八百十六 心の時代「さとりへの道~華厳経に学ぶ」(その五、教へを慕ふ人々)

平成二十八年丙申
二月二十二日(月)
昨日は次の話があつた。

華厳宗は、華厳経を研究する学派。華厳宗五祖のうち第二祖智儼(ちごん)は、華厳を体系的に理解する教学を基礎づけた。第三祖法蔵が宗教思想として完成。第四祖澄観が時代の流れに応じて改革、第五祖宗密は禅の流れを柱に中国の思想全体を統合する方向を初めて打ち出した
まづ智儼について

仏となるということは、仏となり続けていくということなのだ
華厳経は円経(完全な教へ)、一乗(すべての衆生が仏になれる)
唯心の世界 あらゆる物事が本来的に繋がり合ひ一体であるといふ縁起の世界
事事無礙 一つの物事と他の物事の間に本来的に互ひに通じ合ふもの、関はり合ふもの、相即的なものをもつてゐる
主人 家庭でお母さんが料理を作ればお母さんが主人公、子供の話題になれば子供が主人公。お互ひが理解し合ひ、唯心的に心が通じ合つてゐるからそれが可能

リベラルと称する唯物論の連中が、家庭や社会を破壊しようとしてゐるが、この話で間違ひであることがよく判る。

二月二十八日(日)
次に法蔵について
処は毛端をもって
法界を該(か)ね
時は刹那をもって
劫海を尽くす
場所で云へば毛の先が宇宙全体の心理を兼ね、時で云へば一瞬が膨大な時間を集約してゐる。


次に新羅の義湘(ぎしょう)について
智儼から一乗、利他を学ぶ
華厳一乗法界図 詩のすべての文字は線で繋がる。全体が四角四面に分かれ布施、愛語、利行、同事の四摂法。また慈、悲(あわれみ)、喜、捨(平等心)の四無量心
一乗法界図は、海印図とも云ふ。華厳の教への根底には海印三昧といふ仏の深い瞑想の境地がある。
海印寺は曹渓宗。曹渓宗の基礎を作つたのが知訥(ちとつ)。禅の系統だが、華厳と禅が融合。


日本に華厳経が伝はつたのは奈良時代の七三六年。聖武天皇は七四三年、国の安寧のため盧舎那仏を発願。東大寺は総国分寺としての役割。しかし平安初期に天台宗、真言宗。平安末期から鎌倉時代にかけて浄土宗や禅宗。鎌倉仏教は後世云はれるように一気に広まつたのではない。こうした時代に華厳による仏教の復興に尽くしたのが明恵
浄土門は菩提心を否定していると批判。口称念仏に対抗するため、仏、菩薩をイメージして瞑想する憶念の教へを強調。明恵の図によると、中心が華厳三聖の文殊菩薩、毘盧遮那仏、普賢菩薩の名。下段には修行者に対する明恵の言葉。
若しは修行者にして
大菩薩心を求める者は
遠く求むるに
労すること無かれ
但、自ら一心を浄めよ
明恵は、若い時代は禅を修める方向性が強い。ある時期から学問にも随分力を入れ、唐代の李通玄といふ独自の華厳経理解をした人の注釈書に触れて、仏光観といふ―仏の身から放たれる光を観想して宇宙大に広げていく観法を学びとる。晩年に近くなると、厳密一致で、真言と華厳と融和した光明真言を用ゐた土砂加持を通して死者を安らぎの世界へ送る儀礼も勧めてゐる。その中で大きな波紋を広げたのが、法然上人の選択本願念仏集。伝統仏教の側からいろんな反論。明恵も摧邪輪で、法然の念仏は菩提心を否定と反論。


以上のお話があつた。(完)


全宗教(百七)(その四)次、(その六)、全宗教(百八)の二

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