八百五十 オバマ大統領の広島訪問の意義を理解できない反日パンフレット

平成二十八年丙申
六月十八日(土)
新聞は、とかく自分の主張を記事にする。消費税増税を誰が主張した、護憲デモをどの団体が行なったといふのはその典型だ。内容が劣悪なため新聞とは云へないパンフレットも、新聞を自称するから同じことをやりたがる。社会破壊拝米新自由主義反日パンフレットの五月二十三日3ページ目には
第2次世界大戦で旧日本軍の捕虜となった元米兵が、オバマ米大統領の広島訪問に同行することになった。
といふ文章が載った。実際は元捕虜を連れて行かなかった。アメリカ政府は反日パンフレットよりはるかに賢かった。反日パンフレットは更に
広島を訪れるのは、フィリピンで捕虜になった元米兵やその家族で作る「全米バターン・コレヒドール防衛兵記念協会」のダニエル・クローリーさん(94)。捕虜として日本に連行され、栃木県の足尾銅山で働かされたという。
この文章だけで反日パンフレットの意図は明らかになる。中立の立場ならどの戦闘で捕虜になったかを書く。アメリカを批判する立場ならフィリピンは植民地だったことを書く。反日なら捕虜の労働についてハーグ陸戦条約を説明することなく労働を強制されたことを書く。ここで条約の該当部分は
国家は将校を除く俘虜を階級、技能に応じ労務者として使役することができる。その労務は過度でなく、一切の作戦行動に関係しないものでなければならない
戦後のジュネーヴ条約では
捕虜の身体的及び精神的健康状態を良好にして置くため、捕虜の年令、性別、階級及び身体的適性を考慮して、健康な捕虜を労働者として使用することができる。
労働は捕虜の身体的及び精神的健康状態を良好にして置くためでもある。それを説明せず足尾銅山で働かされたと書くと、読者は日本が一方的に悪いと思ってしまふ。

六月十九日(日) 文章は次に
同行が決まったのは、協会がオバマ氏の広島訪問に対するアピールの記者会見を米テキサス州サンアントニオで行った直後だった。会見で元捕虜らは、「日本軍からひどい仕打ちを受けた生存者として、太平洋での戦争を始めた責任が誰にあり、なぜ戦われたのか、触れてほしい」とオバマ氏に求める手紙に署名。(中略)クローリーさんはその席で「原爆の使用は、戦争を終わらせるための行動だった」と語っていた。
まづ日本は日露戦争或いは第一次世界大戦までは、捕虜の扱ひが他国の模範だった。先の戦争で悪くなった理由を調べず結果だけを書いてはいけない。例へば日米戦闘の様子を書いた中に、日本兵には無期懲役で仮出所中の男がゐてこの男の犯罪内容は何々で、と書いたとしたら、それは事実でも読者は日本軍全体がさうだったと思ってしまふから適切ではない。反日パンフレットはこの点でマスコミとしてあるまじき書き方をした。
次に元捕虜の言ひ分を一方的に書いた。「ひどい仕打ち」だったかどうかは双方を取材しないと判らない。私が小学生のとき、捕虜にごぼうを使った料理を出したところ「木の根を食べさせられた」と主張され、B級戦犯として死刑になった話を聞いたことがある。調べてみると東京俘虜収容所第四分所は捕虜を信越工業、日本ステンレスで使役した。終戦後、警備員8名が捕虜虐待で死刑判決を受け処刑された。
別の話では「戦場に掛ける橋」の舞台となった捕虜収容所で、当時の日本側関係者が同窓会をしようとイギリス側に働き掛けたが拒否されたといふものがある。同窓会をしようと働き掛けるくらいだから日本側は虐待したつもりが無くても、イギリス側は虐待と感じたのだらう。

今回の文章で絶対に許されないのは、「原爆の使用は、戦争を終わらせるための行動だった」の部分だ。人類史上最悪の戦争犯罪を、こんな簡単な一言で済ませてはいけない。捕虜収容所にゐたクローリーさんにとっては一日も早く帰国したいから、このように云ったとしても許される。しかしそれをそのまま文章にした人間は極めて不適切だ。

