八百四十一 読書記(3.失敗の本質 日本軍の組織論的研究)

平成二十八年丙申
六月四日(土) この本を読むに至った経緯
一年以上前だらうか、日経BPのサイトに日本企業の問題点について「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」を引用して論ずる記事が載った。私もこの書籍を読まうと市立図書館の予約システムを見ると約10人待ちだった。だから申し込まなかった。今回、またこの本を引用する記事を読んだ。今回は3人待ちだったが申し込んだ。そして予想外に早く本が到着した。
早速第一章の「1ノモンハン事件」を読んだ。これ以降「2ミッドウェー作戦」から「6沖縄戦」まで続くがあまり読まうといふ気にならなかった。さうなのだ、私は戦争を好きではない。このように云ふと前に石原莞爾を特集したぢゃないかと云はれさうだが、あれは石原莞爾を特集したのであって戦争を特集したのではない。
その後、第二章「失敗の本質」を読み、これは正当な主張だと思った。第三章「失敗の教訓」は最初、西洋の学問に毒された無用の議論に思はれた。組織の自己変革のためには更に大きな組織による強制が必要だからだ。その後、序章を読むと執筆者の多くは組織論や経営学、意思決定ないし政策決定論、あるいは政治史や軍事史の研究に従事してきたとある。執筆者の一覧を見ると、六人のうち四人が防衛大学校(元)教授、残りの二人も国立大学と私立大学の(元)教授だ。これは第三章を読み直さうといふことになった。
先ほど、私は戦争を好きではないと書いたが、この本を一部読み終へた後にさう感じた理由をよく考へると、大原康男氏の『帝国陸海軍の光と影 一つの日本文化論として』をこの本と入れ替はりに図書館に返した。つまり神道の立場であまり軍事に言及し過ぎる本を読むと平和を願望するやうになるし、日頃、社会破壊拝米新自由主義反日パンフレットの偽善言辞ばかりを目にしてゐると逆に『帝国陸海軍の光と影 一つの日本文化論として』のやうな題名の本を読まうといふ気になる。つまりは平衡感覚であった。

六月五日(日) 第二章
第二章で重要なところは、目的は一つでなければいけないといふ部分だ。ミッドウェー作戦について
その作戦目的は次のようにあいまいな内容のものであった。
(中略)前段は、ミッドウェー島攻略を志向し、後段では米艦隊撃滅を目的としている。(中略)目的の二重性すなわちあいまいさがここにもみられるのである。
二重性は今でもみられる。法律の目的の条文に幾つも書いてある。幾つも書いてある法律を見たらまやかしと思ったほうがいい。

次に、空気の支配がある。
第一五軍がビルマでインパール作戦を策定したときにも、牟田口中将の「必勝の信念」に対し、補佐すべき幕僚は、もはや何をいっても無理だというムード(空気)につつまれてしまった。この無謀な作戦を変更ないし中止させるべき上級司令部(ビルマ方面軍、南方軍)も次々に組織内の融和と調和を優先させ、軍事的合理性をこれに従属させた。さらに統帥の最高責任者である杉山参謀総長が、寺内南方軍総司令官のたっての希望ならという理由で、反対意見の真田作戦部長に翻意を迫り、真田も杉山の「人情論」に屈した。
これらを更に細かく分析すると
科学的な数字や情報、合理的な論理に基づく議論がまったくなされないというわけではない。そうではなくて、そうした議論を進めるなかである種の空気が発生するのである。

次に、人的ネットワーク偏重がある。
日本軍が戦前において高度の官僚制を採用した最も合理的な組織ではずであるにもかかわらず(中略)インフォーマルな人的ネットワークが強力に機能するという特異な組織であることを示している。
インフォーマルな人的ネットワークとは一番目に学閥だ。二番目に学閥のうち特定の思想の人の集まったものや、それに別のグループが加はった場合もある。今の日本にもあって英語公用語騒動、女系天皇騒動、消費税増税、消費税増税に対する国民の目をそらすための安保法案騒動などでマスコミと連携した手際の良さから国内の人的ネットワークが暗躍したと見るべきだ。
当時の陸軍でも人的ネットワークは主に学閥で
陸大出身者を中心とする超エリート集団は(中略)きわめて強固で濃密な人的ネットワークを形成した。
とある。人的ネットワークの欠点は
官僚制の機能が期待される強い時間的制約のもとでさえ、階層による意思決定システムは効率的に機能せず、根回しと腹のすり合せによる意思決定が行なわれていた。
その結果は、次のように膨大な命が奪はれた。食料の無いなかで一ヵ月や二ヵ月半待たされることは死を意味する。
インパールでは作戦中止の必要性を上級指揮官や中央の参謀が認めてから一ヵ月以上を経過しているし、ガダルカナルでも、大本営の作戦担当者が撤退を考えてから天皇の裁可を得て発動されるまで、二ヵ月半かかっているのである。
空気にしろ人的ネットワークにしろ、能力不足なのにその役職に就くことが原因と云へる。教育システムの欠陥か、階級と人格は同一と見做されるためか。階級は責任職と結びつくもので人間の上下を示すものではないのだが、西洋式の軍隊を真似したツケが回ったと云へる。

