組合にもみられる。かつて総評全国一般の左翼青年行動隊長みたいな人がゐた。プリンス自動車、沖電気争議、国鉄争議の支援で活躍し、全国一般が三つに分裂の後は全労協全国一般の委員長にもなった。たまたま結成したある労組がマスコミに大きく報道され、あちこちの講演にも呼ばれた。それですっかり有名人になったと思ひ込み、最後は連合に行ってしまった。私はてっきり全労協だと思ひその労組に加盟したところ連合に変はってゐたので驚いた。それ以上に驚いたのは、中国のことを「チャイナ」と呼んで「チャイナは遅れてゐる」などと発言することだった。
二十五年前に皆からのカンパで訪中し「俺も共産主義者だと云っても普通の中国人は関係ないんだな」と帰国後に発言したのと大違ひだった。当時は人民元の交換が自由ではなく兌換券の時代だった。この人の場合、二十三年前にマスコミに大きく取り上げられてからすっかり変はってしまった。特に反日パンフレットの怪しい女が私の所属する労働組合に介入し、それは分裂後も続いた。
組織が分裂し元行動隊長は向かう側の委員長になった。こちら側の委員長(分裂前の委員長が継続)は執行委員会が終った後に立ち寄る飲み屋で、分裂一年後くらいから中国の悪口を云ふやうになった。中国共産党の批判なら構はない。しかし、漢の時代と今の中国人は民族が違ふ(この人は、漢字の読み方が漢音、呉音と現代で異なるから別の民族に入れ替はったと思ってゐるやうだがそれは違ふ、北方、広東、上海など地域の違ひと、時代の変化で異なった)、シナでは戦争で相手を全員地中に埋めた、など中国人への批判だった。私はああいふ話は時間の無駄だから飲み会はほとんど参加しなかった。あと子供が大学に入学してお金が足りないから飲み会の費用を節約しようといふ理由もあった。
この人も元は総評全国一般だったが、この労組が連合に加盟してから連合の推薦で東京地裁の労働審判員を務め、いい思ひをした。中国の悪口を云ふやうになったのは連合でいい思ひをしたといふそんな背景があると思ふ。組合の左翼系の執行委員は「あの発言は民族差別だ」と私に同意した。私が、左翼は良いが、左翼崩れは悪魔の思想だ、と考へるのはこの辺りに根源がある。偏向マスコミ、特に社会破壊拝西洋新自由主義戦没者冒涜反日パンフレットが駄目だと考へるのもこの辺りが根源だ。さう云へばフランクフルト学派について調べろと私に云ったこともある(四百三十七、組合の飲み会での憲法改正の話(フランクフルト学派) )。誰から云はれたのか気になるところだ。専従の副委員長が反日パンフレットの女と飲みに行って脳出血で倒れたのはこの後の話だ。

九月十七日(土)
テッサ・モーリスの発言は終了するが、文章はまだ続く。
帝国の解体の仕方が日本人の歴史意識を今も規定している、というモーリス=スズキさんの指摘は、現在の問題に重い意味を持つ。
今年7月の東京都知事選では、「排外主義」と呼ばれる激しい言葉を在日韓国・朝鮮人に浴びせる候補が11万票を得た。
このとき投票総数は655万票。そのうちの1.7%だ。残りの98.3%は別の候補に入れたことを考へれば、わざわざ取り上げる話しではない。ほとんどの日本人には在日韓国・朝鮮人を差別しようといふ意識はない。それなのに反日パンフレットは或る大学准教授に取材したらしく
「西欧では移民や難民など最近移ってきた人々が排斥されるが、日本で最近台頭してきた排外主義では、100年前から同じコミュニティーで暮らしてきた人が対象になるのが特徴だ」と分析する。
日本では最近、排外主義が台頭したと云ふところが重要だ。なぜ最近になって台頭したかと云へば、在日韓国・朝鮮人を反日に仕立て上げようとする反日パンフレットが原因だ。9月10日の反日パンフレットは、北朝鮮の核実験について祖国統一の願い 裏切り 在日コリアンといふ題字とともに次の文章を載せた。
核実験を受け、在日コリアンや拉致被害者の家族も憤りを見せた。東京都内の在日コリアン2世の男性(78)は「在日コリアンは一日も早い朝鮮半島の統一を願っているのに(以下略)
この文章を読んで、朝鮮半島統一といふ在日韓国・朝鮮人の願ひが早く実現するといいなあと思ふ人はほとんどゐない。逆に嫌な気分が残る。それはコリアンといふ変なカタカナ語が原因だ。反日パンフレット社は在日韓国・朝鮮人のことを思ってこの文章を書いたのではない。コリアンといふ語をたくさん使って、日本人と在日韓国・朝鮮人を反目させたいだけだ。なぜそんなことをするかと云へば、反目させることによって排外主義を台頭させ、その原因は欧米と異なるアジア的思考が原因だと読者に思はせたいのだ。だから西欧の移民難民排斥と日本の排外主義は異なるといふ珍妙な主張を載せた。(完)


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