六月二十日(月) まともな発言も紹介してゐるが
父が捕虜だったジャン・トンプソン協会長(58)はオバマ氏の広島訪問を評価しながらも、「指導者たちは時に、将来に向きすぎてしまう。悲惨なせんそうの双方に被害者がいたことを記憶する必要がある」と話す。
これはまともな発言だ。パンフレット社も多少は良識があるではないか、と喜んだのも束の間だった。続けて
トンプソン協会長は、元捕虜を描いた映画(映画名監督名略)が日本で「反日」と攻撃され、上映が米国より2年遅れたことも憂慮する。「歴史を検閲しようとする強い力が日本にあることを示された」
これは間違ってゐる。アメリカ側が作った戦争映画はアメリカを美化するし、日本側が作った戦争映画は日本を美化する。しかしこの話は昭和六十年辺りまでだった。その後日本では戦争映画は作られなくなった。これだけなら平和を志向する日本として良いことだ。ところがこのころ米ソ冷戦が終結し、村山富市が社会党を消滅させたため、米英仏蘭が正しくて日本は間違ってゐるといふ奇妙な主張が出て来た。これに多くの国民が反発するのは当然で、だから元捕虜を描いた映画が日本で上映されてもまったく評判にならなかった。このように書くと、偏向マスコミが何としても広めようと必死になるかも知れないが。
タイ王室の家庭教師を務めたイギリス人女性を描いた「王様と私」はタイでは国恥ものとして上映禁止になってゐる。といふよりは上映しても誰も見に行かないだらう。イギリス人が自国の王室の家庭教師を務めたとして内情をべらべら話すか。そんなことをする訳がない。イギリス王室は駄目でタイ王室ならやっても構はないといふその厚かましさに、まづ驚く。二番目に西洋の感覚で他の地域を蔑んだ目で見るその傲慢さに驚く。
同じことが日本でも云へる。戦勝国として、或いは西洋文明が地球上で優勢な状態で、旧敵国側の作った映画を上映すると社会を破壊する場合がある。だからといって言論の自由があるから上映を妨害してはいけない。ただし偏向マスコミが騒ぐ場合は、その対抗として上映反対運動を行ふことは許される。一番よいのは双方が騒がないことだ。

六月二十五日(土)
オバマ氏の広島訪問はよいことだ。オバマ氏に原爆責任はない。仮にドイツや日本が原爆を開発しても使用しなかったといふ保障はない。原爆は西洋文明全体の責任だ。
しかし反日パンフレットの船橋洋一の英語公用語論以降、日本の政治は非常にアメリカの言ひなりになった。或いは日本のアメリカ化政策と云ってもよい。だから対抗上、人類史上最悪の戦争犯罪人トルーマンとマッカーサと云ふことはある。更に結果としてトルーマンとマッカーサが使用したのだからこの二人に責任はある。例へば誰が運転しても事故が起きるだらうといふ気象状況であっても、事故を起こした人は責任がある。
あと左翼崩れの連中の拝米反日が酷いので、或る左翼崩れの人が、広島の慰霊碑の「過ちは繰り返しません」に主語が無いと発言したときは称賛したことがある。これも本当は西洋文明全体の責任だから主語は書かなくてよいのだが、この男が酒を飲むと中国人の悪口ばかりを云ふため、たまに反米言辞を行ったときは賛成する必要があった。
このような世界全体の流れと、そのときの当該者の日常の行動とを合はせて考へると、オバマ氏の広島訪問は実によいことだった。それなのに反日パンフレットは人類史上最悪の戦争犯罪と、捕虜の扱ひが虐待かどうかといふ問題を意図的に混同させて文章を書いた。(完)


「朝日新聞批判、その三十三(マスコミの横暴を許すな62)」
「朝日新聞批判、その三十五(マスコミの横暴を許すな64)」

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