八百四十一 読書記(2.反単純唯物論の大同小異で大原康男氏の本を読む)
平成二十八年丙申
五月二十二日(日)
反単純唯物論の立場で、大原康男氏の本を読む、その一『「靖国神社への呪縛」を解く』
昭和の日に元國學院大學教授大原康男氏の講演を聴いた。講演の内容と私の考へにほとんど共通点が無かったが、これは神道と仏教といふ明治維新以降の神仏分離が為せる技であった。神道と仏教といふ二つの方面から悪魔の思想である単純唯物論を批判すべきだ。そのため大原康男氏の著書を図書館で六冊借りた。
六冊のうち三冊は、これらも共通点が無く読むだけに留まったが、残りの三冊は役立つ情報があると思ふ。一冊目は大原氏が編著の『「靖国神社への呪縛」を解く』といふ本を読んだ。その第一章第二節に次の文章がある。戦前戦中に上智大学の経営に携はったカトリックのブルノー・ビッテル神父に昭和二十年十月マッカーサ司令部の副官からメモが届いた。
そこには、「わが司令部の将校たちは、靖国神社の焼却を主張している。同神社焼却にXX教会は賛成か反対か、すみやかに貴施設の統一見解を提出されたし」という驚くべきことが書かれてあった。(中略)ビッテル神父はただちに同僚の神父と協議したうえで次のような結論に達し、その旨をしたためた意見書を提出した。
「自然の法に基づいて考えると、いかなる国家もその国家のために死んだ人々に対して敬意をはらう権利と義務があるという。それは戦勝国家・敗戦国家を問わず、平等の真理でなければならない。(以下略)
このときのビッテル神父及びカトリック関係者の行為こそ反単純唯物論に立つ正当な言論だ。ここでは反単純唯物論が「自然の法」に従ふとしふ表現で為された。常識、或いは、文化と云ってもよい。常識、或いは、文化を無視するものこそ単純唯物論であり、悪魔の思想だ。
第三章第一節には百地章氏が
わが国の憲法学者たちの多くが、いわゆる政教分離(つまり狭義のそれ)を「国家と宗教の分離」と解してきたことは、先に述べた。しかしながら、欧米諸国にあっては、政教分離という場合、「国家と教会(宗教団体)の分離」(英語略)という言い方が一般的である。(中略)たとえば、国王や大統領などの国葬を行う場合、「国家と教会の分離」であれば(中略)故人や遺族の信仰を尊重し、ケース・バイ・ケースでさまざまな宗教儀式を営むことは一向に構わない。これに対して、「国家と宗教の分離」という場合には、(中略)宗教儀式を行うこと自体が許されないことになり、いわゆる無宗教方式の葬儀しかできないことになる。
これは重要な情報だ。私が西洋の猿真似がいけないといふ理由も、真似をすると我田引水で都合のよいことしか主張しない勢力(一番の典型がシロアリ民進党とニセ労組シロアリ連合)が出てくることの他に、西洋より思想が劣化することだ。
第三章第二節は徳永信一氏が
欧州ではイギリス(英国教会)やデンマーク、ノルウェー、アイスランド、フィンランド、スウェーデンといった北欧勢(ルター派)が国教ないし準国教制をとり、ギリシャ、ブルガリアは東方教会に、そしてバチカン市国、リヒテンシュタインがカトリック教会を国教としている。
ベルギー、ドイツ、イタリア、スペイン、ルクセンブルク、ポルトガル、ポーランドといった国々は、憲法において国教制を禁じ、政教分離を定めているが、いわゆる宗教公認制をとり、公認宗教に対しては様々な特権を付与して教団を積極的に保護している。そして、いずれもカトリック教会と宗教協約(コンコルダート)を結び特別な関係を維持しているのである。
第三章第三節で大原氏は全国戦没者追悼式など無宗教の慰霊について
この方式を厳しく論難したのが元上智大学教授のP・ミルワード神父である。(中略)「戦没者に対して敬意を表することには、すべての死者に対するのと同様に宗教的な意味がある。それを見落としたり、否定したり、単なる非宗教的式典を支持したりすることはよくない。我々は、千鳥ヶ淵や武道館のように冷たく宗教的でない環境よりも、靖国神社の聖的な環境により満足する。