六月五日(日)その二 二種類の悪い意味での集団主義
集団主義には良い意味と悪い意味がある。良い意味の集団主義は、個人主義の反対といふ意味で、昭和六十年辺りまで自民党と革新勢力が対峙したときは、皆が集団主義だった。自民党は農村を中心とした集団主義、社会党は社会主義を目指す集団主義、公明党、民社党、共産党も全部集団主義だった。これが良い意味の集団主義だ。
ところが最近、日経BPか何かで悪い意味で使ふ集団主義を目にした。休みの日は職場の皆がゴルフに行くから自分も行き、平日は皆が得意先の接待をするから自分もする。その費用を会社の経費操作で落としてゐたのが露見し左遷になったといふ内容だった。なるほどさういふ集団主義はよくない。
「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」には更に別の意味での集団主義が登場する。
以上あげたような日本軍の組織構造上の特性は、「集団主義」と呼ぶことができるであろう。ここでいう「集団主義」とは、個人の存在を認めず、集団への奉仕と没入とを最高の価値基準とするという意味ではない。個人と組織とを二者択一のものとして選ぶ視点ではなく、組織とメンバーとの共生を志向するために、人間と人間との間の関係(対人関係)それ自体が最も価値あるものとされるという「日本的集団主義」に立脚していると考えられるのである。
リンゴが重力によって木から落ちるのと同じく、人間と組織は怠慢、私欲により常に堕落の圧力にさらされる。対人関係が最も価値あるものとされるのは事勿れ主義による堕落の結果と云へる。

六月五日(日)その三 第三章
第三章ではまづ
日本軍は、自らの戦略と組織をその環境にマッチさせることに失敗したということである。
としてその考察に当たって、次の分析枠組を示す。
この分析枠組みは、環境、戦略、資源、組織構造、管理システム、組織行動、それに組織学習という七つのの概念で構成されている。
七つの関係を示す図が載り、それによると資源と環境から戦略が生まれ、戦略から組織構造、管理システム、戦略実行の三つが生まれ、三つは互いにフィードバックしながらパフォーマンスを生む。パフォーマンスは組織学習、環境、戦略にフィードバックし、組織学習は資源にフィードバックする。あとは循環を繰り返す。
なぜこの図のやうにならなかったかと云へば、日本の弱点はフィードバックだ。これは今でも該当する。次に、日本軍は無理を重ね過ぎた。精神論には良い精神論と悪い精神論がある。良い精神論とは文化を重視することで、悪い精神論とは無理を強いることだ。長時間残業はその典型だ。だから今でも日本は悪い精神論が続く。
悪い精神論は一旦は効果が大きい。企業なら利益を生むし、軍隊なら敵に勝つ。しかし悪い精神論は副作用がある。組織が硬直し意見が出なくなる。建前だけが幅を利かす。日本軍が七つの枠組みでフィードバックできなかった理由は、悪い精神論の副作用と云へる。

戦略から組織構造が生まれる。しかし組織自体の変革、特に既得権を放棄する変更を組織自体にできるだらうか。そしてここにも悪い精神論の弊害が現れる。俺たちはこれだけ無理をしてゐるのだから外部は口を出すな、といふ意識になる。軍人、外交官、学者、政治家の連携は必須だ。しかし軍人は外部の人間を受け入れなかった。今、世界を見渡すと北朝鮮軍の唯一優れたところは党人が軍服を着れることだ。この人事システムがないと軍人は考へが硬直する。
日本軍は上部の階層が大きくなり過ぎた。軍、方面軍、総軍、参謀本部。海軍も艦隊、方面艦隊、連合艦隊、軍令部。日清戦争や日露戦争とは大違ひだ。

参謀は裏方に徹するべきだった。陸軍大学は名称を参謀大学にすべきだった。参謀は参謀憲章なんか付けずに、司令部以外の人間には顔を知られないくらいの存在でなければいけなかった。昇格や役職任命は参謀大学出身かどうかによらず本人の力量で決めるべきだった。

日本が大昔に仏教を受け入れた後にも、神道式の儀式、葬式、年忌を続ける豪族も多かったはずだ。それがなぜ没落したかを考へるとき、蘇我氏と物部氏の争ひ以外にも何か理由があると思ふ。その長い年月を掛けて平衡に達した文化を壊したため、未平衡の状態で形成した意識、人間関係が、硬直し堕落し傲慢で学習しない軍を作ったのではないだらうか。(完)


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