戦没者に公的な敬意を表するということになれば、XX教で行われるイギリスのように、日本において神道式で行うことがどうして悪いのか理解できない(以下略)
私も無宗教は絶対に反対だ。ただしミルワード神父と少し異なるのは、仏教寺院を明治維新の時に神社に改めたもののなかには宗教性を感じないものもある。明治維新のときに神仏分離した神社はまだ宗教性を感じる。靖国神社には更に宗教性を感じるし、大昔に神仏分離した伊勢の神宮には強く宗教性を感じる。将来、伊勢の神宮を除いて再び神仏は集合させるべきだと思ふ。そのとき靖国神社は、仏教各宗派と伊勢の神宮による共同管理が望ましいのではないだらうか。
五月二十八日(土)
その二『国家と宗教の間』
次に三人の共著による『国家と宗教の間』(平成元年出版)を読んだ。大原康男氏の「神道指令と日本国憲法」によると神道指令は「国家と教会の分離」とは異なる「国家と宗教の分離」を命じたが、その後変化した。
GHQも年をおってゆきすぎた処置を修正し、指令の適用条件を緩めざるを得なくなった。概ねそれは昭和二十四年を境にしている(もっとも、GHQの政策変更には、米ソ二大陣営間の冷戦が一段と緊迫化した当時の国際情勢の変化もあずかっていることは否定できない)。
具体的には
神道指令の第一項b号によって公共建造物の地鎮祭・上棟祭などが全面的に禁止されたが、(中略)各地の業者が地方軍政部に陳情を重ね、その結果、同じく二十四年五月に文部省は「民間の建築業者が主催する場合、公金の支出や、官公吏等の公的に参列するなど、いかなる公的要素も導入することなく、当該業者の責任において行うのであればさしつかえない」という趣旨の通牒を出してその要望にこたえた(占領解除後はさらに大幅に緩和され、地方公共団体自らが主催して行うようになった)。
次に憲法について
神道指令が発せられ、その適用が最も厳しかった時期に公布・施工されたので、指令の趣旨がそのまま憲法に継承されたと考えるのはいかにも一理ある論理かにみえる。
とした上で、神道指令と憲法草案はGHQの別の組織が作ったことを挙げた。この本の出版された時期はまだ憲法改正ができる雰囲気ではなかったから、このような方法しかなかった。なを私は、明治維新で神仏が分離したのだから神道指令はその前の状態に戻すことを指令すべきだが、GHQがそこまで気付かないのは仕方がない、といふ立場だ。だから大原氏とはかなり立場は異なるが、社会を破壊から防ぐといふ立場は同じだ。だから地鎮祭や上棟祭で神道の儀礼を行ふことに賛成だ。
この本には阪本是丸氏の明治政府は神道を優遇したのではなく圧迫したといふ主張もあり、これも印象に残った。
六月三日(金)
新憲法のすすめ
次に「新憲法のすすめ」を読んだ。表紙には大原康男、百地章他と書かれ、中を見ると両名の他に西尾幹二、西部邁、長谷川三千子など錚々たる顔ぶれだ。発行は平成十三年四月でアメリカ同時多発テロの五ヶ月前。このあと親米と反米は大論争を始めることになる。執筆者に中西輝政氏がゐて、読んでも唯一共通点がなかった。西尾氏と西部氏の論争が派手だったのでその影に隠れたが、中西氏の主張には文化への崇拝がない。私は西尾氏と西部氏には大部分賛成だ。しかし中西氏の主張には共感点がない。
大原氏の先日の講演も私の感覚と共通点は少なかった。しかしそれは「昭和の日」といふ大同小異の立場で集会に参加したためで、大原氏が共著の「新憲法のすすめ」を読むと、中西氏の章を除きほとんど賛成だった。大原氏の現憲法は洋魂洋才といふ主張には大賛成だ。(完)
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